Tue 100202 メトロポリタン秋田「万葉」 寝台特急「日本海」大阪行き、しかもA寝台 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 100202 メトロポリタン秋田「万葉」 寝台特急「日本海」大阪行き、しかもA寝台

 2月12日、日本酒5合と追加してまで満喫したきりたんぽ鍋ですっかり暖まって(すみません、まだ秋田日記が続行中です)、19時半に店を出るころには、ほとんど暖房の効いていない店の中でも、もうホカホカで湯気が出そうであった。店の人に呼んでもらったタクシーは懐かしの「キング」タクシー。昔の秋田でタクシーといえば、この「キング」に「あさひ」「国際」「合同」、今井クンが生まれ育った土崎港なら「港キング」と「双葉」など。今回の旅行で見た感じでは、このあたりにもいろいろ変化なり淘汰なりがあったようである。
 キャッスルホテルに立ち寄ってスーツケースをピックアップ、駅前に出たが、さて困った、予定の電車の時間まで、まだまるまる3時間残っている。日本酒5合で酔っ払って、でかいスーツケースを引きずって、そういう状態で暖房もほとんど効かない吹きさらしの駅待合室なんかで3時間も過ごすのは絶対にイヤである。で、必然的に「もう1軒ぐらい、行っても支障はないだろう」ということに決めた。
 入ったのは駅前の「ホテルメトロポリタン」、3階の和食屋「万葉」である。同じフロアで「秋田県教職員組合」の会合というか宴会というか、要するに大規模な飲み会が開催されていて、フロアには「教師が酒を飲むなんてとんでもない」という決意に満ちた表情のコワーい教職員の皆様が、何故だか真っ赤な顔をして溢れている。しかし、この「万葉」は別世界。秋田にまできて、なかなかいい店を見つけた。駅前を見渡せる窓際にズラッとカウンター席を並べ、これなら2時間でも3時間でも、周囲を気にせずにのんびり過ごせるというものである。

(「万葉」のカウンター席から秋田駅前バスターミナルを望む)

 もっとも、今井クンが「のんびり」「ゆったり」ということになると、自分のことながら酒の量が心配である。すでに「濱乃家」できりたんぽ鍋を「追加」で平らげてきたわけだから、お腹は「準パンパン」だったけれども、恐るべし、大グマ。「万葉」でさっそく考えたのは「しょっつる鍋が、まだだった」である。おお、恐るべし、大グマ。しょっつる鍋とは、魚で作った独特の醤油「魚醤」の出汁の鍋。ハタハタを中心に煮込むのだが、ハタハタがなければタラでもいい。2月中旬ではハタハタの旬は過ぎているから、この日の「万葉」ではタラのしょっつる鍋で我慢することにした。
 こうしてさらに空っぽになった日本酒の徳利をカウンターに並べ、22時までに4本だか5本だかが胃袋に消え、冷静に足し算すれば17時半からの4時間半で約1升を飲みほした計算。おお、こうでなければ、秋田県人とは言えないのだ。「だんじゃぐこぎ」の秋田県人の中でも、特に激しく「だんじゃぐ」をコクことで有名な土崎港衆(「しゅう」=「…の人たち」の意)なら、4時間1升ぐらい、平然と飲み干さなければ許されない。

(秋田駅、22時20分)

 22時、店を出て、秋田駅へ。外の吹雪はほぼ止んでいたけれども、さすがに冷え込みは厳しい。あれれ、秋田って、こんなに寒かったっけ? 飲んだ一升酒からどんどん醒めていく途中だったから、おそらくそのぶん寒さが身にしみたのであるが、こんな冷え込みは子供の頃の記憶にない。歯を食いしばるような気持ちでホームに出て、大阪行き寝台特急「日本海」の到着を待った。
 諸君、「大阪行き」である。しかも諸君、「寝台特急」、かつ「A寝台」である。これは、ただの感動ではない。まず「大阪行き」という部分に、ただならぬ昭和の感動が固まっている。昭和中期まで、大阪は東京と「夢の都会」として同格の存在。今井クンのような田舎者が「都会に出る」というとき「東京にするか、大阪にするか」という真剣な選択肢があって、その2者択一から平然と大阪を選択しても、別に奇異の目で見られることはなかったのである。夜行特急で大阪に向かうのは、田舎者の晴れの日、まかり間違えば国旗を振って見送られかねない晴れの舞台だったのだ。21世紀になって「大阪行き」などという電車も激減してしまったが、今井どんのような超・昭和人間は、この「大阪行き」の文字に、まず大きな懐かしさを感じるのである。

(ホームで寝台特急を待つ)

 しかも、初めての「A寝台」である。今井どんみたいに、「豊か」とはとても言えない生まれの人間は、寝台列車に乗ること自体が「一生に何度あるかねえ」というたいへんなぜいたく。たとえ乗っても「津軽」「天の川」「出羽」など、オンボロ急行列車の寝台であって、特急の寝台なんて、とんでもない。「出かせぎ専用」と言ってよかった昔の急行列車の寝台は、幅70cmだったか52cmだったか、とにかく言語道断に狭くて、普通の座席に毛が生えた程度。座席にホントに毛が生えたら恐ろしい(Sat 100109「ケビン大行進」参照)が、とにかく「落ちないのが不思議」というカイコ棚みたいなシロモノである。それを下段/中段/上段の3段に分けて、ほとんど貨物扱いで都会に運ばれていく、そういう寝台にしか乗った経験がない。

(日本海A寝台に乗り込む)

 そういう歴史があるから、「大阪行き」だけでもすでに晴れの舞台、まして「A寝台」などというのは、少年時代の今井クンにとっては晴れ舞台中の晴れ舞台。大むかしのクマどんは、「いつか遠い将来、あの『日本海』のA寝台に乗って大阪に行くことがあれば、それこそ一種の夢の実現であるけれども、どうもそういうことは実現しそうにない」と半ばあきらめながら、深い夜の中を通過していくこの寝台特急の窓の明かりを眺め、遠い汽笛を聞きながら、微分積分の勉強に励んだものである。

(さすが「日本海」。ドアには雪がたまっている)

 というのは実はウソまたは作り事であって、「遠い汽笛を聞きながら」では、とても数学の勉強なんかに励めるはずはない。そういう憧れが湧き上がってくるのを感じながら、中学生なり高校生なりが冷静に数学の論理的思考などに集中できたら、それは返っておかしい、いやむしろ不健全なのである。
 今井クンがそういう時に励んでいたのは、ほとんどが読書の類い、しかも最も実用性に欠ける19世紀文学であった。19世紀前半から中期の、フランスかロシアの長編小説の翻訳を机に広げてそういう一夜一夜を過ごすたびに、「東大に入って偉いヒトになる」「難関医学部で頑張ってカッコいい医師になる」等、いかにも田舎臭い志望の一つ一つが、あえなくアブクのように息絶えていったのである。

1E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS(3)
2E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS(4)
3E(Cd) SHOW WA!
6D(DOp) Théâtre National L’opéra de Paris:VERDI/NABUCCO
total m12 y258 d4359