Fri 090724 祇園「隠」で長刀鉾を待ち受ける 舞妓サンがお出迎え 「あれが『てる子』?」 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 090724 祇園「隠」で長刀鉾を待ち受ける 舞妓サンがお出迎え 「あれが『てる子』?」

 7月16日、祇園「隠」には無事に入ったが、祇園のどまんなかにあるのに「誰でも入れます」「いちげんさん歓迎」という店だから、改めて言うまでもなく、料理も酒もそういうレベルである。料理が楽しみ、酒が楽しみ、接待が楽しみ、舞妓サンが楽しみ、そういう何か特別な楽しみが期待できるわけではなくて、私にとってはこの店は、真夜中に過ぎに祇園を練り歩く長刀鉾を待つだけの、一種の待合所なのである。全ての席が個室になっているから、待合室としては最適。掘りごたつにダラしなく座って、まずビール2杯で生き返った後は、「命の水」=「日本酒」を4合瓶で1本注文すれば、10時から日付が変わるまでの2時間弱ならカンタンに時間をつぶせる。


 こういうふうにいうと「隠」をけなしているように聞こえるかもしれないが、私のような田舎者には、こういう店が一番ありがたいのである。最近の祇園は、少しこの種の店が増えすぎたキライがないでもないが、「いちげんさんお断り」の「てる子」的高級店ばかりがズラリと軒を並べていた頃は、私にとって祇園は鬼門、砂漠のような場所だった。夏の夜、死ぬほど喉が渇いているのに「どこの店にも入れない」というのは、ハッキリ言って拷問。祇園南「隠」にしても、祇園北の「間」にしても、夏の砂漠のオアシスのような店である。

 

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(長刀鉾、「てる子」の角で)


 しかも、アルバイト店員までがたいへん親切である。「昨年もこの店にきて、深夜に長刀鉾が通ったんです。今年もあれを見たいんですが、何時頃にここを通過するか、わかりますか?」と尋ねると、どうも話が全くわからないらしくて、一瞬呆然と遠い目をしていたが、「私は京都の人間ではないのでわかりませんが、ちょっと店長に聞いてきます」と正直に言ってくれた。南九州か北東北の訛が少しあったから(この2つは驚くほど似ているのだが)、京都の大学に来ている大学生だろう。「真夜中すぎとのことです」と教えてもらって、それまでゆっくりダラしなく過ごすことにした。

 

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(長刀鉾の賑わい)


 夜12時を過ぎ、ラストオーダーも終わり、もともとほとんどいなかった他の客がとうとうゼロになり、店に残っているのが心細くなった頃、店長が気さくに2階に駆け上がってきて、「長刀鉾、来ましたよ」と教えてくれた。正確には長刀鉾の「日和神楽」である。素人だからよくわからないが、月鉾・鶏鉾・菊水鉾・函谷鉾、その他合計6~7台ある「鉾」の中でも「長刀鉾」だけは別格扱い。宵山の日に八坂神社に「日和神楽」を奉納し、そのあと祇園を練り歩くのは、長刀鉾だけなのだそうである。明日の山鉾巡行でも、つねに先頭に立つ。

 

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(舞妓サンの後ろ姿。「客」と思われる人が写った写真は全てボツにしたので、こんなのしか残らなかった)

 店から駆け出してみると、長刀鉾は八坂神社方面からやってきて、「てる子」の角を曲がり、「てる子」の前で居並んで待ち受けていた舞妓さんたちから飲み物の接待を受けているところである。「てる子」の客も舞妓さんと一緒に外に出てきて、長刀鉾の人たちをねぎらっている。興味津々で観察していると、「てる子の客」はみな、おお、生粋の京都の中高年である。見たところ、私より1世代も2世代も上。祇園の名店と思われる他の店からも、「ええっ、あんなに静寂が支配していたのに、この辺にこんなに人間がいたのお?」と叫びたくなるほど、ぞろぞろ、わらわら、いくらでも人間が姿を現してくる。舞妓サン、お客さん、オバサマ、オジサマ、無数の観光客、とにかくいくらでも人間が湧き出てくる。

 

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(あそこにも舞妓サン、ここにも舞妓サン)


 そういうオバサマの中に、「もしかしてあれが『てる子』かな?」と思われる人がいたけれども、「おそらくてる子」は舞妓さんやオジサマに声をかけたり、彼ら彼女らの世話を焼いたりするのに忙しそうで、「本当に『てる子』なのかどうか」を確かめるすべはなかった。やがて、再び動き出した長刀鉾の後ろから、たくさんの人々に揉まれながら一緒に祇園を練り歩き、一力茶屋あたりまで、「あそこにも舞妓サン」「ここにも舞妓サン」といちいち感動しながら歩き回って、午前1時、タクシーを拾って大人しくホテルに戻った。