Sun091101 結婚詐欺事件でブログがふとイヤになる 「生きろ!!」というメッセージなのだ? | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun091101 結婚詐欺事件でブログがふとイヤになる 「生きろ!!」というメッセージなのだ?

 昨日書いた類いのことは連日のように起こるので、最近は新聞を読むのにも勇気がいる。「結婚詐欺の女」の話題でテレビも新聞もいっぱいで、「この女は」「この女が」「この女を」とひたすら「女」の連呼、この響きが耳障りであり、目障りでもあって、それだけでもテレビを消したくなり、新聞を読む勇気が出ない。やっぱり何だかガッカリして、食欲が消えてションボリする。一周忌を迎えた故・筑紫哲也は「ジャーナリズムには品位が必要だ」という信念を貫き、大蔵省キャリア官僚が銀行の接待を受けた「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」の時も、彼のNEWS23だけは、決して「ノーパンしゃぶしゃぶ」という言葉をつかわなかった。今回の事件でも、ぜひ筑紫氏にならって、「女」「この女」の連呼は控えるべきだと感じる。


 ついでに「この女」がほとんどネット中毒であり、その詐欺の被害者となった人々もやっぱりネットにハマっていた人が多くて、ニュースショーを見ていると彼らと彼女の「ブログ」がやたらに取り上げられるのにも、やっぱり何となくションボリ&ウンザリする。今風に言えば、「へこんで」しまう。「女」のブログが読み上げられ、彼女が憧れた「セレブ生活」なるものの実態を聞くと、ブログというもの自体に、ふと嫌悪感を感じるのだ。


 続いて、被害にあった男性のブログなるものが画面に大写しになって、読み上げられはしないものの、どうしても目はブログの文字を追ってしまう。それでまたまたブログというものがイヤになる。このところ更新が滞っていた理由の1つは、これである。それどころか、「こういう世界でモノを書くのも、そろそろヤメ時を考えた方がいいかな」「そろそろ卒業かねえ」とも思い、ふと周囲の人間に弱音を吐きたくもなるのである。

 

1928
(30年以上前に購入した新潮文庫版/ドストエフスキー「白痴」)


 で、イヤだからテレビを消して新聞を眺めていると、昨日書いた「百年読書会」の内田百閒の扱い以外にも、クマどんをションボリさせる記事がいくらでも出てくる。とっているのは朝日新聞で、朝日の愛読者であるのは小学生の頃から変わらないし、読売でも日経でも、どうしても違和感があって読みたくならないのであるが、イヤな時はいくらでもイヤなことが重なるものである。


 例えば朝日新聞に「オーサー・ビジット」というのがあって、俵万智氏とか亀山郁夫教授とか、本の世界の著名人が中学校や高校を訪れて1回だけの特別授業を試みる、その実況中継みたいなのが月に1回掲載される。ついていない時はトコトンついていないもので、亀山郁夫教授が中学生相手にトコトン迎合させられている授業の実況中継を読まされる羽目になった。


 このオーサー・ビジットで亀山教授が中学生たちに宿題にしていたのは、ドストエフスキー「罪と罰」を読んでおくことである。その上で、亀山教授は「なぜラスコーリニコフに対する罰が、わずか8年の強制労働だったと思うか」と中学生たちに問いかける。ラスコーリニコフの殺人には、死刑とか終身刑とか、はるかに重い罰が相当なのではないか、なぜ「たった8年のシベリア送りで済んでしまうのか」という問題を立てたわけだ。


 考え込む中学生をニコニコ見回しながら、亀山教授は「これはドストエフスキーの『生きろ!!』というメッセージなのだ」と厳かにおっしゃるのである。ええっ。「生きろ!!」というメッセージ? これって、ホンキでおっしゃってるの?


 今井君はどうしても納得がいかないのである。ドストエフスキーが、あれほど長大な小説を書いて、最後に「生きろ!!」というメッセージを読者に送るタイプの作家かどうか、それともそうでないか、大人の読者ならだいたい分かっていることである。まして、大佛次郎賞受賞、東京外国語大学学長も務める超有名人のロシア文学者が、ホントに心からそう信じてあの小説を翻訳なさっているとはとても思えないのだ。

 

1929
(マカール・ジェーブシュキンさえ驚いて起き上がるかもしれない)


 こういう新聞の企画の欠点は、教授の真の意図が見えないところ。授業の様子を横で見ていた(おそらくはまだあまり経験のない)記者さんが、自分の視点で授業の要約を作ってしまっているし、教授の正確な考えを伝える配慮や工夫の全くない。最後の生徒の感想が引用され、「ドストエフスキーの『生きろ!!』というメッセージなのだと知ってビックリしました」から「勇気をもらいました」みたいなまとめで終わってしまう。新聞の好きそうな「押しつけるのではなく生徒が自ら考える」というスタンスさえなし、教授がいきなり答えを押しつけ、生徒は何の批判もなく結論を受け入れたように見えてしまってもいる。

 

1930
(この人が、「生きろ!!」というメッセージを小説にのせるだろうか)


 相手が中学生であることを踏まえて、あえて中学生向きの読み方をなさっているとすれば、それは迎合である。新聞紙上だ、しかも相手は中学生だ。中学生にも、一般読者にも分かりやすいように解説したのだ。そう思えば思えないこともない。どんな小説にも、無数の解釈が可能で、作者が意図したのとは全く別の解釈なり、作者の意図とは正反対の方向性の読み方がありえないことはない。


 作者はそれを拒絶できないので、「人間失格」を読んで精神が昂揚するとか、三島を読んで左翼に憧れるとか、ドストエフスキーに「生きろ!!」というメッセージを読みとるとか、ありえないことではないし、作品を世の中に出した以上「そう読んでもらっては困ります」「やめてください、恥ずかしいじゃないですか」と口出しする権利は、もう作者にはないのだ。


 しかし、そんなことをしたら、ドストエフスキーが墓場で身をよじって恥ずかしがらないか。大昔のロシアの例のヒゲおじサンが、恥ずかしくて机や柱を殴りつけるのではないか。日本中の書店の書棚に並んだドストエフスキーが、試しに「生きろ!!」と叫んでみてから、馬鹿笑いして転げ回るのではないか。そういうことを想像して、笑いながら寂しくなって、その後またまたションボリしてしまった。

1E(Cd) Fischer & Budapest:MENDELSSOHN/A MIDSUMMER NIGHT’S DREAM
2E(Cd) Coombs & Munro:MENDELSSOHN/THE CONCERTOS FOR 2 PIANOS
3E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 1/2
4E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 2/2
5E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 1/2
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