Thu 091112 11月7日、東京に戻り、早稲田祭へ 集合論の記憶 いざ、早稲田祭講演へ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 091112 11月7日、東京に戻り、早稲田祭へ 集合論の記憶 いざ、早稲田祭講演へ

 こういうふうで(スミマセン、昨日の続きです)、11月7日のはじまりかたは、あまりいい感じではなかった。話し好き運転手さんの集合Aと、機嫌最悪運転手さんの集合Bとがあって、その集合Aと集合Bの交わり(A∩B)というきわめて稀な要素に出会ってしまったのだから、その不幸な気分が、京都駅のちりめんじゃこ弁当を満喫したぐらいで癒されるはずはないのだ。なお、「集合」というのは我々の世代が中学1年生のころ、数学の最重要事項として勉強させられた単元。今の数学であれがどのぐらい重視されているのか、数学は今井どんの守備範囲外だからよくわからないが、どうも、とんとお目にかからないような気がする。

 

1974
(11月7日、早稲田祭。今井講演会開始直後)


 当時は、中学数学では「集合」、高校数学では「写像」というのが、「どんな単元よりも重要だ」としつこく教えられ、AとBの交わり=A∩B、AとBの結び=A∪B、そういうのを間違うと劣等生の烙印を押されたりしたのである。それどころか、今井君の通った中学では、方程式の解でさえ「解集合」という形で書かないと、解答があっていてもマルをつけてもらえない。1次方程式の解答がX=2であったとして、ナイーブにX=2と書くと、激しくバツをつけられる。方程式の解は、解の集合なのであるから、{2}と書かなければ得点はあげられない、そういう指導である。


 大昔のことではあるが、常に超優等生であった(そうでなければならないという強迫観念があった)中学生時代の今井君としては、これは大問題であった。中間試験でも期末試験でも、市販の問題集の解答集にはX=2と印刷してあるのに、それを{2}という解集合の形式で書かなかったからといって3点も5点も減点されるのでは、たまったものではない。2次方程式でも「X=3,5」ではダメで、あくまで解集合として{3,5}であることが要求されるのである。そうでしたよね、竹島先生。違いますか、笹岡先生。

 

1975
(11月7日、早稲田祭。今井講演会開始直後)


 まあ、中学2年生や3年生なら「テストの点数なんかで、オレたちは燃えないぜ」のほうがカッコいいし、そういう「ツッパリ」でないと女の子たちの人気が出なかったのは当たり前であるが、だからといって「この減点は納得がいかない」ということには、かわりがあるはずがない。解集合の形で書かなかったからと大量に減点された77点の答案用紙をつかんで職員室に出かけ、「教科書でも問題集でも「X=3,5」が正解になっているのに、なぜ中間テストでは{3,5}でないとこんなに減点されるのか」を怒りに震えながら問いただした。


 するとそこには数学担当の竹島先生と、中2の時の担当だった笹岡先生とが(ともに女性の先生だったが)待ち受けていて、「解集合の重要性を、今井は理解していない」というお説教が始まったのである。お説教には、やがて何故か社会科の松淵先生(こちらは男性)が加わり「今井は、自分だけよければいいのか?」「リーダーとして恥ずかしくないのか」というきわめて奇妙な展開に。ありゃりゃ、今井君としては、「X=3,5」がバツで{3,5}がマルであることに納得がいかないだけだったのに、この職員室ではリーダー論とか責任感の問題になってしまうのであった。

 

1976
(早稲田祭。700名以上の出席で、盛り上がる今井君)


 「これをマルにしてもらえば、全科目総合でまたまた学年1位なのに、集合論のおかげで中1春の中間テスト以来2年ぶりの2位転落になりかねない」というのが中3の今井君の主張。2年前は、美術の先生が足し算を間違って、90点の答案に75点と書かれていて、面倒なのでそのままにした。そのままにしていたことを親にも教師にも散々責められた経験があって、2年経過してもあの時のことが忘れられなかったのである。


 先生がたとしては、生徒全体のリーダーであるべき今井が、そんなレベルのことでそんなに夢中になるのはおかしいし、集合で書かないと減点すると事前に告げたはずだ、他の生徒の答案もその方針で採点している、それとも何か、今井は全生徒の(1学年600人もいた)答案を回収して採点しなおせとでも言うのか、それはわがままだ、リーダーらしくない、ここは潔くあきらめて、次回また頑張ればいいではないか、まあそういう主張なのであった。

 

1977
(ますます盛り上がる今井君)


 というわけで、激しい鼻炎に耐えながら、口でハーハー息をつきながら(Fri 091002参照)、息も絶え絶えの状態で書き上げた答案は、集合論さえなければ100点満点だったのに、見事に77点で決着。あれ以来、教師への不信感が定着。「ケアレスミスぐらい、いくらしたって構わないんじゃん?」という、激しく投げ槍なおおらかさも定着。自分自身の人生にこのおおらかさが大いにプラスになったという意味では、竹島&笹岡先生に感謝する。ただし、講師になってからも「ケアレスミスぐらい、どうでもいいんじゃん」と言い過ぎて、「今井は、甘すぎる」という批判も多く、「今井に甘やかされすぎた、結局ケアレスミスで落ちた」という生徒も出たことは確かである。ま、何にせよ、いろいろ気をつけるに越したことはない。

 

 まあ、11月7日、そういうことを思い出しつつ、東京駅から早稲田大学に向かった。相変わらず快晴で、汗ばむほどである。早稲田にいくなら、大手町から地下鉄が常識。しかし、早稲田祭で大混雑の地下鉄東西線に、今日の講師の今井君が乗り込むとすれば、それなりに煩わしい騒ぎにもなりかねない。丸の内北口からタクシーに乗って、竹橋、九段下、飯田橋、「何だ、せっかくタクシーに乗っても、通過するのは東西線と同じじゃんか」とちょっとガッカリしつつ、11時早稲田正門着。予定より30分近く早い到着だった。

 

1978
(出番を1時間半待っていた控え室の早稲田大学16号館405教室。むかしとちっとも変わらない教室の姿に、またいろいろ思い出しながら歩き回っていた)