Sun 100228  久留米の記憶 大昔の春日部の塾で出会った徳永氏(仮名)との大ゲンカ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 100228  久留米の記憶 大昔の春日部の塾で出会った徳永氏(仮名)との大ゲンカ

 3月6日、佐世保から特急「みどり」に2時間の乗車で博多に戻る。博多も雨模様。風も強い。今日6日は福岡県久留米で講演会なのだが、開始が15時だから、先にホテルにチェックインしてゆっくりするという計画である。ただし、ホテルに着くのが早すぎて、1時間半ほどロビー横のコーヒーショップで時間をつぶすことになった。博多駅前の全日空ホテル、いろいろあったらしくて、4~5年前から名称がANAクラウンプラザホテルに変わっている。
 久留米に向かう前に博多駅のラーメン屋に寄って、信じがたいほど激しい豚骨臭の充満する中で、ラーメン1杯をオロチ食いした。講演会前だからウワバミのほうはもちろん厳禁。講演が終わって博多に帰ってくるまで、約6時間はウワバミに寝ていてもらわなければならないから、ラーメンのスープをがぶ飲みして欲望を抑えた。欲求不満になることばかり多い世の中である。こうして、ひとり寂しく久留米に向かうオロチ君であった。
リレーつばめ
(「リレーつばめ」で久留米に移動する)

 久留米は十数年ぶり、2回目の訪問である。前回は知人の結婚式に招かれたからで、久留米の有名な結婚式場「創世」での結婚式に出席して、そのまま寝台特急「はやぶさ」で東京にトンボがえりした。「知人」と書いて、あえて「友人」としないのにはワケがあって、あのとき招いてくれた徳永氏(仮名)との間には、決して暖かな友人関係なんか存在しなかったのである。どちらかと言えば「冷たく反目しあう」という感じ。久留米に宿泊もせずに「はやぶさ」でトンボがえりということにしたのも、そのせいである。
 そもそも、なぜ徳永氏(仮名)に結婚式に招かれたのかさえよくわからないのだ。今井カニ蔵どんは、電通を辞めた後、アルバイト気分で塾講師をしていた時期があるが、その塾の春日部支店で出会ったのが徳永氏。ラサール高校出身で早稲田大学第一文学部卒業というのだから、その経歴は輝かしいようにも、挫折したようにも、どちらにも取れる。今井は中学と高校の英語を担当、カンタンには評判が上がらなくてイライラしていた。徳永氏(仮名)は中学数学の担当。彼も「自分は中学数学なんかじゃイヤだ」と考えて、やはりイライラしていて、この辺が「冷たい反目」の原因だったのである。
 本人は彼の人生を「100%挫折」と捉えていた。競馬/競輪/麻雀/パチンコその他、ありとあらゆるギャンブルの鬼。塾講師としてもなかなか特異なキャラクターで、今の今井どんならきっと物凄く仲良くなると思うのだが、残念ながら当時はまだカニ蔵のハサミもギラギラ輝いていて、アルバイト先のこの塾を目一杯バカにしたような彼の態度がどうしても気に入らない。同じクラスを担当して、英語と数学で「超人気」といえる人気を2分するハメになったのも、もともとケンカする運命だったのである。
むかし1
(大昔、徳永氏(仮名)とケンカしたころ)

 こうしてある夜、春日部から連れだって帰る東武線上り準急電車の中で大ゲンカになった。23時過ぎである。今井カニ蔵は松戸駅前に住んでいたから、北千住まで上り電車に乗る。徳永氏の家はどこだったか覚えていないが、とにかく「自分ほどの天才が、中学数学、しかも春日部勤務であること」に不満タラタラで、人気を2分中のクラスについても不満タラタラ。「春日部なんかだから優秀に見えるけれども、あれを母校ラサールに連れていったら、ただのアホでしかない」というようなことを平気で言うのである。
 少し酒が入っていたかもしれない。泥酔ならいいのだが、中途半端に酒の入った状態を「生酔い」と呼んで、酔っ払いの中で最もタチの悪い「からみやすい」という状況になる。天才気取りの男と、尖ったハサミのカニ蔵くんが、不満タラタラの生酔いで対峙したのだからたまらない。ケンカは、おそらく生理的な嫌悪感が生涯なくならないような、根の深いケンカになってしまった。
むかし2
(徳永氏(仮名)と喧嘩した塾で。講師は白衣を着て授業にでた)

 特に気に入らなかったのは、徳永氏(仮名)が早稲田で彼の先輩だった塾講師・久保さん(仮名)の家来のように媚びへつらっていたこと。久保さんというのは、どこがいいのかカニ蔵くんにはサッパリ分からなかったが、とにかく中学生には大人気の英語講師で、父兄の信頼も篤い。それに対して当時の今井どんは天才気取りばかり目立って、教える実力はクエスチョンマークが消えない状態。徳永氏は先輩・久保氏にへつらって家来か子分のように同調し、「一心同体」という有り様。酔っ払った時にだけ、こっそり先輩の悪口を言って寂しく笑う。そういう、今井君の一番嫌いなタイプだったのである。
 徳永氏とは、その後4ヶ月ぐらい同じ建物の中で仕事をしたが、翌年今井どんはその塾の「せんげん台校舎」の校舎長になって異動したから、それ以来1度も会っていない。こういう冷たい反目の中で、久留米での彼の結婚式に呼ばれたのだから、まさに半信半疑であったが、「ケンカ直後だから行きたくない」とダダをこねるわけにもいかない。当時から乗りテツの片鱗を示していたクマどんは、新幹線も博多まで「こだま」を乗り継いで旅費を安く上げ、帰りはあの当時まだ現役だった寝台特急「はやぶさ」を利用して、ケンカ中の同僚と共に過ごす時間を短くすることに懸命だった。
むかし3
(徳永氏(仮名)と喧嘩した塾で。自慢の合格実績とともに)

 それでも、この旅行の記憶はさんざんなものである。
(1)久留米駅のコインロッカーに荷物を入れたまま、それを忘れて東京まで戻ってしまった。カギを郵送し、荷物を宅配で送り返してもらって、余計なお金がかかった。
(2)酔っ払いすぎて、寝台車のベッドで財布をなくして大慌てになった。幸い、近くの寝台にいた中年女性3人組が財布を拾って「もし、財布が落ちてましたが」と手渡してくれた。「もし」という呼びかけも懐かしいが、命の縮まる思いだった。
(3)同行した当時の上司・原沢氏(仮名)がそれなりの変人。50代後半と思われる独身のオジサンで、国語の先生だが下手なアジテーションで生徒を呆れさせるだけという昔カタギの人であった。「はやぶさ」で、朝起きてすぐにロビー・カー(「はやぶさ」に連結されていたラウンジのある客車)に連れていかれ、「今井君は飲みが足りないようだから」と、缶ビールの中に大量のサントリー・レッドをドボドボ注ぎ入れ「一気に飲みなさい」と迫られた。静岡あたりだっただろうか。
 以上、今井君の久留米についての過去の記憶は、こんなものである。3月6日12時半、久留米到着。曇り空、雨はやんでいたが、冷たい強風が吹き荒れていた。

1E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 12/18
2E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 1/2
3E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 2/2
6D(DMv) DEAD POETS SOCIETY
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