Wed 091111 京都タクシーのカフカ的世界2 話し好きタイプ 1と2のミックスタイプ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 091111 京都タクシーのカフカ的世界2 話し好きタイプ 1と2のミックスタイプ

 どうも、京都のタクシー運転手さんたちは(スミマセン、昨日の続きです)、MKタクシーというものに対して強烈な反感と敵意を持っているようである。MKタクシーを目撃するたびに、BAKAとかKUSOとかAHOとか、ひらがなやカタカナで明記することをためらうような形容詞を、ためらいなく投げつける。投げつけると言っても、MKに向かって直接投げつけるのではなくて、運転席から窓を全部締め切った状態のママで投げつけるのである。すると、あら不思議、BAKAもKUSOもAHOも、ぜんぶ窓ガラスにぶつかって後方座席の乗客にぶつかってくるのであるが、そういう2次被害は運転手の意図したものではありえないはずだから(とはいえ、小さくなっている客の側からみれば、攻撃対象が実際には自分であることは明らかなのだ)、もちろん客としては頭を伏せてやり過ごすしかない。稀に、SINEなどという恐ろしい動詞の命令形も窓ガラスに反射してこちらに向かってくることさえあるから、心してかかるべきである。


 もっとも、そのMKだって、これだけ敵意をむき出しにされつづけたせいか、この1~2年、少なからず変わってきたような気がする。昨夜も祇園で客待ちしているタクシーに遠慮して、あえて流しのMKを拾ったのだが、祇園からウェスティンまでの5分間、ずっと同業他社のウンザリするような噂話を聞かされた。昔なら運転席から降りてドアの開け閉めもしてくれたはずであるが、さすがにたった5分では、そういうサービスも無言のうちに省略なのであった。

 

1970
(京都大原 みやげ物屋の猫のれん)


 昨日の分類のうち、(2)の「めったやたらに話好き」タイプは、昨日ウェスティンから大原までの運転手さんがそれであった。頼みもしないのに、「あの建物は何とかさんの別邸や」「このお屋敷は何とか省の別邸や」「あれは誰々の別宅や」という感じで果てるところをしらない。確かに、観光バスどころではない、たいへんな博識である。このタイプにぶつかると、もう閑けさも情緒も何もあったものではない。静かに車窓を眺めていても「東京の人は、無愛想や」ということにされる。「東京の人は、冷たい」と言われるのが面倒だから、二日酔いでもなんでも、とにかく愛想をふりまかなければならない。仕方なくヘラヘラ愛想をふりまいていると、むこうは油断して、必ず例の「東京いうて威張ってみても、せいぜい300年ぐらいやろ。京都は1200年以上や」が始まる。正直言って、これにヘラヘラし続けるのは面倒すぎる。


 昨日は「この建物は明治28年に …」という運転手さんの一言に思わず反応してしまい、むかしむかしの受験生時代に楽しく勉強した日本史の知識を、ちょっと披露してしまったクマどんがいけなかったのかもしれない。彼はますます盛り上がって「もしかしてお客さんは日本史の先生でいらっしゃいますか?」から始まって、「もしかしたら日本史の先生」を満足させるべく、ますますたいへんな雄弁をふるい、目的地の大原に到着しても、もうどうしても降ろしたくない、帰したくない、離したくない、帰りもぜひ乗ってほしい、そういう感じで躍起になるほどであった。

 

1971
(三千院、わらべ地蔵)


 翌朝、ホテルから京都駅に向かったときの運転手さんは、(1)と(2)の混合タイプという、きわめて稀なケース。「機嫌が悪くて、しかも話し好き」という、二日酔いの朝に出会うには極めつけの恐るべきタイプなのであった。どうやら、その直前に自転車かバイクとトラブルがあったらしいのだが、彼はドアを閉めて走りだした瞬間から、まず「最近の自転車の交通マナーの悪さ」を恐ろしい勢いで弁じはじめた。弁じながら、運転席の脇から何か証明書みたいなカードを取り出してかざして見せ、自分が今までの運転手人生でどれほどの距離を走ってきたか、5万キロだか10万キロだか、地球を何回もグルグル回るほどの距離を、どれほど見事に無事故で走り続けてきたか、熱く激しく述べ立てるのである。


 「それは凄いですねえ」と調子を合わせてあげたところ、彼はますます調子に乗り、周囲のクルマの運転を盛んに難じはじめた。あのクルマは、こうだからAHO。こっちのクルマは、ああだからMANUKE。向こうのクルマは、「こうせなあ、あかん」のに、ああしたからSAIAKU。またはNANI、KANGAETON'YA? 自分の運転だけが素晴らしくて、だからこそ今までにどれほどたくさんの有名人、どれほどたくさんのVIP/政治家/有名タレントが自分のクルマを選んでくれたか、どれほど会社から信頼されて、有名人が京都にくれば、会社は必ず自分のクルマを送り迎えに選択するのだ、そういうことを、後ろの席から見てもわかるほど顔を紅潮させ、説教口調で熱く論じつづけるのである。

 

1972
(三千院、庭園)


 こういう調子で、蹴上のウェスティンホテルから、東山通り、高倉五条、延々とよそのクルマを呪い続けつつ、すでに3回も4回も他のクルマにぶつけそうになって、急ブレーキ&急発進を繰り返し、そのたびに相手のクルマなり自転車なりバイクなりが「AHOや」「OOBAKAや」「MANUKEや」「NAMMO、KANGAETORANDE」、と客に同意を求め、同意しなければ「東京の人は無愛想や」と背中で寂しそうな表情をみせつける。


 ほうほうの態で新幹線口にたどり着いた頃には、後方座席のクマどんはもう疲れきってしまい、二日酔いの頭の中では清水寺の鐘がごんごん鳴り響いているような有り様。ここまで、わずか10分である。最後まで「どれほどMKが横柄か」「どれほどMKのせいで京都中のタクシーが迷惑しているか」を激しく論じ、ようやく解放される直前、目の前に停車中の「伏見なんとか」というタクシーに最大限の罵声を浴びせ(ただしあくまでクルマの中で)、罵声への同意を求め、同意に熱意がこもっていないことを背中で嘆き、「東京の人は…」という態度で肩をすくめ、やがて何だか感極まった様子で走り去るのであった。

 

1973
(「富しば」なのだろうが、どうも「ばし富」に見えてしまうダメな今井君)


 ようやく落ち着いたのは、8時16分発の東京行き「のぞみ」の座席に座ってからである。京都駅で買ったのは、ちりめんじゃこの山ほど乗った旨い駅弁である。食べ終わったら、早稲田祭で90分何を語るのか、それをじっくり考えようと考えていて、迂闊にも深く眠りこんでしまった。気がつけば、「すでに小田原を通過」のアナウンスがあった。ありゃま、これは寝すぎた、しくじった。