Mon 100308 広島から大阪へ 青信号の連続 「お好み焼き・門」と「大阪のもんじゃ焼き」 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 100308 広島から大阪へ 青信号の連続 「お好み焼き・門」と「大阪のもんじゃ焼き」

 こういうふうで(すまんのう、「前回の続き」でござるだ)、広島に戻った時にはすでに16時を過ぎていた。朝のうちの計画にあった「倉敷」は、こうして流れに浮かぶウタカタのように、かつ消えかつ浮かびて、方丈の向こうで春の淡雪よろしく融けて消えた。まあ、今回は倉敷は見送り。あきらめたのではない。次の週には姫路で講演会があるのだから、そのスキをみて「スカサズ、ソッコーデ、スキアラバ」をやればいい。
 広島で「むかし授業を受けていました。いま医学部生です。ありがとうございました」という30代半ばの男性に会ったことは、1週間ほど前に述べた。人生の夢には実に限りがないので、2年前に下北沢で発見した超大昔の生徒の眼科クリニックといい(Sat 080621参照)、広島で出会った彼といい、30歳過ぎるまでうまくいっていなかった人生、自分自身全く納得のいっていなかった人生が、何かのハズミでオセロゲームよろしく(陳腐な比喩で申し訳ないが)1列も2列も3列も黒から白へ一気にひっくり返るのは、見ていて胸のすく思いである。
 こんな酔っ払いのクマ兼ウワバミの存在が、そのオセロゲームのキッカケになるなら、いくらでもキッカケになりつづけたいと思う。今年も3月4月の桜の時期になって、このまま現在の生活を続けて強情に夢を貫きつづけるか、いったんルートをはずれて5年後10年後の捲土重来を夢みるか、決断しなければならないヒトの多い季節になった。いろいろな決断があってしかるべきだと思うし、どんな決断からも可能性の樹形図は無限に広がっているので、それが平等ということである。
たよし
(道頓堀「たよし」)

 クマ兼ウワバミどんは30歳の9月に「いったんルートをはずれよう」と決意し、その決意が祟って、もともと設定していたルートに戻れずにいまだに足掻いているのであるが、あの時ひっそりと退場するつもりで脇道にそれたその脇道で、思いもかけず成功してしまったようである。
 自分では全く成功と思っていないというか、むしろ脇道で長居を続けすぎたような気もするし、そのことについて苦々しい反省もあるのだが、どうも天職というのはたいへん意地悪なもので、若いころに設定したものとは似ても似つかないところに、こっそりコロンと転がっている可能性もあるのである。
 17時新大阪に到着。ウェスティンホテル大阪にチェックインする。spgポイントで無料で宿泊できる部屋だけあって、さすがに期待したほど豪華な部屋ではなかったけれども、それはそれでかまわない。さっそく道頓堀に向かう。大阪を味わうなら梅田あたりではやっぱりダメなので、どうしても道頓堀である。ホテルから道頓堀に向かったタクシーが全く赤信号にひっかからず、南に向かう御堂筋にズラリと並ぶ信号がどこまでも青信号の連続で、きわめて爽快に疾走。おお、爽快きわまりない。こういう人生の疾走というのもあるのだ。
とこや
(道頓堀、ただの床屋でもこんなにディープである)

 ウワバミちゃんは、若い頃あんまり赤信号が続くのに耐えきれなくなって、ちょっと脇道に入ってみたら、ありゃりゃ、突如としてどこまでも青信号の連続。爽快なのでアクセルを踏みっぱなしにしておいて、気がつくと、本来行きたかったところと全くかけ離れた場所に行き着いて、そこでどうやら大喝采を浴びている。何だかそういう感じであるが、別にそれもかまわない。パリに行こうとして、ふと気が変わってリオデジャネイロ行きの飛行機に乗って、到着したリオが楽しくてたまらなければ、決して悪いことではない。思いっきりリオを楽しんでから、またじっくりパリを目指せばいいだけのことである。しかもウワちゃんにとって、思いがけず到着したこの「リオ」が今も楽しく、やりがいに溢れているのは間違いないのだ。
 脇道に入ってみた30歳9月の選択が間違っていたとは思わないし、問題は「ホントはパリに行くはずだった」ということを忘れないでいられるかどうかである。広島の医学部生も、下北沢の眼科医も、20歳前の挫折で医師の道をいったんあきらめた。20歳前に赤鬼青鬼が立ちふさがって「ここから先に、キミは進めません」と意地悪な両手を大きく左右に広げたのだ。30歳を過ぎて、いろいろ壁にぶつかって、彼らはもう一度もともとの道に戻ってみようと決意した。すると、今度は青信号がどこまでも続いていたのである。
赤鬼
(立ちふさがる赤鬼。道頓堀で)

 道頓堀で入ろうと思っていた店は、御堂筋から東側に3~4軒目の「お好み焼き・門」である。2年か3年に一度、チャンスがあるたびに「門」を訪れて、豚玉/イカ玉/タコ玉/ネギ焼き、それにチーズとモチをトッピングしてもらって、店のオバちゃんの「東京いうても、田舎モンの集まりや」という説教を受け流しながら、冷えすぎて半分凍った生ビールを流し込んだものである。「マヨネーズが食べられないので、マヨネーズはかけないでください」という注文の仕方が、店のオバちゃんから見るとたいへん奇異に映るらしく、「2年に1回」でもチャンと記憶してもらえる。ヒゲに丸刈り頭もオバちゃんの記憶の助けになるはずである。
 ところが、2010年3月、「お好み焼き・門」はすでに影も形も残っていない。あったはずの店は、おそらくはそのまま「居抜き」で「もんじゃ焼き」の店に変わっている。まあ、もともと大阪の食通を唸らせるほどの「メッチャ安くてメッチャ旨い」店ではなかったのであるが、おお、完全に影も形もない。しかも、その跡地に出来たのが、こともあろうに「大阪のもんじゃ焼き」である。諸君、「大阪でもんじゃ焼き」のミスマッチを考えたことがあるだろうか。ハワイで雪だるま、ニューヨークでシャンソン、北京でディズニーランド、パリでインドカレー、カイロでキリタンポ鍋、大阪でもんじゃ焼き。要するにそういうミスマッチの世界に、我が馴染みの「お好み焼き・門」はとってかわられてしまったのである。
くれおーる
(道頓堀「くれおーる」)

 そういうわけで、馴染みの店に姿を消されてしまったウワバミどんは、高く掲げた鎌首もヘナヘナ力が入らなくなってしまい、すっかり気力も衰えて「お好み焼きなら何でもいい」という気持ちになった。その状態で入った店が「くれおーる」。は? お好み焼きで「くれおーる」。こりゃなんじゃ? 看板を見ただけで再びヘナヘナ状態になった。ここの店先で東進熊谷校出身の慶応大生に出会い、その妹も東北大学理学部に合格したばかりで、店先とは思えないたいへん丁重な挨拶を受けたことはすでに書いた通りである。