Sun 100124 2月11日、秋田での講演会 秋田の衰退を嘆く 川反での懇親会へ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 100124 2月11日、秋田での講演会 秋田の衰退を嘆く 川反での懇親会へ

 こうしてしばらく秋田キャッスルホテルの部屋でカッカしながら過ごし(スミマセン、前日の続きです)午後5時、外で激しく雪が降り出したころに秋田での講演を開始した。出席者200名ほど。多くが今井君の母校・秋田高校の生徒である。父母の出席者は予定では10名だったが、その予定を遥かに超えて、40名を数えた。
 こういう事情を考えれば、今井君がいつも以上に盛り上がったのは当然の成り行き。ただでさえ盛り上がると止められないクマどんは、約100分にわたって「口から生まれた口太郎」ぶりを存分に発揮して、爆笑につぐ爆笑、ちょっとでも生徒諸君が静まると「おとなしいですねえ」「相手にしてくれませんねえ」のアイの手orツッコミをいれ、そのアイの手orツッコミにすら生徒諸君の爆笑が入って、終演の頃には生徒はヘトヘト、特に笑いすぎてお腹の皮がよじれそうになっていたのは、40名のご父兄であった。

(秋田での講演会)

 そういう話の中にも、どうしても秋田の現状への嘆き節が入る。江戸時代から明治にかけて、秋田南部の院内には有名な銀山があり、北部の花岡では銅鉱石が大量に採掘され、米は豊かに実り、深い杉の森からは美しい良質の木材がいくらでも切り出された。海岸地帯では石油がこんこんと湧き出て、石油は川になって流れていた。地名にはその名残があって、「草生津(くそうず)川」という。「くそうず」とは、もともと「臭水」と書き、石油または温泉を意味した。秋田では石油、温泉なら群馬県の草津。「くさつ」はもともと「くそうず」だったのだ。
 こういう豊かさの中で、県民性が享楽的になったのはムベなるかなである。ところが、豊かさのモトになっていた鉱物資源が、昭和中期にすべてまとめてパッタリと採れなくなった。享楽性だけが生き残って、労働意欲の減退/労働機会の減少と同居することになった。経済学者に指摘されるまでもなく、もともと機会の減少と意欲の減退はセットでやってきて、すぐにダウンスパイラルを構成するものであって、享楽性はその原因でも結果でもある。
 この同居状況が、衰退と没落を生み出すのは、平安末期の平家一族でも、古代ローマの末期でも、21世紀初頭の日本でも、事情は同じことである。ここがもう限界である。「どげんかせんといかん」。ま、そんな死語まで講演内容に加わって、聴衆は大きく頷き、納得は更なる爆笑を呼んだが、今回の講演が「どげんかする」ためのごくごくささやかなキッカケにでもならないか、アホなクマはそんな夢想さえいだくのであった。

(秋田での講演会。手前が特に大ウケしていたご父母)

 こういうふうで、公開授業は大成功中の大成功。ただ、心配性のヒトはどこにでも存在するもので、「おとなしいですねえ」「相手にしませんねえ」のクスグリを連発したのを気にしてしまった人もいたようである。終了後に心配顔で「生徒の反応はどうでしたか?」と、真顔のスタッフに尋ねられたのには少々面喰らった。あんなにドッカンドッカン、会場の床が抜けるほどの生徒の反応を目の当たりにして、それでもまだ心配で「反応が足りなかったでしょうか?」というのは、いくら何でも心配のしすぎというものである。
 ま、スタッフのこういう質問は毎回どこでも必ずあって、ホントに会場の床が抜けるほど爆発的に反応していても、終了後「おそるおそる」という表情で「生徒の反応はいかがだったでしょうか?」と質問される。
 まさか「見てたでしょ?」とか「ごらんになった通り、最高の反応でした」「見てなかったんですか?」と答えるワケにもいかない。あくまで控えめに「最高でした。あれ以上の反応をされると、かえって心配です。初めてきてみた生徒が疎外感や違和感を感じるといけませんから、あのぐらいの反応で十分だと思います」と答えることにしている。
 さて、大成功の余韻を引きずりつつ、生徒たちに手を振り、スタッフの皆さんとの懇親会に出かける。場所は5年前と同じ、川反(かわばた)の秋田料理店である。今井君が秋田で過ごしたのはあくまで高校生時代までであって、高校生にとって川反などという場所は全く無縁の盛り場、または憧れの夜の街であるから、いまこの年齢になってもここに足を踏み入れるだけで十分に緊張する。

(秋田市大町5丁目、清酒「新政」の看板)

 特に思い出深いのは、上の写真の「新政(あらまさ)」の看板である。道路を横断するこのデカイ看板は、クマ五郎君が小学生だった昔むかし大むかしから、立派にここにかぶさり続けている。住所で言えば「大町5丁目」。秋田市大町5丁目から6丁目にかけては、夜は「川反」であって妖しい飲食店街だが、昼間はなぜか家具の店の建ち並ぶ商店街。何か大きな家具を買うことになると、むかしの秋田の人はこの「新政」の看板をくぐって家具屋街を家族で巡り歩いたものなのである。
 「ニトリ」みたいな安売り屋が繁栄する前の日本では、「新しい家具を買う」というのは家族にとって晴れの舞台。家具を探しにいく日には、父親はもちろん一張羅(死語だろうが「いっちょうら」)のスーツ、母親も年齢相応にせいいっぱい着飾り、小学生男子など、下手をすれば「蝶ネクタイに半ズボン」というチンドン屋みたいな格好をさせられて、朝からムクれ放題ムクれている不機嫌な1日だったのである。

(深夜、雪の川反)

 幸い今井家は息子にそういう格好をさせて大喜びする悪趣味な家ではなかったから、死ぬほど恥ずかしい思いはせずにすんだけれども、それでも「大町5丁目」に出かけて「新政」の看板をくぐれば、それなりに緊張したものである。クマどんが小学5年のときに、さんざん家族でケンカしてスッタモンダのあげく購入した赤いテーブル(というか卓袱台)は、ミジメなほど塗りが剥げた状態だけれども、いまでも仙台の実家で立派に卓袱台の役割を果たしつづけている。

1E(Cd) Anita Baker:THE SONGSTRESS
2E(Cd) Anita Baker:RHYTHM OF LOVE
3E(Cd) THE BEST OF ERIC CLAPTON
6D(DMv) KING ARTHUR
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