Fri 091113 早稲田祭講演会の詳細1 詳細すぎて、スミマセン 開会までの音楽など | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 091113 早稲田祭講演会の詳細1 詳細すぎて、スミマセン 開会までの音楽など

 11月7日11時、早稲田に到着。ちょうど1週間記録が遅れているわけであるが、何しろ何でもかんでもよく記憶していて、記憶していることの一つ一つを詳細きわまりなく記述するのがまた得意中の得意なのである。1つの出来事について、その裏や、裏の裏や、裏の裏の裏まで見抜くのも大好き。すると当然の結果として、1つの出来事をまず表から詳細に記述し、裏からももう1度詳しく記述し、裏の裏なり、裏の裏の裏なり、そういうことも微に入り細をうがって説明を試み、しかも表からでも裏からでも裏の裏の裏からでも、1つの時間軸に従うばかりではなくて、過去の軸、過去の過去の軸、果ては原点から斜め45°に傾斜した時間軸まで設定して、話は平面から立体になり、空間には時間軸が導入され、その時間軸も複数存在し、3次元は4次元に、しかも座標どうしお互いの交わり方も垂直とは限らないから、やがて座標は無限に増殖して、書くべきことは驚くべき量になる。

 

1979
(早稲田祭講演会、開始直後)


 要するに「母校の学園祭に4年ぶりに出演して嬉しかっただけのこと」なのであるが、その朝の京都でほんの10分タクシーに乗れば、運転手さんのクセから心理のひだに至るまで、省略せず詳細に述べずにはいられない。それを読んで面白いと思う人だけ読んでくれればそれでいいのだが、世の中にはおせっかいな人もたくさんいて、「もっと簡潔に出来事だけを客観的に書くべきだ」「長過ぎて読む気がしない」の類いの不平不満を、何故か読者どうしで言いあって、筆者のあずかり知らぬところでお互いに手を取り合って頷きあっていたりする。


 そういう人たちの言うことを相手にしないでいると、いつの間にか「最低最悪」という結論にされたりしていることもあるが、この10年でそういうことにもすっかり慣れた。筆者としてはこれが自分のスタイルであって、読む人の欲求や趣味に合わせてスタイルをかえなければならないとしたら、最初からものを書く意味なんかゼロなのである。

 

1980
(早稲田祭講演会、次第に盛り上がる)


 いくらおせっかいを焼かれても、それに唯々諾々と従うつもりはないから、ぜひ放っておいていただきたい。ホントは、もしそういう人たちの存在が全く気にならなかったとしたら、京都から東京にむかう新幹線の中で食べた「ちりめんじゃこ弁当」についても書きたかった。しかし、もし弁当について書きはじめたら、子供の頃に食べた駅弁の思い出とか、岩手に旅行した時のうなぎ弁当とか、黒磯のだるま弁当とか、大学のゼミ合宿の帰りに食べた横川の釜飯とか、おそらく限りなく話は広がっていただろう。


 そういう話は、さらに松戸で生活した大学生時代のほっかほっか弁当の思い出だの、代ゼミの名古屋校に毎週1回出講していた時代の駅弁の思い出だの、その比較や時代考証だの、もう限りない話が汲めども尽きずに湧きだしてくるのは目に見えていた。だから、ま、おせっかいを焼いてくれる人の迷惑もちょっとだけ考慮に入れて、それはヤメておくことにした。

 

1981
(早稲田祭。厳しい条件をものともせずに質問に立った頼もしい男子)


 ただし、こういう遠慮もおそらく無用のことであって、今井君の限りない駄弁を心から楽しんでくれている人は、驚くほど多いのである。ブログのPVは1日3500を切ることが少なくなったし、2009年の1年間で100万PVの達成はすでに確実である。おせっかいを焼いてくれる人のさまざまな忠告はありがたいが、その忠告を聞いて遠慮したり簡潔な書き方を心がけたりすれば、逆に今のスタイルを心から楽しんでくれている遥かに多くの読者の期待を裏切ることになりかねないのである。


 とにかく、話を進めよう。7日11時、早稲田着。驚くほどたくさんの声が今井君にかかるのにほとんど怯えながら、16号館の控え室を目指す。やっと見つけた控え室で、マスコミ研究会の諸君と簡潔に打ち合わせ。用意してきた音楽CDを手渡す。出来ればラジオDJ風の講演にして、聴衆が「話ばかりで飽きてしまった」ということのないように工夫したのである。

 

1982
(早稲田祭。こんなにたくさんの人が集まってくれた)


 事前に予約した人たちの入場は12時から。下手をすれば、あの座りにくいカタいイスの上で1時間も座って待つのだから、待ち時間のBGMぐらいは工夫したい。今井君が事前に仕入れていた音源は、オールナイトニッポンのテーマ「BITTER SWEET SAMBA」とスクールメイツによるセイヤングのテーマ。「夜明けが来る前に語り合おう、夜明けが来る前に愛し合おう」で始まり「夜明けが来る前に、夜明けが来る前に」のリフレインで終わる昭和のラジオのテーマソングを会場で流して、これから始まる講演が昭和の迫力ではちきれそうなものであることを予告しようと考えたのであった。