Fri 100122 今さら朝青龍を考える(1) ワイドショー芸人の「好き嫌い」と「正義」 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 100122 今さら朝青龍を考える(1) ワイドショー芸人の「好き嫌い」と「正義」

 2月11日、秋田で講演会。「自分の生まれ育った土地で講演」などというのは照れくさいことこの上ないが、今回は事前に新聞チラシが入ったりもしたせいで、小学生時代の同級生から久しぶりに電話がきたり、その他いろいろなことがあって緊張感もひとしお。秋田での講演は、東進に移籍した2005年の夏以来、ほぼ5年ぶりである。朝8時東京発の新幹線「こまち」に乗り、盛岡からの予想以上に深い雪に歓声をあげながら、予定より1時間早く秋田入りした。

(新幹線「こまち」からの雪国風景1)

 さて、今さらという感じだけれども、秋田に向かう新幹線の中でボンヤリ口を開けて雪景色を見ながら、お相撲の朝青龍引退問題についていくらか考えてきたことがあるので、一言書いておきたい。もう時間が経ちすぎて、話題として賞味期限が過ぎたような気がするが、こういう余りにタイムリーなトピックについては、みんながホットになってtwitterで盛んにさえずっている最中には言及したくない。ほとぼりが冷めて、賞味期限が過ぎて、冷静なアタマで本質を論ずることが可能になってからの方が、議論する価値がより高まるからである。

(新幹線「こまち」からの雪国風景2 本文とはほぼ無関係です)

 当人のいないところで、つまり当人が反論できない場で、ありとあらゆる悪口雑言を浴びせるという行動に、果たして品や格があるかどうか、それは問うまでもないことである。自分自身の品格さえ怪しいそういう人々、特にテレビの画面で無責任に意見を言い逃げするようなワイドショータレントたちが、バカの一つ覚えのように「品格だ」「品格だ」と、飽きもせず(確か5年以上にわたって)連呼し続けた。その結果として、まだ29歳の外国人青年を、お相撲の世界からついに放逐してしまった、それがこのお粗末な事件の要約である。
 カニ蔵くんには、日本人全体の国民としての品格を問いたくなるような、ミジメな欠席裁判の様相を呈しているように思えた。幼い子供には見せたくないし、ある程度成長した子供には「こういう欠席裁判は許せない」と言い聞かせたくなるほどであった。こういう風潮は、死語で表現すれば「唾棄すべきもの」である。
 何と言っても、品格を論じるその当人たちの品格が怪しいものだということが問題である。品格ある人は、他人の品格を論じない。相撲の専門家とはとても呼べない、専門外のスポーツの品格を論じる資格と資質があるとはとても思えない、そういうシナリオ作家なりマンガ家なりが起用され、彼らの恣意的な好き嫌いを根拠に、一人の青年の体面と業績と自負と将来に泥を塗るのは、奇妙で容認しがたい制度である。少なくとも、自分の好き嫌いを品格の問題にすりかえて論じるのは、子供の論理でしかない。
 キライな力士が負けると、みんな大喜びで土俵に座布団を放り投げる。「座布団を投げないでください」と懸命なアナウンスがあっても、それでも座布団が乱舞し、敗者を侮辱するように、次々と背中をうつ。品格あるスポーツなら、敗者の健闘を称えてしかるべきなのに、気に入らない敗者には罵声と座布団が浴びせられる。諸君、座布団である。自分の尻に長時間敷いていたものを他者(特に敗者)に投げつける行為は、侮辱の中でも最も恥ずべき侮辱である。

(新幹線「こまち」からの雪国風景3 本文とはほぼ無関係です)

 お相撲はすでに、そんな恥ずべき観客の行為を受け入れ、マナーをわきまえない観客の入場料に頼って、細々と生き残るスポーツに成り下がっているのである。そこに神聖な儀式の性格は感じろというほうに無理がある。こういう興行性の強いスポーツのチャンピオンに要求すべきことは、「強いこと」「負けないこと」「悪役/敵役としてのキャラクターの徹底」などであるべきであって、「優等生として生きること」は決して絶対条件ではない。「敵役のキャラクターの徹底」についてなら、青年はまさに模範的と言えたのである。
 神聖なスポーツだと言うなら、まず座布団を投げつけることを禁止すべきであり、観客の服装や応援にも節度を求めるべきである。高校野球じゃあるまいし、声をそろえての応援や三三七拍子も禁止。横断幕もプラカードも禁止。
 テレビ画面に頻繁に映る昔の漫才師みたいな服装の男にも注意を促すべきだ。永谷園とマクドナルドばかりの「懸賞」が取り組みにかかるのも、果たして適切かどうか。「タニマチ」なるものの存在の是非だって本来真っ先に問わなければならない。それを突き詰めていけば、「横綱審議委員会」を構成する一人一人の、品格なり資格なり資質なりにも一定の基準が必要なはずである。
 自分の資質が怪しいのに他者の品格を論じ、批判の矛先が自分に向いてきたと見るや、いきなり「自分は品格を論じたことは一度もない」と開き直るような節操のない委員の意見は、マスコミで大きく取り上げられるべきではない。
 同じことは、世論の尻馬に乗ることしかできないワイドショー芸人の全てに当てはまる。予報がはずれてもマトモな謝罪1つ出来ないお天気キャスターが「引退は、仕方ないですね」とせせら笑いながら発言する。それも困るが、そういう番組を垂れ流すテレビ局にも、放送に携わるのに十分な品格と資質が備わっているとは言えないように考える。

(新幹線「こまち」からの雪国風景4 本文とはほぼ無関係です)

 おそらく今回のことで、この「国技」なるものの人気は壊滅的な打撃を被ることになるだろうが、もともとお相撲の将来は決して明るいものではなかったのだから、そのこと自体は重要ではない。問題視すべきなのは、単なる「好き嫌い」の問題を、いつの間にかすり替えて「正義」の問題にしてしまう風潮である。鬱屈して暴走したのか、飲酒暴力事件に発展させてしまった青年の軽率と、周囲のいいかげんな事件もみ消し工作が、正義への「すり替え派」に力を与えてしまった最後の経過は、見ていて誠に苦々しいものであった(明日に続く)。

1E(Cd) Luther Vandross:LUTHER VANDROSS
2E(Cd) David Sanborn:INSIDE
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