Mon 091207 新宿から国立競技場まで歩く イチョウの色が薄い 早明戦の記憶を語る人々 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 091207 新宿から国立競技場まで歩く イチョウの色が薄い 早明戦の記憶を語る人々

 6日日曜日、前日にいろいろ決意を固めた上で、ちょっとマナジリを決するような思いで国立競技場に向かった。よく晴れた暖かい日で、午後1時の段階で気温は17℃まで上昇した。マナジリを決して出かける以上、いきなり千駄ヶ谷からとか、いきなり信濃町からとか、そういう軟弱なルートではいけないので、12月の爽やかな空気を楽しみながら、新宿から国立競技場まで20分強の道のりをしっかり歩いていくことに決めた。南新宿のJR東日本ビル前を起点に、代々木、千駄ヶ谷を経由して国立競技場に向かうのである。かつて予備校2強が30年にわたってつば迫り合いを繰り広げた地域。しかし今や戦いの場は新宿に移動して、代々木駅前でも受験生の姿は目立たないし、河合塾千駄ヶ谷校舎跡地は空き地のままである。


 さて、どうしてこんなにマナジリなどを決して、たかがラグビー観戦に肩をいからせているのかといえば、
(1)2週間にもわたったしつこい風邪と、今日こそ決着をつけてしまいたい
(2)昨日の「慶応よ、負けてくれ」という間違った応援の仕方を修正しておきたい
以上2つの理由からである。だいたい、風邪をひいたぐらいで弱気になり、「クスリを飲んで大人しくしている」などと言って自分を甘やかしているから、いつまでも風邪がこちらを見くびって長々を居座るのだし、弱気の虫のせいで正しいスポーツ観戦の基本さえ忘れてしまう。これではダメなので、しっかり歩いて身体を動かして、悪い風邪と弱気の両方を身体から払い落としてしまわなければならない。


 千駄ヶ谷あたりから、美しいイチョウ並木になるのだが、今年のイチョウは色が薄いようである。本来なら、黄色がもっともっと濃くなって赤味がかってこなければならない。緑の残ったレモン色では、初冬の風がいっそう冷たく感じられるばかりである。オレンジ色とまではいかないが、もとの緑色がすっかり消えて赤みがかったところに、冬の赤い夕陽が降り注ぐ時が一番美しいように思う。

 

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(落ち葉の匂いに酔う)


 国立競技場到着、13時。当日券はもう自由席しか残っていない。昨日の慶応の敗戦のおかげで早稲田の対抗戦優勝が見えてきたから、思いのほか観客の出足がよかったようである。もちろん明治サイドは最初からこの一戦にかけている。ここまでで3勝3敗、帝京大学には56対0でなすすべなく敗戦、すでに5位が確定。そういう状況で「早稲田戦の勝利に全てをかける」という気持ちは当然であって、それならば選手たちはもちろん、明治を応援する観客も全力を尽くしてほしい。熱烈な早稲田ファンのほとんどが、実は明治ファンでもあるのだ。


 ただし、競技場に入ってみると、やはり観客の出足が悪いのを痛感する。13時、キックオフ1時間前になっても、3割程度しか客席が埋まっていない。しかも、何と言っても学生たちの出足が悪い。自由席に座ってみると、周囲に目立つのは中高年ばかりである。中高年の団体、中高年の夫婦、10歳ぐらいの息子や娘を連れた40がらみのお父さん、要するに同世代の同窓会みたいになっているのである。


 彼らの会話を聞いてみると、やっぱり同じことを嘆いている。
「むかしは、こんなことは決してなかった」
「早明戦は『プラチナ・チケット』といって、自由席でも何でも10月には売り切れていたものだ」
「前の晩から列を作って、競技場の周囲に泊まり込んだものだ」
「キックオフ1時間前には、もう完全に満員になっていたものだ」
中高年の団体は誰に向かって言うもなく、お互いにそういう慨嘆にふける。お父さんは娘に向かい、夫は妻に向かって、そういう昔話をして夢みるような目で聖火台の方を見つめている。そういう話は、予備校の盛衰とも完全に一致するように感じるのだが、まあ今日はその話はやめておこう。

 

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(思い出に酔う)


 娘も息子も信じようとしない。サッカーなら、野球なら、「満員」ということもあるだろうが、あんなにルールが複雑で、いつも男たちがモコモコ集団でおしくらまんじゅうをしているような変なスポーツで「国立競技場が6万人近い観衆で満員なんて、あるはずがない」と反論するのである。80年代のサッカーが、天皇杯準決勝ですらどれほどガラガラだったか、知らない世代なのだから仕方がない。あのころ、古河vsフジタ、ヤンマーvs三菱重工、雨でも降ればほとんど誰も観客のいない貧寒としたスタジアムで、濡れた枯れ芝だらけのボールだけが寂しく行き来していたものである。


 早明戦全盛期の1980年代、本城や吉野が縦横に走り回り、今泉と吉田がタックルの応酬を続け、12月の雪が国立競技場を白く覆い、早稲田ゴールラインからわずか5mで20分以上もスクラムを押し合い、スクラムからは湯気が濛々とあがり、泥だらけになった双方の選手たちは、遠目ではもう見分けもつかない。ノーサイドの笛が鳴れば、どっちが勝ったか確認する前にまず観客は全員立ち上がって拍手喝采する。毎年必ずと言っていいほどそういう奇跡が起こっていたころは、確かにこの時間帯から競技場は満員。確かに6万の観衆が見守り、そこいら中で双方の校歌応援歌の歌声が巻き起こったのである。

 

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(記憶に酔う)


 お父さんたちは、みんなマジメな顔でその思い出を息子や娘に語っている。おそらく松任谷由実「NO SIDE」を聞いて高校生時代をおくり、それでラグビーを見始めたという世代である。やがてお父さんたちの昔話は、「押す明治」「耐える早稲田」の思い出から、昔の定番「重戦車明治」「展開の早稲田」の記憶、さまざまな名選手の奇跡、北島監督と大西鉄之祐監督の対照へと、ビール片手に果てしなく続くのであった。

1E(Cd) Diaz & Soriano:RODRIGO/CONCIERTO DE ARANJUEZ
2E(Cd) Miolin:RAVEL/
WORKS TRANSCRIBED FOR 10-STRINGED & ALTO GUITAR
3E(Cd) Queffélec:RAVEL/PIANO WORKS 1/2
6D(DvMv) AUSTRALIA
9D(DvMv) BURN AFTER READING
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