Tue091215 市ヶ谷で2009年最後の講演会 基礎力重視を訴える 今井をもっと呼んでほしい | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue091215 市ヶ谷で2009年最後の講演会 基礎力重視を訴える 今井をもっと呼んでほしい

 14日に成田を出てフランクフルト経由でウィーンに向かう予定だったから、12日の市ヶ谷での講演会が10月から12月にかけての一連の講演会の締めくくりであり、2009年最後の講演会になる。2010年はもっともっとたくさんの講演に呼んでほしい。呼ばれれば呼ばれたなりの大きな成果を出せる自信もあるし、実際に代ゼミから東進に移ってからの5年間、実施した講演のすべてにおいて期待された以上の成果を上げてきたつもりなのであるが、残念なことに「もうこの程度で勘弁してください」と今井が弱音を吐くほどの講演依頼はまだ来ていない。まだまだ余裕で引き受けられるし、余裕は心にも身体にも漲っていて、呼ばれれば呼ばれるほど、講演回数に比例するように講演内容もますます向上することは間違いない。このブログを読んでいる校舎担当の方も多いと思うが、2010年こそ、一切の面倒な遠慮を省略して、どんどん今井を呼んでほしいのである。


 12日、市ヶ谷は、余りに近い。幡ヶ谷の駅にやってきた電車が都営新宿線の急行であったりすれば、停車する駅は、初台、新宿、その2つだけ停車して、後はいきなり市ヶ谷である。最短6分だか7分だかで市ヶ谷なのだ。それなのに、市ヶ谷校で公開授業を行うのは4年ぶり。うにゃにゃ。もっともっと積極的に呼んでほしい。

 

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(市ヶ谷講演会。制限時間2分で問題を解かせつつ)


 市ヶ谷は「医学部予備校」の密集地域である。駿台でも、河合塾でも、要するに「ターゲット高校」がこの近くに軒並み並んでいて、「医学部特化」をデカデカと看板にうたえば、それだけで優秀な生徒がいくらでもつめかけてくる、まさにおいしい地域なのである。駿台や河合塾が三越や伊勢丹タイプの百貨店だとすれば、鉄緑会だのSEGだのZ会だの、その手の自分たちでは「高級ブランドショップ」のつもりでいる店もひしめいている。彼らも彼女らも(「彼女ら」の方が多い地域だが)、東急百貨店本店にも出入りし、ブルガリなりフェラガモなりのブランド店にも出入りして、その程度のことで上流階級気取りになっている世田谷マダムと同じような消費行動をとるのである。


 今井なんかは、その辺がどうも釈然としない。市ヶ谷とか四谷とか麹町とか、この地域の有名高校に通う諸君などというのは、小学校低学年からタップリ塾に通い、塾に首までズッポリ埋まって育ち、それどころか3才4才の幼児期から「小学校お受験」で「クマさん歩き」「ゾウさん歩き」で鍛えられ、ほとんど塾の禁断症状が出ているような人たちが少なくない。要するに塾歩きのベテラン。だれでも「塾・予備校の歩き方」を執筆できるほどの達人ばかりのはずである。


 そういう達人の目で、冷静に市ヶ谷の街を見渡せば、「何もそんなに張り切って百貨店やブランドショップの袋を振り回さなくてもいいんじゃないか」ということぐらいはわかりそうなものである。だって、合格したいのは、せいぜい東大か医学部かである。定員を考えれば、全国で3000番以内の成績をとれば、楽々志望校に入れるし、5000番ぐらいだって何とかならないことは決してない。普通に基本を学んで、泥臭く基礎力を頑丈に固めて、センター試験の問題ならだいたい完璧にできる、そういう勉強が一番効率的なのは自明のことなのである。


 ヴィトンのバッグ、フェラガモの靴、フラダの服で全身を固め、ブルガリのウォッチに、後は何だかよくわからないがありとあらゆるアクセサリーを身につけて、フェイシャルにネイルにメイクに全力を尽くし、最後にフラゴナールなり何なり、香水をシャワーのように浴びる、そんなところである。今井カニ蔵が感じるのは、窒息して死んじゃうような、そんなバカなゴテゴテやジャラジャラは、必要ないばかりか、見苦しいだけなんじゃないか、ということである。


 塾の達人である彼ら彼女らこそが一番理解しているであろうそういう道理が、市ヶ谷では忘れ去られているような気がする。もともとこの地域の超有名高校に通う子供たちは、他人も羨む最高レベルの高校で教育を受けられるのだ。本来なら塾なんか一切通わなくても、高校の勉強だけ100%こなしていれば、東大でも医学部でも楽々合格できるはず。何を浮き足立ってそんなにゴテゴテ&ジャラジャラやっているのか、理解に苦しむほどである。


 つまり、10年前にとっくに終わった受験バブルが、この地域でだけはいまだに進行中なのだ。東大突破や医学部突破のためなら、明らかに不必要と思われる高級素材を相手に、四苦八苦すればするほど、罵られれば罵られるほど、嬉しくてたまらない。冬の夕闇の中にありとあらゆる予備校の看板が浮かび、その林立する中を、生まれてこのかた常に優秀と絶賛されつづけた高校生たちが、その絶賛を受け続けるためにだけ、必要ないとわかっている高級品を求めて右往左往している、それが実態であるように思えてならない。


 一般の高校より2倍も3倍も速くカリキュラムを進める中高一貫校に通って、そういうゴテゴテやジャラジャラは高校の授業でもう十分なはずである。それなら彼らに不足するのは、むしろ「一般の高校のようにじっくり進んだ場合にしか身につかない、地に足の着いたガッチリした基礎力の充実」である。


 比喩が陳腐で誠に申し訳ないが、寒冷地でゆっくり愚直に成長した木材は、成長の極端に早い熱帯の木材には求められない、安定した硬質生と安定感がある。同じように、優秀優秀とおだてられてきた高校生が塾や予備校に求めるべきモノは、ジャラジャラやゴテゴテではなくて、カシ材やブナ材の硬質性に似た、信頼できる基礎力の構築なのである。

 

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(基礎が大切)


 おそらく身びいきもあるのだが、東進の市ヶ谷校に一歩踏み込むと、そういうジャラジャラ&ゴテゴテは全く感じられない。これは東進の校舎では確実に感じることのできる落ち着きと、しっかり地に足の着いた硬派な姿勢である。高2なり高1なりで、いま英語でやるべきことは、単語と文法を徹底して鍛えること。それがしっかりわかっていて、わかっていることにマジメに真剣にジックリ取り組んでいる。


 軽薄な生徒ほど「超長文速読」とか「コミュニケーション英語」とか、どこかで聞きかじった流行らしい用語を振り回して、その実なんの努力もしていないのが見え見えなのだが、少なくとも東進生でその手のコドモは少数派である。ゴテゴテ生きようと思えばいくらでもゴテゴテできる環境にあるのに、あえてゴテゴテしようとせずに、やるべきことに絞って愚直に熱中している姿はなかなか天晴である。大学受験などというものは、愚直に前進しつづけた者が確実に勝利できる、幸せな世界なのだ。


 2009年最後の講演会が市ヶ谷校だったのは、以上のような考えを確認できたという意味でも幸いだった。場所が市ヶ谷であったにもかかわらず、それでも今井どんは信念通りに、基礎を重視し、基本から離れず、無駄な高級品志向の愚かさを説き、それを聞いた受講生たちの顔はどんどん輝いていった。いつもと同じような爆笑の渦になって、よし、それなら来年も迷わずに、単語・文法その他の基礎力の充実の重要性について、全国を飛び回ってこちらも愚直に訴え続けようと心に決めるのだった。


 出席者数100名弱、19時開始、21時終了。校舎にいた高3生を中心にサインを求める者が長い列になった。高3生なら、この時期にはどんどんサインに応じることにしているのである。校舎を出たのは、すでに22時に近い。校舎前でタクシーを拾うと、代々木上原まで1500円でたどり着いた。直線距離でも、市ヶ谷はすぐそばなのである。


 全国の校舎担当者の方で、生徒が基礎力を軽んじて困っている、オシャレに見える実は軽薄な勉強法に傾きがちで閉口している、そういうときには是非とも今井を公開授業に呼んでいただきたい。私は(代ゼミ時代はともかく)いまはすっかり硬派な人間なので、基礎をしっかりジックリ固めることの重要性を、誰よりも生徒に強く訴えかけることができると自負できるのである。