Sun 091004 口でハーハー息をしていた十数年の記憶 南浦和に到着、よみがえる点鼻薬の日々
こんなふうに(すみません、この3~4日ずっと続き物です。中川昭一氏の急死についてとか、東京オリンピック落選の分析とか、福田君のこととか、書かなければならないことはいろいろですが、ま、怠惰なんですかね、クマどんは。)「むかしの今井君はクシャミと鼻水に悩まされたものだったな」「あれさえ早く治療していたら、人生は大きく上向いただろうな」「少なくとも、もっと知的に生きられたな」と、鼻の病気をゴマかしつつ生きてきた何十年かを京浜東北線の中でジトジト反省しているうちに、あっという間に南浦和に到着。
南浦和は今から20年も前に住んでいたことがあって、駅前の風景はすっかり変わってしまってしまったとはいえ、やはり懐かしい。京浜東北線が懐かしいのもそのせいである。話題を変えずに話を続けるなら、南浦和に住んでいた頃もまだクシャミと鼻水は放置したまま、治療する気もなくダラダラ生活を続けていた。
高校時代には、クシャミ&鼻水が激しい鼻づまりに発展し、常に口で息をしているうちに、言語道断なほどに虫歯が増え(呼吸によって雑菌が口に入り込むせいらしい)、記憶力も言語道断に落ちていった。数学なんか目も当てられない状況。数学って、「記憶じゃない、大切なのは理解だ」と先生がみんな声をそろえ、声をからしておっしゃるけれども、それはある一定の記憶力を前提にしてのことである。等比数列の和の公式さえマトモに記憶できない男に、「数学は理解だ」と怒鳴ってみてもはじまらない。何を間違ったか理系を選んでしまった今井君に、数Ⅲで出てくる積分公式だの、化学の「沈殿の色」だの反応式だの、「要するに記憶」という分野がたいへん重たくのしかかっていった。
で、あとは悲惨な前半生がホントに鼻水みたいにダラダラ続くことになった。東大に2度も落ちる。早稲田のゼミで発表中、鼻が詰まってうまく発音できない。シューカツ中、「今井です」と自己紹介しても「イバイさん?」と聞き返される。「今井です」と3度繰り返したことがあり、相手は「ああ、イバイさんね」と3度目で納得して、それでお互い気まずくなってしまった。
この頃からナファゾリン系の点鼻薬を手放せなくなった(パソコンに「てんびやく」と打ち込むと「天媚薬」という恐ろしい変換が実行されることを、いま発見して感動)。それでもシューカツには持ち前のハッタリが見事に功を奏して大成功、電通に入れてもらった。ただしそのハッタリたるや、並大抵のハッタリではないから、普通の若者はマネしようなどと思ってはいけない。忍者ハッタリ君みたいなものである。
しかし、のべつ幕無しのクシャミ、その度にそこいら中の人間が話を中断して驚きの目を見張るほどのクシャミ、それに続く鼻水&鼻づまりでは、生き馬の目をぬく広告業界、しかも断然トップの電通でやっていけるはずもない。点鼻薬への依存は、すでに麻薬中毒並み。会議前にも、電話をかける前にも、取引先を訪問する前にも、とにかくトイレに隠れて点鼻薬を使用する。ナファゾリン系のクスリの大量使用は脳に悪影響がある、それを知った上での乱用である。
まあ、そういうこともあって、「これ以上の勤務は無理かな?」と思うようになった。夜になれば、連日連夜の銀座、六本木、西麻布。おそらく日本で一番華やかでチャラチャラした業界で、鼻水&鼻づまり君が生き延びられるとは思えない。いつだって口を開けてハーハーやっているダサイ短足ニーチャン。しかも間違って「コネなし」「ハッタリのみ」で入り込んだ、見当違いも甚だしい田舎者ニーチャンを、守ってくれる者など1人もいない。
100人の同期のうち、「コネなし」はおそらく今井君のみ。みんな上場企業の社長なり専務なりの息子ばかりで、「父親が地方の国鉄の中間管理職」だと言っただけで、「は?」と眉を上げられる状況では、せめていつでも鼻呼吸して頭をスッキリさせていたかった。
「これが元凶である」とわかっていても、治療には大手術が必要。口から鼻、鼻から目に下にかけて、顔の皮を全部べろっと剥いて患部を露出させ、その上で患部を切除する。そういう治療しか当時は存在しなかったし、そういう危険な大手術を受けても完治するとは限らない。しかも手術の跡がしっかり顔に残ってしまう。何より、手術の痛みが耐えがたいらしい。
臆病な今井君が何より恐れたのは、その「痛み」である。おお、イヤだ。痛いのだけは絶対にイヤだ。18歳のとき、秋田駅前「有明歯科」で前歯を削られ、荒っぽい治療で有名だったその歯医者のイスで、自分の前歯から煙が上がるのを目撃したように思ってから(もちろん誤解だろうけれども)このかた、とにかく痛いのだけはイヤ。あれ以上に痛いらしいと思っただけで、「鼻が全ての元凶」とわかっていても、これに手を付けることはなかった。
南浦和は、そういう状況の最終段階の思い出でいっぱいである。その後、1996年、ついに耐えられなくなって東京慈恵会医大病院に駆け込んだ。ちょうどその頃に内視鏡下手術が一般的になっていて、点鼻薬との20年にわたるおつきあいは終了。手術の痛みも、内視鏡を使っての新しい手術ではそれほどでもなくて、もちろん「顔の皮ベロン」という猟奇的な方法でもない。4時間の間、鼻の穴から内視鏡を入れられた自分の間抜けな顔を考えないように我慢していれば、自尊心も全く傷つかないで済むのであった。
オリンピック東京落選からはじまった、クシャミ&鼻水との戦いの思い出は、これで終わりである。わざとやっただけあって、おお、長々と3日も4日も続いてしまった。しかし、こうして南浦和の校舎の前に立ってみると、思い出は終わってくれたが、実際のクシャミ&鼻水は一向におさまってくれる気配がない。おお、困った、困った、困り果てた。南浦和の校舎責任者から「大丈夫ですか、鼻も、目も、真っ赤ですけど」と指摘される有り様のまま、講演会の時間になってしまったのである。
それにしても、Ads by Googleはいったい何なんでしょうね。昨日の私の記事に対して、「秋田薬剤師会、秋田職安、北秋田市職安」(10月6日午後5時半現在)とは、なかなかシュールな反応ですなあ。おっ、今見たら、「紳士靴通販」が加わったぞ!!