Sun 090628 誕生日の夜は終わらない 決意するということの本質 有楽町ガード下へ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 090628 誕生日の夜は終わらない 決意するということの本質 有楽町ガード下へ

 誕生日の夜というのは(すみません、いつもと同じように「昨日の続き」です)、マトモな真人間(マニンゲン)なら、何か素晴らしい決意をしたり、何か真新しいスタートを切ったり、その決意なりスタートなりを心に深く刻み込むような思い出に残る行動をとったり、そういう世にも恥ずかしいことをいろいろやってみるものである。山口百恵なんか、「いい日旅立ち」の旅先で「思い出をつくるため」に「砂に枯れ木で書くつもり、サヨナラと」である。もちろんそこまで激しい行動をとらないまでも、ノートに決意を箇条書きにする、正月に息子が使い残した書き初め用紙に「禁酒」「禁煙」「禁ネット」と墨痕鮮やかに書き記して自室の机の前に貼る、ついでだからブログにもつらつら決意の詳細を書いて、書き初め用紙の写真をブログに貼付ける。マニンゲンならやらなければ気の済まない行動を列挙すれば、だいたい以上のようなことになる。


 しかし以上のような恥ずかしい行動は、娘や息子が見れば「ウザクナイ?」としか言いようのないことであり、他人が見れば恥ずかしさに目をそむけ、親が見れば「ヤメておけ、どうせ3日坊主だ」の一言で済まされるようなバカバカしさに溢れていることは、さすがに私の年齢になればわかる。「砂に枯れ木でサヨナラ」などというのは、未練タラタラ以外の何者でもなくて、マトモな大人が横にいれば、「いいからすぐにメールして、サヨナラなんかヤメときなさい。どうせ4~5日すればメールで連絡とってんだから」である。


 「8時ちょうどの『あずさ2号』で、私は私は、アンナッタから、ハ、旅立ちーまーすううーう」(若い人は知らないかもしれないが、「狩人」という名の恐ろしいデュオが歌う『あずさ2号』が日本を席巻したことがあるのだ)というセリフ自体、まあこりゃダメだ、あなたから旅立つわけがない、旅立つどころかまだまだドロドロが続くに決まっている、と大人ならわかるのである。というより、そういう決意をしてみせることが一種の媚態に過ぎないのであって、媚態で相手を引きつけようとするセリフ以外の何者でもない。男でも女でも同じこと、こういう未練や媚態でヤキモキさせられる周囲の迷惑も、少しは考えるべきである。

 

1435
(クマにあったら、こんなふうに死んだフリしなさいね)


 「禁酒」「禁煙」「禁ネット」などの書き初めも、要するにこの世に対する未練や媚態である点では、特に択ぶところがない。「択ぶところがない」という表現は最近使わないが、「大して違わない」「どっちだって似たようなもんだ」の意。全部、ヤメたくないけど、ヤメるポーズの一つもとっておかないと、周囲がオレを評価してくれなくなる、それを恐れて決意表明をしているだけのことである。本当は、無理をする必要なんかないのだ。


 ホンキではないのが見え見えだから、誰も耳を貸してくれない。するとますます大声を出すようになって、書き初めの文字はますます大きくなり、決意の表現はますます大袈裟になり、「砂に枯れ木でサヨナラ」「8時のあずさで旅立つ」「カギはいつもの下駄箱の中」「東京で見る雪はこれが最後ねとうつむく」などということになる。そういう無理なことをデカイ声や大きな身振りでひけらかして、それで誰かが振り向いてくれる年齢は、過ぎた。has come and goneである。

 

1436
(死んだフリ、模範演技)


 ダラしない自分を受け入れて、ダラしない行動もダラしない生き方も、別に生木を裂く決意で断ち切ろうとすることはない。そういう一見誠実なことをすれば、「誠実な人間に見せかけた」ということになって、かえって不誠実である。そこで、東京ドームを出たところですぐに「無理はヤメよう」「素直になろう」と考え、「砂に枯れ木でサヨナラ」をする代わりに「有楽町のガード下で焼き鳥を食おう」と決意した。そういえば、有楽町のガード下にはこの1年出かけていない。酒を飲みにいくところといえば西麻布か六本木ばかり、これじゃ不健全すぎる。新橋、新宿2丁目、有楽町ガード下、上野広小路、そういう場所にも馴染まないと、何だかイヤらしい。よし、行こう行こう、有楽町有楽町、そういうことになった。


 おお、下らない、下らなすぎる。こんなに下らないほうに飛躍した決意は稀に見る。完全に非文学的であって、古今東西の文学の中に、これほどクールな人生観からこれほどウェットで卑屈な酔漢の行動にワープした主人公はいない。ルバイヤートとかアブー・ヌワース「アラブ飲酒詩選」(岩波文庫)の中に似たようなワープがないことはないが、少なくとも比較にならないほど美しい飛躍なので、その酒は限りなく美しい酒のように見える。甘い酒、美しい緑の庭園、泉に湧き上がる清冽な水、高貴で清らかな乙女の白い後ろ姿、おお、美しい、美しすぎて目が回りそうである。

 

1437
(死んだフリ模範演技、拡大図)


 ところがこちらの決意は、残念ながら、そんなアルハンブラ宮殿のような美しさとはほぼ対極である。けだるい金曜夜の雑踏、煙たい梅雨空の空気、ヌルい酒、ヌルいビール、焼けすぎた鶏のキモ、パリパリやカリカリを通りこしてガチガチに焼けた鶏のカワ、そういう物たちに彩られた決意である。実際、東京ドームから3000円もとられたタクシーでまずムカついてしまった。反対向きのタクシーに乗ったせいで、東京ドームを左回りにまるまる1周するハメになった(回っている間にワンメーター回った)のだ。せっかく東京ドーム1周なら、ヒーローの坂本やゴンザレスと一緒に観客席にボールを投げ込みながらがよかった。


 ま、そういうことをいいながらタクシーを降りた。降りたところで考えてみたら、すでに今日のブログも長くなりすぎている。そろそろヤメにしておかないと、「長過ぎて読むのが大変だ」と言われかねない。よし、書き初め用紙を出してこよう。今年の決意は「ブログを短くする」「禁・長ブログ」である。書き初め用紙はあるか。筆を出せ、墨をすれ。文鎮は? よおし、今年は、ブログを短くするぞお。


 もちろん、そんな決意を「砂に枯れ木で書いて」も、実現の可能性のないことは最初にキチンと書いておいた。こうして、今日のブログは無限ループに陥ることになり、誕生日の夜は3日も4日も経過してまだ終わらない。このクマオヤジは、誕生日の夜だけで100ページでも200ページでも書き続けるだけのおかしな才能を持つ稀有な存在なのである。天然記念物として、無形文化財として、ぜひ清潔な手袋をはめて丁寧に丁寧に扱っていただきたい。