Mon 090928 緊急のお知らせ2 文法のない速読は「ゴーカートの暴れん坊」にすぎない | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 090928 緊急のお知らせ2 文法のない速読は「ゴーカートの暴れん坊」にすぎない

 いまこれを書いている時点で、9月30日午後5時である。今夜からBIGLOBEの長時間にわたるメンテナンスがあって、おそらく半日ぐらい記事をアップ出来なくなるから、ちょっと慌て気味で「緊急のお知らせpart.2」を書いておく。9月末日の冷え込んだ1日、明日から10月だという感慨に浸りながら、アイルランドやスコットランドで始まった今月を振り返ったりするのが常識なのだろうが、発売してまだ5日しか経過していない「英文法教室」の売れ行きが余りにも好調なので、ここで昨夜に続いてもう1度、「緊急のお知らせ」を書いておいたほうがよさそうだ。


 昨夕は「紀伊国屋新宿南店で売り切れ」「三省堂渋谷店でもまもなく売り切れ」などという報告が続々と入り、通販でも好調に売れて「セブン&ワイ」の学習参考書部門を1位(上巻)2位(下巻)独占など、信じがたい連絡もあった。AMAZONでも品切れで「入荷予定は2~5週間後」などという大袈裟なことになってしまった。

 

1799

(お店に並んで買いましょう1 ウィンダミアで)

 

 まあこれからしばらく、早く増刷しないと「品薄」という事態が予想される。しかし都心の大規模店とか代表的通販で品切れになっても、地方都市や郊外の小さな本屋さんなどに出かけると、意外に何冊も売れ残っていたりするものである。「どこも売り切れで困っちゃった」「早く手に入れたいのに2週間も3週間も先なの?」という人は、まず地元の書店に足を運んでほしい。


 それでも見つからなければ、店のオジサンなりお姉さんなりにお願いして「注文」してもらうしかない。「チッ、売ってねえじゃん」「けっ、どこに行っても見つからなぐね?」とかいってムクれているのでは、ダメである。積極的に書店の人と仲良くなるのはいいことだ。書店に入るたびに店の人に声をかけてもらえるなどというのは、なかなか知的な感じで悪くない。それがキッカケで本好きになることだってあるはずだ。それでもダメなら、「東進WEB書店」という手段も残っている。

 

1800

(お店に並んで買いましょう2 ウィンダミアで)

 

 今回、特筆すべきは「下巻の売れ行き」である。上巻と下巻に分けて出版すれば、普通は下巻がたくさん売れ残る。1巻2巻3巻の3巻に分けたりすれば、3巻は1巻の半分しか売れなかったりする。NHKの語学テキストと同じようなもので、4月号は100万冊売れても、9月号は10万冊にも届かない。それが出版の悲しい現実である。


 ところが「今井の英文法教室」の売れ行きをみると、上巻と下巻がいっしょにどんどん売れていく。アマゾンなんか、上巻より下巻の方が先に売り切れた。こういう現象は、読者の意識がよほど高くないと起こらない。今年の受験生も、来年の受験生も、「とにかくこの本で早く英文法をマスターしてしまいたい」という強い意識を持っているようである。


 英文法を学ぶことに、反論もあるだろう。「英文法の細かい知識の出題は減少しているから、今さら英文法の参考書なんか無意味だ」という人も多い。しかし「減少している」かどうかは、細心の注意を払って分析してみなければわからないことだ。この発言には、「出題が減少しているんだから」という前提部分に、キチンとした根拠がないのである。本当に減少しているのか、もし減少しているなら、英文法なり語法なりのどの部分が減少しているのか、そういう詳細なデータを提示しないかぎり、そのたぐいの発言は、無責任なただの感情論でしかなくなってしまう。

 

1801

(白鳥さんの後ろに並ぶイングランド人)

 

 「文法より、速読やコミュニケーションが必要」という発想に対しても、「ルールを知らずに暴走できるのはゴーカートの中だけだ」と指摘すれば足りる。大人のドライバーとして、一般道や高速道をスマートに走りこなせるようになるためには、ルールが身体に染み込んでいることが大前提。そのためには、文法問題を材料にタップリ遊んでおくこと。ルールについて細かいことを考えなくても、知らぬまにルール通りに身体が反応するほどにルールを身体に染み込ませることが不可欠である。
 

 そういう発想で「英文法教室」を書いた。「慌てふためいた速読法など無意味だ」というのは、「それより先にルールを全身に染み込ませなさい」ということである。速読だ、スピードだ、コミュニケーションだ、という発想で、大騒ぎして勉強したつもりになっても、それは「ゴーカートの中の暴走族」「遊園地の暴れん坊」にすぎない。「田んぼ道のイニシャルD」「河川敷のサーキット族」にどのぐらいの意味があるか、それを考えてから、速読重視やコミュニケーション重視を語ったほうが、恥をかかなくて済む。


 まあ、難しいことはそのぐらいにしよう。早く手に入れて、早く読んでほしい。今年の受験生で「そんなヒマはない」なら、以前書いた通り、オマモリにしたまえ。特に下巻は、大学に進んでも使える情報が満載である。高2生なら1日2章ずつ進めば、11月中旬に上下巻ともに読破している。高1生なら1日1章ずつで構わない。全部で72章を72日かけて読破すれば、2009年の大晦日までには、上下とも読破できる。

 

1802

(ナデシコは、もう始めている)

 

 読破して、書かれていることをすべて記憶しているなどという必要はないのだ。「はしがき」や「あとがき」にも書いたが、人間の脳はメモリーカードではないのだから、どんどん忘れてしまって構わない。「思考の整理学」が話題の外山滋比古教授も同じことを言っている。60年も70年も昔、内田百閒はドイツ語を学ぶ大学生たちに以下のように訓示している。


「最初から学ばないのと、学んでからそれを忘れるのとでは、話は全く別である。学んだことを全部覚えていなければならないのでは、恐ろしくて、危なっかしくて、下手にクシャミも出来ない。学んで、しかしそれを忘れて、全部忘れたけれども、その精神だけは身体に染み込んでいる。そこに学問の妙味がある」
 

受験生諸君に忘れないでいただきたいのは、これである。さあ、文法をやりたまえ。文法をやって、その上でやったことを忘れた時に、初めて速読能力なりコミュニケーション能力なりが身につくのである。コミュニケーションの美名に踊らされて、「ゴーカートの暴れん坊」「あぜ道のイニシャルD」で終わってしまうことがないように、肝に銘ずるべきだ。そんな英語では、児戯に等しいからである。