Wed090624 東進のテレビCM始まる CMの出来は上々である ブログに音声や映像を入れるか | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed090624 東進のテレビCM始まる CMの出来は上々である ブログに音声や映像を入れるか

 「東進の夏期講習」というテレビCMが始まって、他の4名の先生方とともに今井のバージョンもあるようだ。「出てましたよ」「見ましたよ」という知らせが知人から入ったので、自分でも知らないうちに、すでに何度か放映されたらしい。自分の知らない自分の映像がテレビで流れているというのはちょっと不安だから、早速確認してみた。もともと被写体として自信があるわけではないし、これほどの短足がテレビ画面に映ったとしたら、さすがに情けないのである。東進のCMで登場するのは2006年以来であるが、2年も3年も経過すれば、もともと短い足がますます擦りへって、もっと短くなっているだろう、それが心配で、じっとテレビに目を凝らしたが、たった15秒のCMでもあり、しかもそれが5人の先生方の5種のバージョンに分かれているから、数学や現代文の先生のバージョンは2~3度見たが、わが短足イモ類オヤジの顔はなかなか出てこない。


 仕方がないからネットに頼ることにして、「東進・CM」で検索したらすぐに見ることができた。「東進広告ギャラリー」から入ると、すぐに短足クマさんが怪しいニヤけ顔で登場し、「私は硬派ですから」と宣言し「硬派だからあまり甘やかしてはあげないが」、「とにかく呆れるほどわかるほどわからせてあげますから」と述べたところで終わる。「呆れるほどわかるほどわからせる」という文体は、このブログとほぼ同じ、読者の方にはお馴染みのはずのとぼけた文体である。最後に響き渡る太鼓連打の音が心地よい。むかしむかしのそのむかし、広告代理店に勤めたことのある私から見ても、CMとしてなかなかいい出来だと思った。

 

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(猫合戦1 キッカケは、いつもニャゴロワ)


 今回も、特別にCMの撮影をしたわけではなくて、授業の冒頭の一コマをそのままCMに作り替えた作品であるが、少なくとも擦り減って短くなった足は映っていない。照明の関係で頭の毛が実際より少し薄く見えるのが難点かもしれない、というぐらいである。他に出演しているのは、英語の安河内先生、現代文の宗先生、数学の志田先生、物理の苑田先生。他の若い先生がみんなカッコよくて、颯爽として、いかにも爽やかな感じの分、私の中年オヤジぶりが目立つのも気にならないことはないが、まあそこは「貫禄」ということで、むしろ気を良くしてもいいだろう。


 出来ればこのブログからすぐにCMを見られるように細工をしてみたいのだが、何せパソコン音痴である。そういう難しい面倒なことは一切出来ない。ついでに、今までのテレビ出演の画像(97年以来、数えてみると結構たくさんあるものだ)なんかもブログで見られるように工夫するのも楽しいかもしれない。ま、暇もなければ、やる気もないから、こういう企画はなかなか実現しそうにない。とりあえず、テレビでCMが放映されるのを楽しみに、寛大に見守ってほしいと思う。

 

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(猫合戦2 売られたケンカを買うナデシコ)


 今年の東京はいかにも梅雨らしい梅雨で、来る日も来る日も雨が降る。降り方も、変な集中豪雨とかゲリラ豪雨が襲ってくるのではなくて、小糠雨(昭和の日本では「コーニュカー、アメフュル、ミデョウスージー」である)とかジトジト雨がじっくり着実にふって、まさに絵に描いたような梅雨の雨の降り方である。この10年余り、こういう堅実着実な梅雨にはなかなか遭遇しなかったから、温暖化や地球環境の崩壊を憂えていた人々にとっては、あたかも朗報のような梅雨らしい梅雨である。せっかく梅雨らしい梅雨が来てくれたのに、それをまた「鬱陶しい」とか言ってムカついているようでは、恩知らずである。


 おお、おお、鬱陶しい。鬱陶しくて安心だ、鬱陶しくて嬉しい、鬱陶しくて最高だ。そう言って神様に感謝するようでなければ、神様に叱られてまたまた異常な高温に襲われ、かんかん照りやカラ梅雨や水不足に見舞われかねない。こういう鬱陶しい空模様にも深く感謝しなければならないはずだ。

 

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(猫合戦3 無言の戦い、決着は後日)


 それにしても、四国の「早明浦ダム」を企画した人は、どんなデータを手にして、何をどんなふうに考えたのだろう。こう毎年毎年、「ダムの底に姿を現した旧村役場」がテレビで紹介されるとすれば、この地域はもともと小雨地帯なのである。それなのにこの地点にダムを建設することを企画して、企画を通し、村を水没させ、村役場も水没させ、先祖代々の人々の歴史を永遠に水底の沈めてしまったとすれば、これは恐るべきミスジャッジであり、恐るべき失態でもある。間違ったデータを与えられて、誤った判断の元に巨額の税金を投入してしまったことになる。


 しかも、当然のことながら、早明浦ダムの企画立案者はそういう批判にさらされるだろうし、そういう自責の念に責めさいなまれるはずである。今も存命中の方なら、批判と自責がどれほどつらいことか。すでに亡くなった方なら、その子孫が墓参りのたびにどれほどつらい思いに包まれることか。それを思うと、熊をたらふく食べた直後のクマさんは、涙があふれ、つい泣き出しそうになる。父上やおじいちゃんが「地図に残る仕事」を成し遂げたことに誇りをいだき、「僕も、わたしも、おじいちゃんみたいな人になる」「憧れは、おじいちゃん」と常日頃から教室で公言している孫として、テレビの画面に映し出される旧村役場の姿、「早明浦ダムは失敗作」と言いつのる無責任な雛壇芸人と雛壇知識人、そういう存在がどれほど厭わしいか、何故かそういうことを考えて、いつの間にか涙が流れて止まらない酔っ払いクマさんなのである。