Fri 091106 大牟田校は人財の宝庫であった 大牟田繁栄の記憶 オコゼ唐揚げと帰路 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 091106 大牟田校は人財の宝庫であった 大牟田繁栄の記憶 オコゼ唐揚げと帰路

 10月31日、大牟田で講演会終了後、校舎スタッフの皆さんと近くの和食店「片山」で食事会。出してもらった料理の全てが旨かったが、中でもサトイモの入った豚汁が印象的。焼酎も有名ブランドをたくさん出していただいて、味なんか全然分からずにただひたすら量をこなすだけの今井グマとしては、何だか申し訳ないほどであった。食事会に同席した若いスタッフ諸君も、明るくて気持ちよかった。自己紹介によると、九州大学工学部卒業、九州大学農学部在籍中、熊本大学教育学部在籍中で将来は小学校教員志望など、その他みんな優秀というか、将来の九州を背負って立つような有為の人材ばかりである。東進では人材を「人財」と書くが、まさに日本の財産のような明るい諸君ばかりで、それがまた楽しかった。


 大牟田ガーデンホテルに1泊して、翌日は雨の中の帰路になった。この日から11月に入ったのであるが、寒冷前線の通過で、気温が一気に下がり、かつ強風が吹き荒れている。前日の気温が福岡で28℃もあって、全国各地で夏日を記録したのに、一転してスーツだけでは肌寒い。コート姿にブーツ、毛糸の帽子、そういう真冬の服装の女性も少なくない。


 大牟田は、かつて三井三池炭坑のお膝元で大繁盛した都市である。大繁盛していれば、スポーツも盛り上がる。昭和40年、炭坑ではストライキが最高潮に達し、労働問題の深刻化と、石油への燃料転換とで、街全体が遠い将来へのボンヤリした危機を感じていた頃、甲子園では大牟田の三池工業高校が初出場で初優勝。ついこの間このブログでも触れたばかりだが、そのとき準決勝で対戦したのが今井どんの母校・秋田高校である。

 

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(かつての繁栄を偲ばせる大牟田駅)


 秋田高校は、2年生ピッチャー・大久保の力投で勝ち進む。優勝候補筆頭の大阪・大鉄高校(後に阪急ブレーブスに進んだ世界の盗塁王・福本がリードオフマンだった)に4-3で勝ったのをキッカケに、準々決勝でも大分・津久見高校に13–1で圧勝。まあ、私自身は両親の物語の中でしか知らないけれども、「コレダバ(=この調子なら)、マズガイッコネグ(=間違いなく)優勝スルベセ、ンガア(=するだろう、お前)」という勢い。準決勝の日には秋田の街から人が消えてしまったらしい。9回表まで3-1で秋田高校がリード。そこで「明日の決勝に備えて」ピッチャー大久保を休ませるために、3年生・鐙(あぶみ)に代えてしまったのが運のツキ。鐙は3ランホームランを浴び、準決勝敗退となった。


 おお、大正4年、決勝で京都2中に延長12回サヨナラ負けした悔しい準優勝以来、2度目の決勝進出を阻んだのは、この大牟田の三池工業だったのである。ま、古い話だ。しかし、この話の中に出てくる秋田高校、大鉄高校、津久見高校、こういう過去の名門の活躍は、みんな過去の濃霧の中に消えてしまった。三池工業の活躍だって、昨日の大牟田講演会の出席者で知っていた者が何人いただろうか。


 街の賑わいにしても、同じことである。深い秋の雨の中で、大牟田駅前にかつての繁栄を偲ばせるものは何もない。JRの数本の線路の向こうに、西鉄の電車がひっそり停車しているが、人影は疎ら。「天神へのお出かけには、西鉄が便利」という看板も、寂しく冷たい雨に濡れるばかりである。さらにその向こうには鉄骨も赤茶色く錆びて朽ちかけた「新銀座」の商店街があるが、客はおろか、店の人さえ動く気配は全くないのであった。

 

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(大牟田駅の跨線橋から、西鉄電車のりば方面。侘しさがつのる)


 こうして、身も心も冷え冷えとした気分で、予定の電車より1本早い(と言っても15分だけであるが)特急「有明」で博多に向かった。博多も雨。大牟田に劣らず寒々としている。寒ければ、腹も減る。腹が減れば、喉も渇く。福岡空港3階のレストラン街をぶらついて、昼食には、あまりオシャレではない平凡な和食屋を選んだ。

 

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(鬼オコゼ唐揚げ)


 空港内の寿司屋でもよかったが、博多の地物を売り物にしているこの寿司屋には、今までもう何度も入ったことがある。それより何より、寒い時には寿司以外のものに食指が動く。何の変哲もない飲み屋だったが、鬼オコゼの唐揚げが旨かった。旨かった、というよりオコゼの顔が可愛らしいのが気に入った。早速「我が輩は猫である」を実践して、ニャゴロワやナデシコに笑われないように、あっという間にキレイに鬼オコゼを丸裸にした。

 

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(鬼オコゼ唐揚げ、5分後)


 帰りの飛行機は揺れたけれども、せっかく揺れるのなら、是非もっともっと派手に揺れてほしかった。揺れるなら、面白いほど揺れるほうがスッキリしていて、揺れるぞ揺れるぞと予告しておいてサッパリ揺れないのでは、かえって欲求不満になるのである。福岡空港内のJALの放送では「強い揺れが予想されるから、お手洗いはご搭乗前にお済ませください」とまで警告していたのだ。「おお、そこまで揺れるなら」と覚悟を決め、大いに揺れを楽しんでやろうと思ったのだが、私の乗ったANA機は紀伊半島か伊勢湾の上空で寒冷前線を追い越してしまい、おそらくはそのせいで、ちっとも揺れを楽しむことができなかった。


 まあ、そんなことで不平不満を言っているのでは、「アホもきわまれり」であり「バカも休み休み言ってくれ」である。いつものように赤ワインを2本もらって、大はしゃぎしながら、無事に羽田に着陸。無事が何よりである。スリルなんか、ディズニーか富士急とかに求めるものであって、マジメな飛行機にそういうものを求めるのは、天をも恐れぬフラチな所業、大岡様にはお叱りを受け、遠山様には桜吹雪の一撃をお見舞いされて然るべきフラチ者。「助さん格さん、懲らしめてやりなさい」であり、「おまえさんの悪行は、コイツが全部吐いちまいましたぜえ」と弥七が出てくる場面である。


 着陸直前、飛行機の右側にまさにディズニーシーが見えて、ちょうどそのMediterranean Harborでボートが4隻だか5隻だか急発進したところだった。あれは何というショーだったかねえ。ブラビッシーモ? 違った? 何しろディズニーにはもう2年も3年もご無沙汰しているし、ジェットコースタータイプのアトラクションにしか興味のない方なので、ショーの名前が出てこない。ま、いっか。似たようなもんだろ。