Thu 091203 熱血先生が、大量増殖中 教師は泰然自若がいい 超低空飛行の夢を見る | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 091203 熱血先生が、大量増殖中 教師は泰然自若がいい 超低空飛行の夢を見る

 ま、とにかく「師走」という言葉があって(スミマセン、昨日の続きです)、師とは本来走ったりしないもの、泰然自若としていてしかるべきもの、どれほど一般大衆が慌てふためいていても、じっと目を閉じて思索に耽っているべき存在、そういうロールモデルであるべきだということである。だからこそ、「熱血教師」などというのは、もともと世にも珍しい存在だったのだ。余りに落ち着いて泰然自若としている先生、果たして生きているのか、まだ呼吸をしているのか、心臓の鼓動はどうか、そういうことさえ心配になるような先生方ばかりの、シーンと静まり返った墓場のような職員室こそ、あるべき姿。そのなかに、「熱血先生」「花まる先生」「暴走先生」みたいなのが1人でもいれば、それだけで世間の耳目を集めただろうし、熱血であるだけで人気教師になれる時代もあったのである。


 しかし、今や世の中を上げて「熱血教師」の大洪水である。右を向いても熱血、左を向いても熱血。2階の教室にも花まる先生、3階も4階も花まる先生。小中学校も、高校も、予備校も、熱血先生だらけ。最近では大学の世界にも「熱血教授」などという困ったヒトが現れて、教壇を飛び降り、階段教室を走り回り、学生たちを連れて教室を飛び出し、その熱血&花まるぶりは留まるところを知らない。経営危機にさらされた中堅私大なんかではこの種の熱血&花まるは必須の存在。まさに大学の存亡をその熱い背中に背負って、ますますエスカレートしつつあるようである。

 

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(睡)


 しかし、こういう熱血先生をおだてあげヒートアップさせているのは、巨大な全国紙の教育欄・社会欄・家庭欄に過ぎないのであって、生徒も学生もそろそろ食傷気味というのが正直なところではないだろうか。「師が走り出すのは、どういう気持ちでなのか」については昨日書いたけれども、走るべきでない教師が走り出した瞬間だけは天下の耳目を集めたとしても、走るべきでない者がいつまでも走り回っているのは、決してあるべき姿ではない。あんまり走られすぎると、何だか面映くもあり、何だか腰の辺りが落ち着かず、何か天変地異の予兆なのではないか、2012年まで地球の破滅は待てないのではないか、そういう気分にもなってくるのである。


 というわけで、大半の生徒たちは、先生方が元に戻って(「正気にかえれ」とは言わないが)落ち着いて、泰然自若として、授業らしい授業に集中してくれることを望んでいる。教壇を駆け下りる前に、まずキチンとした板書をしてほしい。生徒に熱く語りかける前に、まず議論の前提となる不可欠の情報をしっかりと伝えてほしい。教科書を捨て、教室を飛び出し、そうやって熱血ぶりを見せつけて一人悦に入る前に、教師はまず「決して走らない、走れば『師走』という異常事態である」という教師の基本姿勢に戻るべきである。

 

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(眠)


 生徒が教科書を捨てて徒手空拳で議論しても、あらかじめ教師によって用意された結論に導かれてしまう。そういうインチキを嗅ぎつける能力を多くの生徒はもっている。与えたい情報に限定して与え、用意された結論に向かうのに障害になる情報は遮断し、結論への道を1本作ってから熱血の演技をして生徒たちを引きつけるのは、よくない羊飼いである。よくない羊飼いは、手っ取り早くヒツジをカネに代えたくて、ヒツジの自由に任せているように見せかけながら、こっそり秘策を練ってはヒツジを肥え太らせ、巧みにヒツジを誘導しているだけなのである。


 ま、小中学校でも高校でも中堅私立大学でも、それぞれに経営の事情があって、そういう困った熱血&花まる先生の跋扈は止められそうにない。それならせめて予備校や塾みたいな場所でだけは、ニセの熱血ぶりを排除していくべきだと考える。若い講師の皆さんには「ネミー」「カッタリー」と陰口を叩かれることを恐れないでほしい。「タルくて、やってらんね」と言われることこそが、講師の勲章であって、その勲章なしに得られる手っ取り早い「感動!!」など、講師の将来のためにはならないのだ。

 

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(醒)


 そういうことを考えながら、またまたよく効かない総合感冒薬を飲んでウトウトしていると、お決まりの「飛行機の低空飛行」の夢をみた。1年に1回ぐらい必ず見る夢で、離陸した飛行機が、いつの間にか超低空に降りてきて、ビルの谷間をゆっくりと飛んでいたり、田んぼや畑の上をのんびり飛びながらそこいら中の電線に引っかかりそうになったり、ホントに市街地に着陸してしまったりするのである。自分はだいたいにおいて大人しくシートベルトをしたままでそういう状況を眺めているのだが、稀に飛行機の背中に乗って、おウマや象さんの背中に乗ったみたいに、飛行機の背中につかまって飛行機に命令を出していることもある。幼児期に夢中になった「エルマーのぼうけん」の影響かもしれない。


 さっきも、飛行機の背中に乗って、懸命に飛行機にしがみついていたのだが、どうしても飛行機が市街地に着陸しそうなので、あきらめて座席に戻った。鉄道の寝台車みたいな座席で、寝台は2段。あんまり低空を飛行していくので、年配のCAをつかまえて「大丈夫なんですか?」と尋ねると、CAはためらうことなく、クマどんを操縦席に連れて行くのだった。

 

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(で、再び上半身だけ起きてみる)


 ドアを開けると、機長はまだ若くて、実際に操縦しているのは中年の副操縦士(WORDの変換では「服装重視」と出る)である。どうも機長を少しバカにしている、というか、むしろ軽蔑or軽侮の気持ちを一切隠そうとせず、「ほらね、操縦桿を戻すと、あら不思議、またすぐ機首が下がって、元の高度に戻っちゃいますよ。どうしたらいいんでしょうかねえ。へっへっへ。ヒヒヒ」と笑っている。しかも、そういう笑い声まで全部機内に放送されてしまっている。機長は苛立って「そういうことを、わざわざ乗客に聞かせなくてもいいでしょう?」と言い、ちょっと乱暴な仕草で操縦桿を副操縦士の手から奪い取った。


 おお、これで安心だ、そう思って座席に戻ると、2段になっていた寝台がキレイに片づけられており、「もうすぐ到着いたします」とのこと。まもなく飛行機は新幹線と同じように滑らかに、見事に名古屋駅の新幹線ホームに到着したのだった。めでたし、めでたし。

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