Sat 100123 今さら朝青龍を考える(2) 7年の罵声に耐えたのは、十分に品格である | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 100123 今さら朝青龍を考える(2) 7年の罵声に耐えたのは、十分に品格である

 2月11日、宿泊先は秋田キャッスルホテル。誠に残念ながら、これが今の秋田でいちばん格の高いホテルなのである。秋田駅前は、さびれ放題にさびれてしまった。私が高校生だったころ、駅前「広小路通り」には、百貨店タイプ大型店舗が8軒も立ち並んでいた。ウソではない。大型スーパーマーケットまで入れれば、駅の方から順番に「ジャスコ」「丸三」「長崎屋」「○○♨(すみません、名前を忘れました)」「木内」「協働社」、ここで旭川にかかる橋をわたって、「本金」「辻兵」。確かに8軒である。徒歩で10分ほどの短いメインストリートに8軒の大型店舗が並び、「秋田の三越」として最も格の高かった「木内(きのうち)」の屋上には、立派な遊園地があって観覧車さえくるくる回っていた。

(吹雪の秋田市街1)

 2010年2月、同じ通りに残った大型店舗は、2軒だけである。人口35万の県庁所在地は、今井君が故郷を離れて油断している間に、もう取り返しがつかないほど元気なく萎れてしまっていた。ホテルの窓から見る風景も、大型店舗が撤退した後の広大な空き地と、残ったビルの汚れた壁面だけ。そのビルも「アイフル」の看板がぞんざいにペンキで塗りつぶされ、代わりに入居するテナントも見つからない様子。降りしきる雪が白く隠してくれているけれども、雪のない季節にこの様子を見たら、ショックはさぞ大きいだろう。

(秋田キャッスルホテル10階からの風景。広大な空き地は大規模店舗撤退後の跡地である)

 さて、こうしてすっかりションボリしながら、朝青龍についてまた考えつづけた。新幹線の中では、彼を追い込んだ人々の軽薄や、座布団を投げつける無礼について怒り心頭だったのだ(昨日の記事参照)が、ホテルにチェックイン後は、7年もの長きにわたって悪役/敵役(かたきやく)を勤めつづけた男の心中に溢れる思いについて、いろいろ考えることがあった。
 敵役に徹することが精神的にどれほどつらいものか、彼を論ずるヒトは、まずそれを斟酌すべきである。負ければ、館内が沸き返って座布団が乱舞する。勝てば、その勝ち方を批判され、勝った後の態度を論じられ、ニヤニヤ笑ったと言っては指弾され、「無愛想だ」「ふてぶてしい」と難じられる。たとえ優勝しても、そのたびに2年前なり3年前なりのスキャンダルを持ち出され、こきおろされる。ケガを気にして自分なりの軽い調整に抑えれば、「稽古不足」の一点張りで責められる。
 こういう状況で、たった29歳の青年が精神的に追いつめられないかどうか、一度同じ立場に身を置いて考えるべきである。「もし彼の立場だったら」は、小学生の読書感想文の定番。その程度の想像力が、彼を論ずる人々に欠けているのが一番困るのである。彼を難ずる人々は、すでに50歳代60歳代。親であり教師であってもおかしくない年齢の人々が、ひたすら責められつづける若者の心中を察することができなくて、その程度の想像力も持ち合わせずに、よくも人前で他人の品格など論じる勇気が出るものだ。彼らの幼児性は、理解に苦しむほどのもの、まさに驚嘆に値する。

(吹雪の秋田市街2。本文とはほぼ無関係です)

 嫌われ者の役を買ってでて、それで一方的に責められるヒトがいると、このクマどんは意地でも弁護したくなる。「可哀想」というとおこがましいけれども、お相撲ならかつての北の湖、曙の2人。政治家なら福田康夫か。みんな過去のヒトになってしまったが、朝青龍もその系列に加わるのである。こんな世の中では、敵役のなり手がないのも当たり前。誰にでも好かれたい八方美人ばかりで、勇気ある敵役のいない社会は活力を失い、衰退する。これもまた自明の理である。
 彼が悪役を続けたのは、約7年である。驚くなかれ、7年にもわたって、嫌われ役のまま、彼は立派に土俵入りを勤めつづけたのだ。臆病な人間なら、ネットの掲示板に2つか3つ中傷記事が出ると、それだけで一生の大事のように怯えあがるものである。彼の場合は、もちろんネットだけではない。新聞でもテレビでもラジオでも週刊誌でも、とにかく何でもいいから批判/非難/中傷を言いまくられ、プライベートまで含めて丸裸で罵声を浴びせられ、なじられ、それが7年続くことになる。2500日以上である。
 こういう日々の重圧と辛苦は、想像するに余りある。それに耐え、正面から罵声を浴びても顔色を変えずに土俵入りを続けた精神力は讃えられるべきであって、それは十分に品格の名に値すると信じる。というより、涙もろいクマどんは、涙がだらだら流れ出しそうで、月に向かって吠えたくなる。
 品格とは、指弾されれば抵抗せずに個性を捩じ曲げたり、大人しい優等生でいつづけることではない。むしろ、批判と非難の矢面に立たされても、心の苦渋を他者に悟られることなく、自らの個性を貫徹する精神力のことをいうと信じるのである。

(雪の秋田・広小路から千秋公園・久保田城趾を望む1)

 現役時代の朝青龍について、別にファンだったわけではない。小学生時代から、好きだった横綱は大鵬、北の富士、北の湖、武蔵丸。ケレン味のない堂々たる勝ち方が好きなので、朝青龍のような小兵ゆえの激しい取り口は、今井君の好みとは違う。しかし、最後の場所になった2010年初場所の把瑠都戦の力強さは、おそらくずっと記憶に残るだろう。「武蔵丸関を破った一番が忘れられない」と引退会見で口にした瞬間、7年の辛苦が一気に蘇ったように溢れ出た涙についても、立派にアンチヒーローを演じつづけた見事な横綱にも、29歳の限界がついに見えた瞬間として、忘れられないと思う。

(雪の秋田・広小路から千秋公園・久保田城趾を望む2)

 7年間、22歳から29歳などと言えば、今井が教えつづけた生徒たちの年齢にピッタリ重なるのである。彼らの年齢で、普通の会社なら係長にもならない年齢で、7年の罵声に耐えつづけた人間の精神がどんなに痛みを感じるか、一度マトモに考えてみた方がいい。
 もちろん、暴力事件を起こして引退した結果について好意的に考えることはできないが、同世代の青年にはまだ「自分探し」「やりたいこと探し」の最中だったり「ホントにやりたいことが見つからない」類いの者も少なくない。そういう世代の青年のうちの一人だということを一切斟酌しないほど、冷酷な対応しかできない社会なのか。ねぎらいさえ拒絶して、退職金の多寡だとか、ハワイ旅行でのふてぶてしさだとか、そうやってまだ、去りゆく背中に座布団を投げつけるような、容赦なく過酷な報道を続けなければならないのか。何だかそれでは寂しすぎるように思うのだ。

1E(Cd) David Sanborn:LOVE SONGS
2E(Cd) David Sanborn:HIDEAWAY
3E(Cd) Jaco Pastorios:WORD OF MOUTH
4E(Cd) Anita Baker:RAPTURE
7D(DMv) TROY
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