Sat 091107 11月4日、たまプラーザ講演会で感動する 三軒茶屋で旨い晩飯を楽しむ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 091107 11月4日、たまプラーザ講演会で感動する 三軒茶屋で旨い晩飯を楽しむ

 11月4日、たまプラーザで講演会。たまプラーザ。この奇妙な地名は、実在する街の名前なのである。なぜ「多摩」ではなくて「たま」なのか、なぜ「プラザ」ではなくて「プラーザ」と長く発音を引きのばしたのか、よく理解できない。まあ、「たま」の方は何となくわからないでもない。埼玉市ではなくて「さいたま市」、年金特別便ではなくて「ねんきん特別便」、さとう珠緒にさとう宗幸(古すぎます?)、「にしおかすみこ」に「やまがたすみこ」に「はしだのりひこ」(古すぎます?)、女優の「りょう」に「ふかわりょう」。まさに枚挙にいとまがない。


 漢字にすべきところをひらがなにするのは、昔から連綿として続くオシャレな流行である。ひらがなを使うことによって、自分が意識したくない何物かを省略してしまうという手段は、珍しいものではない。ありゃりゃ、ふと気づいたんですが、もしかして、これ以上いろいろ考えすぎると、うにゃにゃ、おりゃりゃ、ぐるる、驚くべき邪推する人もいる世の中だ。特定の土地その他を攻撃していると考えて、ぷんぷん怒り出す人がいるかもしれない。おお、恐ろしい、恐ろしい。なんまんだぶ&なんまんだぶ。ふむ。このへんでヤメた方がよさそうだ。他意は一切ないので、どうか、どうか、お許しを願いたい。


 ま、いろいろ当たり障りもあるだろうけれども、ホントに他意はない。ゆるしてちょんまげ(古すぎます?)。3つも4つも文字体系が並立する日本語だからこそ可能なことなのだし、たいへんオシャレで素晴らしい方法なのだ。コンプレックスでも何でも、こういう日本語独特の命名法でいったい何を省略することが可能なのか、何を省略したつもりになれるのか。漢字のままではダメだった何が、ひらがなに代えることによってどんなふうに改善されるのか。社会学者や文化人類学者、心理学者であっても、ちょっとした研究対象にしてもいいぐらいなのである。

 

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(たまプラーザ講演会)


 東急田園都市線といえば、日本でも有数の高級住宅地が続く路線である。たまプラーザのお隣りは、有名な鷺沼(さぎぬま)である。「憧れの鷺沼マダム」などという言葉が昔はもてはやされるほどだったし、80年代から90年代の金曜22時台、TBSやフジテレビのトレンディドラマはこのあたりに舞台を設定したのだった。


 最近になって田園都市線は、地下鉄・半蔵門線を仲立ちに東武伊勢崎線と相互乗り入れすることになった。それを嘆く「鷺沼マダム」や「鷺沼近辺マダム」は少なくないらしい。こういうのはどうしても感情の問題だから仕方がないのだが、東急の住民と東武の住民との間にはお互いに違和感があって、表参道の駅なんかでは、電車が接近するたびに電光掲示板でいちいち「東急の車両です」「東武の車両です」と表示される。鉄道と鉄道を何でもいいから無差別につないでおいて、あとから「しまった!!」と苦笑いするみたいに、いつまでも無意味なことを続けているのである。


 それほど高級住宅地の自覚がありながら、「多摩プラザ」では「何だか田舎くさい」というコンプレックスみたいなものが残っていて、その残骸が「たまプラーザ」という中途半端な地名になって残っているということなのだろうか。どうも無残な感じがぬぐいきれない。誰かが思い切って、そういう無意味な優越感(どこに対するものかは言わないでおく)と無残なコンプレックス(どこに対するものかは言わないでおく)を一気に断ち切ってしまった方がいいのではないか。

 

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(たまプラーザ駅。中国語表示だと、無残にも「多摩広場」である)


 ま、オリンピックスタジアムを思わせるような驚くほど立派な駅舎と、駅を出ればあっという間に途切れてしまう市街地を眺めながら、優越感とコンプレックスの両面が同時に理解できたような気もした。急行電車が停車するほどの街なのに、市街地といっても要するに巨大スーパーが1軒、駅前に燦然と輝いているだけなのである。あとは、駐車場、4~5件の塾の支店、安い居酒屋チェーン店がいくつも鈴なりになった雑居ビル。オシャレなんだかオシャレでないのか、まさに中途半端な開発で止まってしまった街なのであった。


 この街の講演会で、50名もの参加者を集めてくれた東進スタッフの努力にはまさに感動である。校舎は、この街の駅前でさえないのだ。巨大スーパーがあれば「栄えている」ということになるのかも知れないが、それは駅北口の方である。東進の校舎は、反対の駅南口。南口で一番目立つのはトヨタレンタカーの緑色の看板である。あとは中学受験の塾(SAPIXと希学園)のビルがぽつんぽつんと散乱して、駐車場、寿司屋、また駐車場。


 街灯も少しずつ減ってきて、徒歩で3分ほど。迎えに来てくれた校舎の人に「どこまで行くんですか?」と聞きたくなるぐらいの距離のところに、ひっそりと中華料理屋があって、東進の校舎はそのビルの2階である。おそらく大家サンの意向で、東進の大きな緑色の看板は出させてもらえていない。エレベーターの横に事務所の表札サイズで「東進ハイスクール」と出ているだけで、初めてここへ来る人は、生徒でも保護者でも、滅多なことでは東進たまプラーザ校を発見できそうにない。

 

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(たまプラーザ講演会、盛り上がるクマどの)


 しかし、この悪条件をモノともせずに、今日の講演会には50名もの生徒諸君が集まるのだという。こういう努力を、決して無駄にしてはならない。参加者の一人たりとも、不満を感じさせるようなことがあってはならない。今井君の闘志には、このような時こそ激しく火がつくのである。


 実際、たまプラーザ校舎のアルバイトの諸君の中には、昨年とか一昨年に今井の授業を受けて「慶応義塾大学に合格したばかり」とか「無事に東京工業大学に通っています」とか、そういう優秀な者もいる。「ついこの間、河口湖の合宿で今井クラスでした」という生徒も挨拶にきた。おお、これで、万が一にも失敗して帰ったのでは、ほとんど給与泥棒である。


 というわけで、いつもに勝るとも決して劣らぬ最大限にノリのいい講演をして、120分を終えた。19時開始、21時終了。欠席や遅刻もなし、優秀者ほど素直に大人のいうことを聞いてくれるものであるが、その点でもここの生徒たちは実に立派であった。校舎長からアルバイトの諸君まで、スタッフ全員の努力が実りつつある証拠。それだけに「せめて看板だけでも」「できればもう少しだけ目立つ工夫を」と学校側に訴えたくなるほどである。駅前に降り立った時には「今夜は厳しいぞ、30名も来れば御の字かな?」と覚悟しただけに、感謝また感謝なのであった。

 

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(たまプラーザ講演会。頭上のストレートな標語が、おじさんは少し面映い)


 帰路、三軒茶屋で降りて、晩飯にした。有名な三軒茶屋の釣り堀は先月ついに店を閉めてしまったが、その近くの細い通りには旨い店がたくさんあって、まだ入ってみたことはないが「ヨーロッパ食堂」などはいつ通りかかっても満員である。かつて餃子の「宇明屋(うめえや)」三軒茶屋店などもこのあたりに存在したのだが、そういう中途半端な業態の飲食店が長く営業を続けられるような、甘い場所ではなかったらしい。


 店の名前は忘れてしまったが、入ってみたのはこれで2回目である。「すぐ出るものでオススメは?」と尋ねると、間髪を入れずに「自家製コンビーフが絶対のオススメです」とのこと。「ええっ、コンビーフですかあ?」であるが、三軒茶屋でコンビーフがオススメと言われたら、おそらくそれが間違いなくオススメなので、生ビールと白ワインも一緒にまとめて注文。コンビーフは実際に胸の奥底から唸り声が出るほど旨かったし、「他の料理ができるまで時間がかかりますから」という理由でサービスで出されたオリーブ一皿も(塩気がもう少しほしかったにしても)なかなか旨いオリーブだった。


 後は、クスクス風の蒸し物と、野菜と豚肉のポトフなど。やっぱり11月初旬である。本格的に寒くなったし、東急田園都市線ではるばる郊外から揺られてきた後だから、身体も冷えきっていたのだ。蒸し物とポトフでは何だか似たようなものばかりで「かわりばえしない」恨みはあったが、とにかくイヤというほど温まり、イヤというほど腹も一杯になって、腹がいっぱいになれば今度は肥満が気になりはじめるという有り様。要するに、幸せでいっぱいということなのであった。