Tue 100406 「生授業か収録授業か」は、ほぼ決着したようだ 20年の対立を振り返る | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 100406 「生授業か収録授業か」は、ほぼ決着したようだ 20年の対立を振り返る

 この2月3月の全国行脚で一番強く感じたのが、長い間この世界にあった「生授業がいいか、それとも東進タイプの収録による映像授業がいいか」という対立の図式に、そろそろ決着がつきはじめたようだ、ということである。ちょっと歴史を振り返っておきたい。
 1990年代初期、河合塾がサテライトを開始し、代ゼミがサテラインを開始し、他の予備校もその動きに追随した。例によって駿台が一番遅れ、サテネット21が始まったのが90年代中頃ごろ。形態はどこも同じで、通信衛星を通じて全国に同時生中継され、巨大なスクリーンの上で授業が展開される。
 今の高校生は知らないだろうが、映画館みたいに皆で集まってスクリーンを見上げ、薄暗い教室でノートをとり、スクリーンを見ながら東京の生徒たちより一瞬遅れて講師のギャグに爆笑した。東京弁の授業にアレルギーのある関西では、これが不評。「東京弁のギャグなんかをスクリーンで見て、笑えるわけないヤンカ」と、関西の生徒たちには特に「メッチャ、ナマ授業派」が多い時代が続いた。
ちゃんと
(ほら、そこのあなた。もっとチャンと授業に集中しなさい)

 九州も「生授業派」がずっと優勢だった地域。ここは東京弁アレルギーが原因ではなくて、質実剛健の九州人の気質からして、「ちょっと軽薄な感じ」の初期の映像授業が敬遠されたことと、九州大学至上主義の地域性に映像側が対応できなかったことが原因である。東京中心のコンテンツ作成では、「これでホントに九大に合格できるのか?」という不安がつきまとったのは無理もない。
 そういう不安のあるところへ「たくさんの九州男児を九大に合格させた」実績をもつ伝統ある予備校のおじいちゃん先生が存在すれば、「やっぱり九州男児は九州の予備校タイ!!(熊本)」「そうクサね!!(福岡。クサの使い方が違っていたらスミマセン)」ということになって当然。「男児」が前面に出てくるところがいかにも九州だが、これと同じような事情は「東北大なら仙台の先生ダンベエ」「北大なら札幌の先生がイイッショ」というふうに全国にほぼ共通した事情であった。
ビデオは
(ビデオは、このニャゴ姉さんのものでござんすよ)

 しかし、「地方にいても東京本校の授業が受けられる」という意味で、地方の塾経営者にとってみれば「黒船がきた」という脅威は大きい。黒船がくれば、無条件に攘夷に走る乱暴な人間が必ず存在する。特に「東京のバリバリ現役講師が♡♡にやってくる」を売り物にして地元で堅実に業績を伸ばしてきた予備校にとっては、この黒船来航は死活問題であった。
 実際に新幹線に乗って地方にやってきて生授業をする「現役バリバリ講師」なるものと、巨大スクリーンに映る本物のトップ講師との差を歴然と見せつけられれば、危機感が大きなぶん、徹底的な攘夷を叫ぶ予備校内部の声も激烈になったに違いない。しかも「現役バリバリ講師」の実態は、東京本校ではあまり授業をもたせてもらえない講師が生活費なりお小遣いなりを稼ぐために、「週1回」「しかたなく」「ふくれっつらで」出講するに過ぎなかったりする。生徒だって、何となくそれを感じ取ってしまう。
 そこで、彼らの乱暴な攘夷運動は「テレビの前では人間は眠るものだ」という根拠の薄い断定から始まった。「♡叱ってもらえないと勉強はできない♡」「♡監視してもらわないと勉強はできない♡」「♡宿題を点検してもらわないと勉強はできない♡」「♡一方通行では勉強はできない♡」など、生徒をオコチャマと断定するような言い方をして恥じることもなく、異常なほど厳格な生徒管理をする割に、「東京の現役バリバリ講師」なるものの授業の質の向上については「なおざりのまま」ということが少なくなかった。
離さない
(ビデオは誰にも渡しませんニャ)

 そういう対立の図式が、20年続いた。20年の間に巨大スクリーンの映画館方式は時代遅れになり、1人1台のパソコン画面に代わった。VHSのビデオ方式で「必ずテープを巻き戻してから返却してください」とか、貸しビデオ屋みたいなことをやっていた時代が、今は懐かしい昔語りのようである。おお、「テープ」である。ほんの5年前まで、どこの予備校もみんな、VODはおろかDVDでさえなかったのだ。「信じらんねくね?」という高校生諸君がいたら、23歳以上のお兄ちゃんお姉ちゃんに尋ねてみるといい。
 少子化のせいで、地方有力予備校には生にこだわっているうちに力尽きて閉校するものが出始めた。生授業サイドから映像中心サイドに思い切って方針転換して、それでうまくいったところも多い。「東京からやってくるバリバリ講師」も年老いて、最初のころ25歳だったバリバリさんも、20年経過すれば必然的に45歳。「現役バリバリ感」が、あんまりなくなってしまい、強引に力で引っぱっていくことも出来なくなった。「一方通行ではダメなんだ」と批判されつづけた映像授業サイドは「確認テスト」「中間テスト」「修了判定テスト」などの開発と普及で、批判を力に変えた。
 バリバリ感の減退したバリバリ講師のバリバリ授業で我慢し、「叱られ」「監視され」「宿題を点検され」ながらムカつきつづけるか。それとも、いつの間にか地方のどんな街でも2校3校と軒を並べるようになった映像配信タイプの予備校で、「一方通行」ではあっても質の面では文句のないトップ講師の授業を満喫するか。生徒たちの選択が、時間とともに後者に傾くようになり、どんなに地方有力予備校が「一方通行では意味がない」と声を裏返して「通せんぼ」しても、どうやらもう流れを止めることは出来ないようである。

1E(Cd) Richter & Münchener:BACH/BRANDENBURGISCHE KONZERTE 1/2
2E(Cd) Richter & Münchener:BACH/BRANDENBURGISCHE KONZERTE 2/2
3E(Cd) Lucy van Dael:BACH/SONATAS FOR VIOLIN AND HARPSICHORD 1/2
6D(Mv) LE CONCERT
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