Tue 100302 雨の中洲から天神へ 餃子「テムジン」 全日空ホテルからの寂しい眺め | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 100302 雨の中洲から天神へ 餃子「テムジン」 全日空ホテルからの寂しい眺め

 3月6日(スミマセン、おなじみ「昨日の続き」です)、久留米講演会の後は珍しく「お食事会」がなかったので、のんびり福岡で飯を食うことになった。駿台時代の後半3年間は週に1回福岡校に出張していたから、土地勘も十分にあるし、まあ馴染みの店もなくはない。ホテルのコンシェルジュに相談することもなく、いわゆる「ブラリと街に出る」みたいなことをやっても、それで途方に暮れる結果になることはなさそうである。
 とりあえず中洲の屋台に入ることに決めて、ANAホテルからグランドハイアットまでタクシーに乗った。グランドハイアットから中洲の屋台が出ているあたりまでは、川沿いに歩いて2~3分である。ところが、タクシーを降りてすぐに雨が降り出した。あいにくその雨が本格的な雨である。コンビニで500円の傘を買ったものの、これほど本降りになってしまっては「ブラリと街に」の風情ではなくなってしまった。
 本降りの雨では、中洲の屋台が開かない。雨が降り出す前から開いていた屋台が10軒ほど、「寂しく肩を寄せあいながら」という感じで細々と営業しているだけである。分厚いビニールのカーテンで周囲を覆い、中には明らかに常連、常連というより仲間うち、仲間というより親戚/身内、そういう商売ヌキの穏やかな団欒が始まっている。さすがのカニ蔵くんも、身内の団欒に堂々と闖入するほどの勇気はない。以前2回入ったことのある「栄ちゃん」という屋台が目当てだったのだが、入らずに知らんぷりして通り過ぎてしまった。
 何よりいけないのは、タバコのケムリの充満である。狭い屋台をビニールの幕で覆い、中には大の男が7~8人、その7~8人が例外なくタバコを指にはさみ、遠慮会釈なく薄紫のケムリを濛々と吐き出している。すでに中の空気は薄紫の寒天かゼリーのように濃く固まっていて、ナイフで切ろうと思えばホントに滑らかに切れそうである。邪魔されたくない仲間内の団欒をゼリー状の空気で象徴的に表現すれば、こうしか表現できない、そういう親密さと濃密さなのであった。
テムジン1
(餃子のテムジン・親不孝通り店 1)

 中洲がこの状況なら、長浜まで足を伸ばしても同じことだろう。ガッカリして、何の当てもなく雨の中をほっつき歩くことになった。他に目当てといえば、15年近く前の駿台時代に通った店だけである。ところが、時の流れというのは恐ろしい。かつての常連店のことごとくが姿を消してしまっているのである。中洲から天神に向かって、雨の中ビニール傘をさして歩き回ったが、選択肢の1軒1軒が消えてしまっているのを次から次へと確認するだけのことであった。
 駿台時代の定宿は天神の西鉄グランドホテルである。その目の前の焼き肉屋「じんじん」も何度も通った店であるが、少なくとも以前の場所には影も形もない。福岡から帰って調べてみたら、どうもどこかに移転してしまったらしい。
 途方に暮れたクマどんは、「じんじん」のあったビルの1階「ロシヤ料理・ツンドラでもいいかねえ」というヤブレカブレになりかけた。しかし、考えてもみたまえ。ロシアじゃなくて「ロシヤ」とは、おそロシヤである。しかも「ツンドラ」である。諸君、ツンドラでげすよ、ツンドラ。その凍りついたコケみたいな店の名前はなんじゃ? あたしゃ、飢えかけたシカやトナカイではありません。立派なクマであり、立派なウワバミでありオロチであるこの今井君には、さすがにツンドラのコケを食べてプライドをかなぐり捨てるだけの勇気は出なかった。
 こうして1時間ほど徘徊したあげく、親不孝通りの餃子「テムジン」に入った。福岡の有名店であるが、何のことはない、元の勤め先の目と鼻の先、渋谷区代々木1丁目に「テムジン東京店」が出来て、「福岡でなければ食べられない」というほどの店ではなくなってしまった。さすがにちょっと悔しいが、1時間雨の中を徘徊したせいでちょうどよく腹も減った。餃子5皿、日本酒6合、合間合間にビールで口をすすぎ、雨に濡れた憤懣を沈めることが出来た。
 もっとも、「親不孝通り」の名称を考えるとやっぱり寂しくなる。かつてこのあたりは福岡の地元有名予備校のメッカ。九州英数学館と水城学園の巨大校舎が立ち並び、浪人生がウヨウヨしていたことから「親不孝通り」の名前がついた。今井どんの駿台時代に、すでに英数学館は閉校になっていたが、今や水城も影も形もないのである。昭和は遠くなった。
テムジン2
(餃子のテムジン・親不孝通り店 2)

 さて、ビジネスホテルと予備校が駅前の景観を破壊していることを、このブログで何日か前に嘆いておいた。京都は駿台、仙台は代ゼミと河合塾と駿台がそろい踏み、名古屋は河合塾と代ゼミの看板が占拠。3月21日の夜、千葉の津田沼駅を通過した時には、夜空に浮かぶ「駿台」「代ゼミ」の巨大看板に驚きの声を上げた。何もこんなに意地を張ってケンカしなくてもいいんじゃないか。ケンカのせいで、朝の駅前の爽やかな空気も、本来ならもう少し色気があって然るべき繁華街の夜空も、何だか醜い予備校サバイバルに小汚くケガされてしまったようである。
 博多の場合、全日空ホテルからの眺めの全てを代ゼミに奪われてしまったのである。窓を開ければ、とにかく何が何でも代ゼミが見える。「窓を開ければ、美しい夜景が広がる」「窓を開ければ、古都の山と川が一望」なら、一流ホテルの格式もさらに上がるだろうが、「窓を開ければ、代ゼミが立ちふさがる」では、残念ながらそのホテルは「ビジネスホテル」まで一気に格下げである。
筑紫野
(博多全日空ホテル「筑紫野」からの展望)

 本来なら「窓を開ければ、港が見える」であって、昭和の名曲「別れのブルース(淡谷のり子)」もそうだったし、別役実にも同じタイトルの芝居があった。今や、2階のメインバーからも、15階の高級和食店「筑紫野」からも、「窓を開ければ代ゼミが迫る」である。
 「筑紫野」では、昔の日曜日ならお見合いとか密会とか中年カップルの初デートとか、そういう艶めいた出来事もたくさんあったはずである。代ゼミがこうも大きく窓からの景観を占拠したのでは、艶めいた雰囲気なんか生まれようもない。まだ3月初旬というのに「浪人生いらっしゃい」を意味する「新学期生募集」の巨大看板が掲げられ、しかし立ち寄る「新学期生」の姿はほとんど見えず、寒々と冷たい3月の雨が降りしきるばかりであった。