Sat090725 雨模様の山鉾巡行 京都から千葉まで、書くことが何もない 千葉講演会 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat090725 雨模様の山鉾巡行 京都から千葉まで、書くことが何もない 千葉講演会

 7月17日、祇園祭のクライマックス「山鉾巡行」の日である。朝9時に起きて、10時すぎに京都市役所前に出かけ、山鉾が河原町通りから御池通りに「辻回し」するロケーションに狙いをつけた。昨年は河原町四条で辻回しを見たが、快晴で朝から気温はグングン上がり、暑い水蒸気の中をゆらゆら揺れながら近づいてくる山鉾を待つうちに、ほとんど目眩が起きそうなぐらいだった。今年は、明らかに様子が違う。山鉾巡行の日だというのに、空は重たくどんより曇っていて、セミの声さえ皆無である。散歩から帰ってきた観光客がホテルのロビーで話しているのを聞くと、東山方面は激しく雨が降っていたのだという。


 こういう状況だから、観光客の出足も悪い。昨年の河原町四条はまさに黒山の人だかりで、人間の頭のすき間から辛うじて長刀鉾の長刀だけが見えるという程度だったのが、今日の京都市役所前は、山鉾の全体像を余裕で見ることができた。曇り空から、時おりパラパラと雨も落ちてくる。浴衣姿に団扇を持った欧米からの観光客も、何だか困ったような、拍子抜けした表情である。先頭の長刀鉾がやってきて、豪快に辻回しを見せて、そこだけは大きな拍手が起こり、どよめきが上がったけれども、やはり様子が違い、感激も感動も昨年とは異質。秋祭りのような寂寥感がつきまとうのである。

 

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(御池通りを行く長刀鉾。上の階、一番右の稚児さんの顔も見える)

 やはりこの頃から、この夏の異常気象が顕在化していたのである。気象が異常なら、人間の気持ちも、祭の感激も、全て異常なものに変わる。しばらく長刀鉾について西に向かって歩いたが、おそらく時間待ちか何かで(あんまり早く巡行が終わっては困るので、時間をつぶしつぶし進むのだ)止まってしまい、先頭がつかえれば、当然後ろも動かなくなり、何だかつまらなくなって、次にきた「月鉾」の辻回しだけ見て、さっさとホテルに戻ることにした。

 

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(同じく長刀鉾。屋根の上の男は、何でこんなに態度が悪いんだ?)

 ホテルに帰ったのが11時過ぎ。今日は19時から千葉で講演会があるので、14時半には京都を出なければならない。なかなかのハードスケジュールである。本当なら京都にもうⅠ泊して、最後まで祇園祭を満喫したいところであるが、「出張の合間に遊んでいる」のであって、「遊びの合間に出張している」のではないから、やむを得ないものは、やはりやむを得ない。


 ブライトンホテル1階の和食店「蛍」で昼食をとって、寂しく京都を去ることにした。いったん通路側の席に通されたものを、「どうしても」と言って窓側の席にかえてもらった。夕方から講演会、というスケジュールでは、せっかくの食事に思う存分酒を飲むことも出来ないのだから、まあこのぐらいのワガママは許されるだろう。朝に咲いた朝顔が、昼を過ぎて、見る間にどんどん萎れていき、その萎れた寂しい朝顔が、曇った夏の強風に吹かれてゆらゆら揺れるのを眺めながら、酸味の多い京都の懐石料理を黙々と口に運んだ。

 

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(ブライトン「蛍」の懐石、最初に出てきた「前菜」。虫かごに入っている。「ちまき」は祇園祭の象徴であるらしい)

 京都からの新幹線も、品川から千葉に向かう電車の中でも、特筆に値することは何もなかった。昼食はとってしまったから、新幹線車内で駅弁を楽しむということもなかったし、興味を引くような不思議な乗客もいなかった。私のブログの読者ならわかるだろうが、こういうことはきわめて珍しい。奇跡的とさえ言っていい。たった半日のゼミOBOG会についてでさえ、3日も4日もかけて詳細に記録する私である。熊の肉を食べにいった、ただそれだけでA4版5枚にぎっしり書きまくる今井君である。「てる子」の奥ゆかしい看板を見ただけで、あれほど想像を巡らせるオジサンである。それなのに、京都から品川、品川から千葉、この長い移動について「特筆することは何もない」で終わってしまうなら、それはやはり奇跡的と言って構わないように思う。ま、「疲れ果ててずっと眠っていた」というのが正直なところであるが、もしかするとこういうところにも異常気象の影響が出始めていたのかもしれない。

 

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(ブライトンホテル、「蛍」の窓から。萎んでいく朝顔、テーブルのナデシコ。猫のナデシコは、鼻の色がこのナデシコに似ているからナデシコと名づけた。)

 19時から千葉で講演会。千葉には、一時代前の予備校のような、東進の大きな校舎があって、講演はその校舎内である。出席者150名ほど。コンセプト通り、高校1年生と2年生を中心にして、高3生は余り入れなかったが、それでもこれほどの出席者になった。公立中高一貫・千葉県立千葉中の中学2年生も5人参加していて、この5人が最も熱心に話を聞いてくれたようである。センター試験の問題を使って英語の授業もするのであるが、たとえ中学2年生でも、私が説明すれば理解できないことはない。もちろん、威張るわけであるが、そのぐらいの自負をもって講演会に臨んでいる。


 終了21時半。講演会に出られなかった高3の生徒たちがたくさん控え室につめかけたので、「サイン会」ということになった。こんなオヤジのサインをもらって本当に嬉しいのかどうか疑問であるが、「サインがほしい」と言って長い列に並んでいるのだから、その辺に疑いを差しはさむのは野暮である。サインは全て「宇宙征服」。東進に移る前も、東進に移ってからも、サインは全部「宇宙征服」。何の意味もないサインだが、生徒たちには人気のサインで、この5年でいったい何回「宇宙征服」を書いたか、気が遠くなるほどである。


 「サイン会」終了22時。総武線快速で東京駅まで戻り、丸の内南口からタクシーに乗った。いつもなら、ここからさらに飲み会が(おそらく「新丸ビル」で)始まるところであるが、さすがに疲れてしまっていた。雨模様の東京を横切って23時半に帰宅。こんなに素直に帰宅したのも、この夏の異常気象を反映していたにちがいない。