Wed 090715 さかえ通りで3次会 さかえ通りに「清龍」「鳥安」の姿がないということ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 090715 さかえ通りで3次会 さかえ通りに「清龍」「鳥安」の姿がないということ

 さて、そろそろさすがに、7月4日の福原ゼミOB&OG会の話は終わりにしなければならない。第一、ブログの名目上の日付だって15日。あの夜から10日も経過している。実際の日付のほうは、すでに7月22日、46年ぶりの皆既日食の日である。ついさっきまで東進の先生方と話していて、そこでは「26年ぶり」という前提で話が盛り上がっていたものだから、ついつい26年ぶりと勘違いしてブログも「26年」でアップしてしまった。つまり、「前回から26年経過しているということは、前回の皆既日食のころ、私は福原ゼミの現役のゼミ生だったわけで、おお、時間の経過は速いものだ。次回の皆既日食が26年後だとすれば、果たしてちゃんと生きていて、この世に存在するかどうかさえ、甚だ心もとない」と書いてアップし、2時間経過して大慌てで修正することになった。「46年」では、まあ次は見られない。しかし、(何の関係もないが)次に向けて1歩でも2歩でも進んでおかなければならない。いくら楽しかった夜の記憶といっても、その記憶があちらへ飛びこちらへ飛んで、自ら収拾がつかなくなるのは愚の骨頂である。


 それでも、日本橋の店のすぐそばに流れていった2次会に、オジサマ&オバサマは誰一人帰らずに残っていた。やっぱり、皆よほど楽しかったのか、皆既日食のことを考えたわけでもなかったのに、何となく時の経過が寂しくなったのか、どちらかだろう。


 このあたりから、1次会で飲んだ焼酎がきいてきて、記憶が曖昧である。考えてみれば、「大学生の頃の恥ずかしい記憶」がよみがえるのを避けようとガブ飲みした焼酎は、最初の店ですでにボトル2本。しかもお湯なんかでほとんど割らずに、ほぼストレートでガンガンいっていたわけだから、「記憶が曖昧」でも、むしろ当然である。曖昧なのは記憶だけでなくて、すでに手許が何だか曖昧、「視線も定まらない」というところまでいっていたように思う。


 そんな状態でも3次会にいかなければ気が済まないのが、私のいいところである。時刻は12時を過ぎ、さすがに教授ご夫妻はご帰宅になり、新宿から高田馬場に出て、3次会は「さかえ通り」。早稲田出身者なら、3次会の定番が「さかえ通り」であることは誰でも知っている。残ったのは3人。一昨日のブログで出てきた共同通信社の部長と、そのまた1年後輩である朝日新聞社の編集長と、手許も記憶も曖昧になったおかしなクマどんである。

 

1481
(内容とは何の関係もない、背中の痒いニャゴロワ)


 ところが、さかえ通りに入ってみると、その余りの変わりように一驚を喫した。たとえ「手許も記憶も曖昧」でも、「呂律が回らない」「千鳥足」というところまでひどくはない。周囲の人が見れば「今井さんはお酒を飲んでも全然変化がない」のであって、意識はハッキリしているし、行動・発言ともに(普段の今井君程度には)明晰かつ冷静である。


 だから、「さかえ通り」の許しがたいほどの変わりようは、衝撃的だった。だって「鳥安」と「清龍(せいりゅう)」が、ともになくなっちゃっていたのだ。いいかね、早稲田卒業生諸君。「さかえ通りに、清龍がない」んだぜ。聞こえなかった? じゃ、もう1回確認するが、「さかえ通りに、清龍が、ないんです」。そんなの、もう「さかえ通り」じゃない。ここはもう「さかえ通り」ではなくなっちゃったんです。おお。こりゃたいへんだ。


 もちろん、記憶と手許が怪しい状態のクマどんが、疑似千鳥足でウロウロ歩き回っただけだから、もしかすれば別の場所に移転して、しっかり営業を続けているかもしれない。その可能性は否定しないが、「あるべき場所になければ無価値なもの」がある。通天閣が六本木にあったってアホやんか。桜島がインド洋に浮かんでいてもつまらんでゴアス。山笠もどんたくも、博多だからいいクサね。同じように、「清龍」は「さかえ通り」のどんづまりで、あの通りの汚い店構えで営業を続けてくれなければ、もう「あの清龍」とはいえないのだ。


 「イクラを注文したら、すっかり乾いてひからびた、キャラメルみたいな食感のイクラが山盛りになって出てきた」という都市伝説まである、それが「あの清龍」。清龍で酒を飲めば、同じ量の酒でも確実にあっという間に悪酔いする、それが「あの清龍」。日本酒の飲み残しは全部大きな樽にあけ、樽には蛇口がついていて、さっき他の客の飲み残しをざぶっとあけたその樽の蛇口から、次の客の「熱燗」を徳利になみなみと注いでいる、そういう都市伝説があって、初めて「あの清龍」なのである。


 それでも人気があったのは、客の自虐趣味を限りなく刺激してくるから。「おれも、ここまで落ちたか」「落ちるところまで来たな」「自分は今、社会の底辺にいるのかも」という感覚が、昔の早稲田生はキライではなかったのだ。出てくる料理にも、出される酒にも、みんな一瞬「おえっ」「これ大丈夫?」「これは、いったい何回洗ったキャベツ?」「このシソの葉っぱ、萎びぐあいから計算して、何日目?」「このお酒は、徳利と樽を何度往復したのだろう?」と眉をひそめ、店内でそういう都市伝説を声高に語って、肩を叩き合って爆笑する。そういう楽しみ方だったのだ。


 「昨日は、さかえ通りで酒を飲んでね」という発言自体、ある種の自慢を含んでいて、まあ「無頼派」というか「ちょいワル」というか、「お前たちはお上品だから、そんな場所には足も向けないかもしれないが、オレはさかえ通りにはちょっとうるさいんだ」というスタンスだったわけだ。その象徴、その総本山が「清龍」。「いやあ、昨日は、清龍だったんだ」というのは「だからヒーロー扱いしてほしい」という含意があり、仲間の男子も女子も(何しろ、数学は苦手でも、国語はみんな大の得意だから)含意を即座にしっかりと理解して、「ええっ、清龍にいったのか」「お前も好きだね」「今度、連れてってよ、面白そう♡」みたいな、陽気な会話の輪の主人公になれたものである。

 

1482

(最後の仕上げに入った午前4時近い吉野家。さかえ通りの出口付近で。「清龍」「鳥安」の代理で掲載させていただく)

 清龍も鳥安も消えて、そのあたりに出来た綺麗な飲み屋に3人で入って、そういうことを語り、変化を嘆いた。嘆いているうちに、睡魔に襲われた。共同通信と朝日新聞は私の横でまだまだ元気に何か話し合っていたようだが、私はこういう睡魔には逆らわないようにしている。早稲田はすっかりオシャレな大学に変わってしまい、その周辺の商店街にも、私のような人間の居場所はどんどん減っていくのであるが、構わず眠ってしまえばこちらのもので、さかえ通りは昔と同じ姿にあっという間に修復される。


 眠りに落ちたのがおそらく午前1時、店を出たのが3時半だったから、都合2時間は熟睡したことになる。目が覚めると、共同通信と朝日新聞はさすがにもう帰る準備をしていたが、すっかり寝足りた私は再び元気ハツラツ。ついでだから人影も絶えた午前3時半の高田馬場で牛丼を食べていくことを決意した。
 

 2人は付き合ってくれなかったので、1人で吉野家に入った。牛丼特盛に生玉子も注文し、5分で平らげて外に出ると、空はすでに明るくなり始めている。「おお、これこれ、始発が動き始めた高田馬場」、そう呟いてタクシーを止め、それでゼミ会を締めくくることになった。やっぱり、最後には私一人が必ず残るのである。

 

(※「清龍」「鳥やす」について明日訂正があります。「清龍」「鳥やす」も健在で、「清龍」についてはかつての面影もなく美しく改装し、極めて清潔に営業中とのこと。後から正確な情報が入りました)