Tue 100112 「パッチもの」の語源なの? どかミシ、こここ、ミシぴょーん、ミシどん。 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 100112 「パッチもの」の語源なの? どかミシ、こここ、ミシぴょーん、ミシどん。

 やがて始まったコンサート自体については(まことに恐縮でございます。いったいいつからの続きなのかわかりませんが、いよいよ2005年「パッチもの」コンサートが開演となります)、何度も「パッチもの」と悪態をついたけれども、ごく冷静に言って、全体として見ればそれほど悪いものではなかった。室内楽の5名、アリアの名品を歌う男女2名、突然なぜか舞台に飛び出して「バレエ」を踊る2名、総勢9名がごくごく有名なスタンダードを演じる舞台構成は、「クラシックに詳しい」と豪語なさるKO-URUSAIおカタ以外なら、誰でもけっこう楽しめるとても気楽なアトラクションだったのである。「地球の歩き方」その他のメジャーなガイドブックにも写真入りのコラムで紹介されているし、軽率な「パッチもの」扱いは不当であって、あくまで気を楽にして遊びにいけばいいのである。
 ただし、さすがに「バレエ」は余計である。というか、果たしてこれを「バレエ」と呼んでいいかどうかも疑問であって、より正確には「モモヒキをはいたパントマイム」と呼ぶべきかもしれない。モモヒキをパッチともいうから、まさに「パッチもの」の名にふさわしいように思えてくる。もちろん関西では「バッタもん」なのであるが、思わず「これこそパッチものの語源なのだ」と叫びたくなる。むかしむかし、夏休みに終わり頃に町外れの神社に芝居小屋が立って、夕食後の怪しい時間帯、親たちと肝試しついでに覗いてみると、これと似たパントマイムみたいな芝居が展開されていたものである。

(グロリエッテの丘からシェーンブルン宮殿を見る)

 この場所でこういうコンサートを始めたもともとの仲間の中に、バレエダンサーが2名入っていたからなのかもしれない。しかしとにかく無理してこの演奏構成の中にバレエ2名をはめこんでしまい、それで全体が台無し、というより「パッチもの感」「モモヒキ感」を増幅させてしまっている。2時間の演奏がヤマ場に入った頃、突如として、まさに何の前触れもなく、舞台の奥から飛び出してきた2名の「バレエ」は観客の度肝をぬきすぎるのである。
 そうでなくても「あてられたら、どうしよう?」「指名されたら、どこに逃げよう?」とみんなビクビクしていたのだ。そこへ、もともとミシミシしていた舞台の上に男性ももひきダンサーが飛び跳ねながら出てくるから、狭い小体育館には「どしん」というまことにケッタイな衝撃音が響き渡った。「どん、ミシどん、どしん、どん」である。続けて「どん、どぅうぉーん、どかミシ、ぴょーん、ミシどどん」とくる。そこへもう1人、女性ダンサーも跳び出して、2人の足が踏むステップはもう誰にも止められない勢いになる。
「どどどど、ど、ぴょーん、ぽ、ミシミシ、どかっ、ど」
「どん、すかっ、すすす、どかどかミシぴょんっ、は!、こここ、こ、どか」
「さささ、さささ、どぁどぁー、ぱっぽ、ミッシミシ」
「ばぽどかっ、ミッシ、ばぽどかっ、さっこさっこ、ミシどんっ」
 しつこすぎるかもしれないから、このへんでヤメておくが、どミシ、すかっ、ぱっぽ、ぼんミシっこ、ぼかっぽぽん、こういう激しい打撃音の連続が始まって、それまで演奏されたバッバにモーツァルトにブラームスのスタンダードな余韻はすっかりかき消され、気がつくと周囲の聴衆(というより観客)はもう笑いが止まらない。やっと笑いをこらえたかと思うと、必死で笑いを噛み殺しているその目の片隅で、再び彼と彼女が大きく跳ぶのが見え、「ヤメてくれ!!」と思うまもなく、またまた「どかっぽ、すさすさ、どかっぽ、ミッシミシ、どぉーんど、さすっこさすっこ、ミッシミシ」が始まってしまう。

(シェーンブルン宮殿から見たグロリエッテ。雪が激しくなってきた)

 カニ蔵どんは最初ちっとも笑っていなかったのである。周囲が笑えば笑うほど、「パッチものにダマされた感」&「モモヒキ感」の高まりがあって、苦虫を噛みつぶすことにしかリベンジの活路を見出すことができない。しかし、見ればダンサー2名はOH-MAJIMEである。ホントに大マジメで「どっ、ミシっとん、どか」を演じ、バイオリンもチェロもみんなKUSO-MAJIMEかつkuso-majimeに演奏を続けている。その青ざめたMAJIME顔を見ているうちに、もう絶対に抑えきれない激しい笑いが込み上げてきて、「この笑いをもし抑えつけたら死んでしまう、だれでもいい、とにかく助けてくれ」、そういう心の底からの叫びがあった。
 そういう激しい笑いの気配を感じたのか、4列目のロシア人たちが涙を流しながら振り返った。5列目の今井どんの激しい笑いを見ると、振り返った3名のロシア人の笑いがいっそう高まった。それを見て、クマどんはホントにもう抑えきれなくない。笑いは自分でも驚くほどの大きな声になって溢れ出た。ぐ、ぐわぐわ、ぐわ、そういう音が間違いなく自分の肉体からハミでてきた、手触りがあるほどの硬く毛深い笑いだったはずである。驚いてロシア人3名がまた振り返った。「行儀のいいはずの日本人が、声を出して笑っている、ヒゲも生えている」ということにビックリしたに違いない。そういう表情である。
「キミ、この『バレエ』は面白いね、笑えるね」
「きみ、最初はガラガラで心配したけど、こりゃ面白いね」
「ももひきパントマイム、アヤシイねえ」
「この際、遠慮しないで、どんどん笑おうじゃないか」
まあ、アイコンタクトというのか、そんな感じの短いやりとりがあって、そこでまたミシどんっ、ミシどんっ、すさささっ、とことんっミシどどんっ、が襲ってきて、4列目と5列目はもう一切我慢しないで笑いこけた。

(グロリエッテ近景1)

 笑いが止まらないが、困ったことに、涙も止まらない。しかも「ハンカチを忘れた」のである。この圧倒的な涙は、ハンカチなしで、例えば手でゴシゴシこすって、その摩擦で乾燥させてごまかせるようなものではない。せっぱつまった今井君は、ネクタイを流用することにした。例の駿台と代ゼミで汗じみのできた、ところどころ擦り切れたリベンジ用Nokyoネクタイである。ネクタイで涙を拭いてまで笑い転げているクマどんをみて、ロシア人たちはまたまた激しく笑い、それに刺激されてこちらもまた笑い声を抑えられなくなるのだった。

(グロリエッテ近景2)

 演奏終了22時。クロークでコートを受けとって、ほうほうのていでオランジェリーを抜け出した。笑いすぎで「ほうほうのてい」になる人間も珍しいが、少なくともこの10年間で一番よく笑った2時間である。それ以前の記憶にも、これだけの笑いはほとんど見当たらない。あえて探すとすれば、むかしむかし東大に落ちて浪人した時、お茶の水の駿台で初めて受講した(今は亡き)英語の鈴木長十先生の授業で「ほうほうのてい」笑いをしたことがあるが、あのとき以来、ホントに命の危険を感じたのである。
 オランジェリー前でタクシーを拾ってホテルまで帰った。その道の暗いこと暗いこと、ドライバーが道をごまかしているんじゃないか、確かに「カールス・プラッツまで」と伝えたのに、逆方向に走っているんじゃないか、笑いすぎて視力が下がったのではないか、いろいろな不安がどす黒く広がってくるほどであった。もちろん、15分足らずでカールス・プラッツに到着。以上が、2005年2月20日だか21日だかの長い長い記憶である。

1E(Rc) Darati & Detroit:STRAVINSKY/THE RITE OF SPRING
2E(Cd) 東京交響楽団:芥川也寸志/交響管弦楽のための音楽・エローラ交響曲
3E(Cd) デュトワ&モントリオール:ロッシーニ序曲集
4E(Cd) Billy Joel Greatest Hits 1/2
7D(DMv) DOPO MEZZANOTTE
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