Wed091209 表三郎「日記の魔力」twitterで「さえずる」より、日記かブログにしたまえ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed091209 表三郎「日記の魔力」twitterで「さえずる」より、日記かブログにしたまえ

 「第三文明」は創価学会系の雑誌であって、読者の大半は学会員と思われる。創価学会について、私は別に共感はいだかないし、逆に何の偏見も反感もなくて、言論の自由も信教の自由もしっかり認められたこの国で、何を言っても何を信じても自由なのは当たり前である。というか、余りに無関心すぎて、高校を出るぐらいまで、それが何であり、誰の思想をもとにして、どんな目的をもち、どんな活動をする団体なのか、サッパリ分からなかった。要するに、あのころ今井どんは無知だっただし、今でも全く関心がないことは昔と変わらない。


 しかし講読している朝日新聞の欄外に、月に一回「第三文明」とか「灯台」とか、そういう雑誌の広告が出ることぐらいは知っている。広告が出れば、何しろかつて在籍した会社が広告代理店であるから、何となく興味をもってその広告だけは読むことになる。そこに知っている人の名前が掲載されていれば、なおさらである。6~7年前、代ゼミの現代文の先生(関脇小結クラスですかね)の名前が出ていた時もそうだったが、来年1月号の広告には、駿台時代お世話になった表三郎先生の名前が大きく出ていた。読む人の大部分が学会系の人であっても、執筆する側はそうとは限定せずに、いろいろな立場の人から自由に選択しているらしい。

 

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(日記、書いてみようかな)


 表三郎師については、首都圏の生徒たちは駿台生でも知らないかもしれない。彼はもう30年も前から関西の駿台の超大物講師なので、京都や大阪や福岡の駿台なら、表三郎を知らない生徒はまずいない(はずだ)。「知らなければモグリ」と言えるほどである。今井君は、東京の駿台の講師時代、1週間に1回の割合で福岡に出張していた3年間があって、その3年間だけ表三郎師のお世話になった。


 もちろん、先生の評判とか名声とかについては、それより遥かに以前の大学学部生の頃からよく知っていて、生きて動いている人間としてより、いわば「現象として」存じ上げていた、そういう感じである。最初のころ「表三郎」の3文字がファーストネームで「ヒョーザブロー」なのだと信じて疑わず、「ラストネームはどこにいったんだ?」と本心からボケていたことさえあった。だから福岡で始めて先生とあった時は「お、ホンモノだ!!」という、憧れの先生に出会った生徒独特の反応をしてしまった。


 表師は、伊藤和夫師批判でも有名。熱意のあまり、その批判が激烈になりすぎ、激烈な批判がそのままご自身に跳ね返ってくるキライがあって、「表といえば、伊藤和夫批判」と決められてしまうのが悲しいところである。大昔お世話になった立場としても、「何もそこまで激烈な批判を続ける必要はないのではありませんか?」「それさえおヤメになってくださればと存じます」と言いたいぐらいである。

 

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(今は、通販に夢中 1)


 さて、こういうことを書いたのは、表三郎先生が4~5年前だったかに書かれた「日記の魔力」(サンマーク出版)について、若い読者諸君にも知っていただきたかったからである。今回「第三世界/1月号」に執筆されたのも、出発点はここであるから、創価学会の雑誌を本屋で周囲を気遣いながら(なぜ周囲を気遣うかは問わないことにする)無理して参照しなくても、サンマーク出版のこの本を読んだ方がいい。日記をつけるという習慣がどれほど人生を大きく変えるか、先生独特の激烈な語り口調で説かれていて、まあ一読に値する。


 ただし、もちろん無理して購入しなくてもいい。「立ち読み」でもいいし、「目次だけ」でもいい。今井どんは、週刊誌や月刊誌は「新聞広告だけ」、新刊書のほとんどは「新聞雑誌の書評だけ」、ビジネス書や自己啓発本は「目次だけ」で済ませる主義である。10年前なら「目次だけ」でも一応は街の書店に足を運んだものだが、今や目次だけならパソコンをちょっといじれば見られるのだから、「明日本屋に出かけて」「今日こそ書店で見つけて」とかいっているうちに忘れてしまうより遥かに効率的である。

 

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(今は、通販に夢中 2)


 30代半ばまでの若い諸君なら、この本の目次をAmazonで「クリックなか見検索!!」すれば、それこそ「人生を劇的に変える習慣」を今日から始める可能性が低くはない。まあ、難しいことを言っているより、とにかく今日から日記を書きはじめたまえ。表先生の本を熟読するより、目次だけさっと眺めて、「よし、やってみるか!!」と、どこまでも軽薄に、ほとんど軽挙妄動と言われるぐらい気楽に、今夜から、5~6行の日記を書きはじめたまえ。「今日やったこと」と「明日やる予定のこと」だけ、感想を交えずに平凡に書き連ねるだけで十分なのだ。


 目次の中の「感想は書かぬこと」「読書の一環として絶えず日記を読み返すこと」などは重要。ぜひとも目次をプリントアウトして、日記の裏表紙に貼り付けておきたまえ。もちろん、それをブログにまで発展させることができれば、なお素晴らしい。受験も、シューカツも、日々の仕事も、要するにほんのわずかでいいから順調に動き出せばいいので、静止している時の摩擦係数が、いったん動きだせば驚くなるほど小さくなるのは、日々の生活でも同じこと。日記は「とにかく動いていることの重要性」を絶えず認識させてくれるのである。

 


(やっぱり、日記やブログは恥ずかしいかも)


 どうも、TWITTERというものに押されて、ブログの旗色が悪いようである。おそらく世界中で、ブログ全体の投稿数も参照数も急激に減少している。確かにブログということになると少しは文章を書かなければ成り立たないわけだし、日記さえ書くのがめんどくてウザイというヒトにとっては「つぶやき」なり「ぼやき」なり「さえずり」で済んでしまうものの方に傾きがちなのは理解しやすい。


 しかし「つぶやき」や「ぼやき」や「さえずり」では、思考という形をとるのが困難だし、読み返して自らを鼓舞するような魔力も残らない。ここは多少面倒でも、日記orブログに踏みとどまるべきなので、30年にわたって関西に君臨し続けた、表三郎という激烈な予備校講師の声に、ぜひ耳を傾けてほしいところである。特に、「では新年を迎えるまで保留」「年が改まったら始めよう」は厳禁。新年を迎えて始めたことが10日でも2週間でも続いた試しがあったかどうか、ぜひ自問してみるべきである。

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2E(Cd) Martinon:IBERT/ESCALES
3E(Cd) Bruns & Ishay:FAURÉ/L’ŒUVRE POUR VIOLONCELLE
6D(DvMv) PROOF OF LIFE
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