Sun 091206 いまだに風邪が完治しない ラグビー慶応vs帝京を不健全な気分で観戦 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 091206 いまだに風邪が完治しない ラグビー慶応vs帝京を不健全な気分で観戦

 風邪だからといってもう2週間近くもブラブラ&ダラダラしていて、外出も飲み会もほとんどなし、せいぜい外出しても近所の郵便局で速達をだし、ネコの記念切手をたくさん買い込んできてホクホクしている。これでは、まるで引退後の生活みたいである。人というものは「仕事こそ生き甲斐」なのであって、引退した直後は、引退後特有の鬱状態になったり、アルコール依存症状が出たり、たいへん危険な危険がそこいら中にたくさん潜んでいて、大いに危険であるらしい。そんなに危険ばかりゴロゴロしている生活を「風邪をひいただけ」で経験するのは危険すぎるぐらい危険なことなので、そういう危険きわまりないデス・トラップから逃れるために、どうしてもチャンとした外出をしなければ危険だと考えた。まさに頭の中は危険の飽和状態である。


 そういうことを如実に感じたのは、5日土曜日にテレビでラグビー「慶応大学vs帝京大学」を観戦していた最中である。土曜日の午後、テレビ観戦をするのに「ついついお酒を1杯」ぐらいは悪いことではないので、たったそれだけのことで「引退後的なアルコール依存症」などを心配したのではない。酒の量も「ウィスキーをロックで2杯」であるから、ラグビーみたいなむき出しの力のぶつかり合いを80分も眺めていたにしては、大いに健全で適量である。

 

2067
(立派な決意)


 問題なのは、観戦の態度である。この試合で慶応が勝てば、慶応の対抗戦優勝が決まる。帝京が勝てば、明日の早稲田vs明治戦で早稲田が勝利しさえすれば早稲田の逆転優勝になる。今やすっかり人気の低下してしまったラグビー、しかも関東地方の大学がたった8校だか9校だか集まって組織するリーグ内での優勝、要するにそれだけのことで、別に世界が変わるわけでもないし、日本経済に大きなプラスがあるわけでもない。だれも、びくともしない。しかし、大好きな早稲田に優勝してほしいから、そのためにはどうしても慶応に負けてもらわなければ困る。問題なのは、この「慶応が負けないと困る」「慶応、負けてくれ」というネガティブな態度での観戦である。


 ラグビーというのは、ネガティブな応援をしながら観るものではない。たとえ相手方(「敵」という発想はダメなのだ)のプレーであっても、それが好プレーなら笑顔で拍手を送るし、それが驚くほどの好プレーなら、スタンディングオベーションだってする。そういう観戦だから楽しいし、「あと味の悪いゲーム」というのは本来ありえない。万が一(といっても頻度は高いが)選手諸君がエキサイトして乱闘シーンに発展するようなことがあっても、観客席は決して「やれ」「もっとやれ」と囃し立てるようなことはなくて、「若者だから仕方ないが、とにかくフェアプレーを」という声を送ることになっている。


 だから「慶応、負けてくれないかな」という観戦のしかたは、やっぱり病気なのである。酒も飲んでいたが、ひたすら慶応のノックオンを祈ったり、慶応のパスミスを祈ったり、慶応の反則ばかり見えてしまったり、そういう状態でラグビー観戦をしていれば、自分が惨めであり、自分で自分の後味を悪くするばかりである。観戦歴30年を超える今井どんがあんな態度になったということは、やっぱり今回の風邪はタダモノではなかったのだ。

 

2068
(決意がゆらぐこともある)


 秋田の子は小学生からラグビー観戦に夢中になる。花園で優勝15回、決勝進出22回、ラグビーの世界では圧倒的ともいえる輝かしい歴史を刻んできた名門・秋田工業高校がすぐ近くにあるからである。「すぐ近く」どころではない。高校時代、今井君の家のお隣は「高桑栄一」さん。高桑さんは花園で秋田工業を3度も4度も優勝に導いた名監督だったのである。あの頃はすでに退職されて、九官鳥を飼っておられて、その九官鳥が毎週日曜日になると「キイチロー、ハヤクオキロ、モウ10ジダゾオー」と際限もなく連発していたが、その「キイチロー」が誰であったとしても、とにかくかつての名監督だったのである。


 そういう人が結構いきなり近所に住んでいたりして、秋田の人は、田んぼでカエルを探している子供から、山でキノコ採りに夢中のオヤジやオバーサンまで、驚くほどラグビーに詳しい人が多い。店先でイブリガッコやハタハタを選んでいるオバーさんを侮ってはいけない。彼女たちがひとたびテレビでラグビーを観戦しはじめるや、その博識には舌を巻く。
「いまのは、8番、オフサイドだんべ」
「ありゃあ、何でこのレフェリーは赤いジャージのチームのオーバー・ザ・トップを全部見逃してるんだべ?」
「左のプロップ、コラプシングでねが?」
ラグビー観戦しながら、密集の中の反則を的確に見抜く恐るべきオバーサンたち。今井君はそういうオバーサンの密集の中を恐る恐る生きてきた。

 

2069
(決意を忘れることもある)


 そういう長い観戦歴で、「負けないかな」「失敗しないかな」「ミスしろ、ミスしろ」と願いながらの観戦は始めてだったかもしれない。別に、カッコつけているわけである。いいじゃん、たまには。最初のトライをとった慶応の11番三木くんの走りは見事だったが、この日だけは「イヤなヤツだ」と感じるだけ。スピードはないが、重心を低く保って、タックルにかからない。ニュージーランドからの留学生を含む帝京の大男たちの間をかいくぐって、小さなステップで走り抜けた彼の好プレーを、讃える気持ちにはなれなかった。


 確かに、慶応のラグビーは手堅すぎてつまらない。「着実に陣地をとるためなら、ひたすらキック」である。とにかくスタンドオフにボールを回して、彼の正確なキックで敵陣に入る。それ以外のオプションはまず期待できない。お互いのフォワードが、することが何にもなくて、ちょうど降り出した激しい雨に濡れて、寒さに震えているぐらいなのだが、それでもひたすらキック、キック。帝京大学も応戦して、フルバックの船津がひたすらキックをかえす。ボールは双方合わせて30人の大男たちの頭上を行ったり来たりするだけ、ちっとも面白くない。サッカーに例えれば、ゴールキーパーどうしでゴールキックの蹴り合いが延々と続いているようなもので、ひたすらお互いの致命的なミスを待ち続けるだけである。


 終盤、雨が強くなって、冷たい雨に打たれ、ぬかるんだ地面と戦いながらフォワードどうしの肉弾戦になる。前半17点もリードして、楽勝&大勝ムードだった慶応が、終盤どんどん追い込まれて、スクラムトライさえ許してしまう。残り2分、17–12と5点差までつめられて、延々とゴール前に釘付け。20年前の「伝説の雪の早明戦」を思い出させる、悲壮で感動的な熱戦になった。あと1分、耐えきれずトライを許し、ゴールも決まって帝京が逆転。19–17で、慶応は対抗戦の優勝を逃すことになった。

 

2070
(忘れ去られた決意、拡大図)


 こういう観戦をして、最後には帝京が勝ったことではなく慶応が負けたことに快哉を叫び、慎重に酒のグラスを置いてから、テレビ画面に向かって大きくガッツポーズをした。おお、病的である。おお、不健康である。そのとき画面上の秩父宮ラグビー場は初冬の冷たい雨に包まれ、すでに薄暗い。観客もまばら、早慶戦には2万5千も集まったのに、今日は2千人もいない寂しいスタンドが寂しすぎる。わが代々木上原は、直線ならば秩父宮から至近距離、徒歩圏であるから、同じように薄暗い。しかしより暗かったのは今井どんの気分。これはどうしても立て直して、明日の早稲田vs明治だけは、もっと健康に、ちゃんと国立競技場まで出かけて観戦しなければならない、そう決意(決意するほどのことではないが)したのである。