Mon 100322 倉敷駅で昨年の生徒に声をかけられる 倉敷工や倉紡倉敷の活躍について | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 100322 倉敷駅で昨年の生徒に声をかけられる 倉敷工や倉紡倉敷の活躍について

 3月19日10時半、ウワバミ閣下を乗せた律儀な「こだまクン」は時間通りに新倉敷に到着。もっとも、この日は姫路城に出かけるという選択肢もあったのである。姫路城なら、宿泊していたホテル(ホテル日航姫路)の窓からもしっかり見えているし、新幹線のホームからはさらに大きく見える。わずかなスキマを利用して出かけるとすれば、むしろ姫路城の方が絶好。しかも姫路城はまもなく改修工事に入り、巨大なカバーがかけられて、向こう5年間は人々の前から表向き姿を消すのである。5年の名残を惜しむなら、むしろしばらくの見納めになる姫路城を訪れてしかるべきであったかもしれない。
 しかし、迷ったあげく倉敷を選ぶことになった。理由は2つあって、
(1)19時から巣鴨の講演会ということは、姫路を15時ごろ発の新幹線でないと、逆に巣鴨で間がもてない。姫路城1箇所で午後3時までもつとは思えない。
(2)姫路城は、接近しすぎたり、ましてや内部に入り込んだりして楽しむ性質のものではない。遠くから、このホテルの窓や新幹線のホームから白鷺のような美しい姿を眺めて名残を惜しむほうが、この城には相応しい。
 こんなふうにして倉敷を選んだわけだが、風が冷たいにしてもさすがに吉備路の3月は陽射しが暖かくて、倉敷を選んだのは間違いなく正解であった。ただし、こだま君(ジダマ君)でわざわざ新倉敷までやってきたのは研究不足だったので、倉敷の町にいくなら、のぞみチャンを岡山で降りたほうがいいようである。新倉敷から倉敷まで山陽本線の電車で10分ほどかかるのだが、岡山からでも20分ほど。ならば、ジダマとの付き合いで無駄な時間を費やすより、岡山経由のほうが得である。人間とは冷たいもので、こんな損得勘定で、いきなり旧友ジダマが嫌いになったり億劫になってしまうのである。
倉敷駅
(倉敷駅)

 もっとも、新倉敷から乗った普通電車の中で昨年の生徒に声をかけてもらったのは、ちゃんとジダマにつきあったお蔭である。新倉敷から電車に乗り込む時に、近くの席の青年が驚いたような信じられないような、驚きをニヤニヤ笑ってまぎらせようとするような、そういうアヤシイ表情でずっとこちらを眺めていたので、ウワバミ将軍はだいたい気づいていたのだ。内気なヤツなら、このまま声もかけずに去っていったかもしれない。
 倉敷に駅で降りる時に、彼はやっと意を決したように話しかけてきた。野球部で最後まで活動していて、受験勉強のスタートが遅れてしまった。しかし部活動が終わった夏から今井講座をどんどん精力的にこなして、どんどん遅れを取り返した。最終的に、兵庫県立大学に合格して進学を決めた、彼はそう話すのであった。おお、たいへんおめでたい。落ち着いた大人っぽい顔つきの青年で、ついこの間まで高校生だったとは信じがたいほどだったが、そういう成長もキチンとした受験勉強のタマモノである。
きびだんご
(倉敷、由緒ありげな吉備団子屋)

 野球部で最後までがんばったというのも嬉しい。今井君にとって、倉敷は高校野球の町である。今井君なんかが生まれるより前の話であるが、昭和中期の倉敷工と報徳学園の死闘と大逆転劇はすでに伝説になっていた。子供のころ、お盆に親戚のオジサンたちがやってきて、父と酒を飲みながら甲子園の死闘を語り合っている、そういう場の話を立ち聞きしていると、「最終回に6点とられた、その裏の攻撃で6点取り返して追いついた、そのまま延長戦にもつれ込んだ」らしい。どっちが倉敷工でどっちが報徳学園なのかはわからないが、最終回に6点取られて6点取り返すというのは確かに伝説になって然るべき死闘である。
 山陽本線の電車から、新倉敷から倉敷に向かって左側の車窓に、その倉敷工の練習グラウンドが見えた。今の選手たちから見たら、その伝説はすでに父の世代どころかおじいちゃんたちの世代の伝説である。半世紀も前の高校生たちは、今の高校生とは比較にならないほど老成した顔をしていたのであるが、そういう奇跡的大逆転劇も昔の日本の若者たちに独特の粘り強さが可能にしたのである。おじいちゃん世代を見習って、また逆転に逆転を重ねて勝ち進んでほしいものである。
美観地区
(倉敷の「すんばらしい」美観地区)

 さて、倉敷の街それ自体については、あまり書くことがない。観光客は「美観地区」という狭い一区画にまとめられ、そこから出ないようにしてチョコマカ歩き回るだけである。その美観地区に集合させられたオバサマたちはやたらに感動して、裏返った声なりうわずった声なりで「あんら、すばらしいわあ♡」「あんら、ステキよお♡」「あんら、いいわねえ」と叫び、身をよじりながらお互いの感動ぶりをひけらかしあっている。「あら」に力が入りすぎて「あんら」としか聞こえない。「すばらしいわあ」も「すんばらしいわあ」、「ステキよお」も「スンテキよお」に聞こえるほどの力の入りようである。
 大原美術館の前でも、アイビースクエアでも、お堀のほとりでも、だいたい同じことで、あまりの感動にその場で身を捩りながら息絶えるのではないか、それが心配になるほどである。こういうのは10代前半の女の子が原宿や表参道でメッタヤタラに「かわいい♡」「かんわいくない♨」「ヤバくない?」「ヤンバいんじゃね?」と叫びあっているのと変わらない。というか、10代から60代にかけておそらく余り成長していないのであるが、まあそれもたいへんのどかでいいものである。
アイビースクエア
(倉敷アイビースクエアのレストランアイビー。由緒ありげなホテルもあった)

 ウワバミ閣下は「倉紡記念館」と、紡績工場跡地の「アイビースクエア」が気に入った。倉紡はもちろん倉敷紡績。倉紡倉敷は、もと大日本紡績のニチボー貝塚とともに、昭和中期の日本バレーボールの覇を競った名門である。クラボウ、ニチボー、カネボウ、そういう繊維会社なり紡績工場なりが日本の女子の代表的就職先だった時代が長く続いたのであって、今の日本でその名残をとどめているのが東レ。ついでだから書いておけば、4月10日、東レの女子バレーは3連覇を果たしたらしい。
クラボウ
(倉紡記念館)

 ウワバミ閣下が小学生だったころの社会科の教科書には「日本はまだ軽工業の国である。これからは重化学工業を重視しなければならない」「日本は山国で農業国。これからは繊維工業ではなく重化学工業の発展が大切だ」と書かれていたのをなつかしく思い出しながら、「すんばらしいわあ」の歓声の真っただ中で、昭和の香り漂う倉敷「美観地区」にしばらく立ち尽くしたのだった。

1E(Cd) SPANISH MUSIC FROM THE 16th CENTURY
2E(Cd) The Scholars baroque Ensemble:PURCELL/THE FAIRY QUEEN 1/2
3E(Cd) Anastasia:SOUVENIR DE MOSCOW
6D(DMv) JFK
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