Wed 090610 企業秘密というほどのことは無し。激しい気迫が湧き上がるまでの道のり | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 090610 企業秘密というほどのことは無し。激しい気迫が湧き上がるまでの道のり

 と(昨日の続きです)、とりたてて言うほどの企業秘密でもないので、要するに「気迫」ということである。気迫がなくては、すぐお隣の本館の授業に「ツチキンビル」だの「研修館」だの「東西南北校舎」だので教えているペーペーの新人講師が太刀打ちできるはずがないのだ。

 本館では、全国中継のサテ講座を担当する全国屈指の講師が、こっちの5倍も6倍もの(10倍というヒトだっていたはずだ)時間給をもらい、数十万円もするスーツを見事に着こなして、タレントも顔負けの落ち着き払った名調子で授業を進めている。彼らの書く参考書にはベストセラーもあって、生徒の立場から見れば、田舎の現役高校生だった頃に懸命に勉強した参考書や問題集の憧れの著者が、いま現実に目の前にいて、息もかかるほどの距離で授業を進めてくれているのだ。

 何の因果で「ツチキンビル」だの「S館」だので、名前も知らなきゃ著書もない「変な講師」の授業に我慢していなきゃいけないのだ。生徒のほとんどがそう思い、そう感じ、できればこんな授業は「さっさと切って」、「本館の授業にモグリたい」、「でも夏期講習で♡♥♡先生の授業をとったから、まあいいか」なのである。たとえ出席を続けるにしても「1学期だけは、あのアホで我慢しておくか」「どうせあと2~3回だし、プリント配るって言ってたし」である。

 

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(襲いかかる)


 新人講師としては、ここで負ける訳にはいかない。気迫で負けたら、他に勝てるところなんか1つもないのは明らかだ。勝てるとして、服装の派手さぐらいか。だから、ダメな講師は6月頃から慌ててバカげた服装で現れ、事態をいっそう深刻なものにしてしまう。

 真っ赤なスーツ。ピンクのワイシャツに紫のネクタイ。シャツのボタンを上から3つもあけて、日焼けした胸に金のネックレス。キャラクターの着ぐるみ。アジアやアフリカの民族衣装。タイガースのユニフォーム。ドラゴンズや楽天や日本ハムやレアルマドリードやマンチェスターユナイテッドのユニフォーム。パンチパーマ。演歌歌手スタイル。早稲田コースに出講するから、早稲田の斉藤祐樹くんのユニフォームに角帽。おお、それじゃダメなのだ。キモくて、うざくて、メンドイだけである。

 問題は、気迫のあり方である。河合塾の2年目、私は池袋校の早慶上智クラスで「英作文Ⅲ」の担当になった。3クラスあって、上から3番目のクラス、つまり最下位クラスである。予備校バブルの絶頂期で、浪人して早慶クラスに入っても「最上位にいなければ早稲田も慶応もまず無理だろう」という時代。最下位クラスは当然気分が荒んでいる。なのに、まず「ツチキンビル」で先制パンチが来る。上位2クラスは池袋本館。なのに最下位クラスだけはお隣のツチキンビルなのだ。

 

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(熱意を失う)


 もともと予備校用に建てたビルではないから、雑然としたオフィス用の部屋に間に合わせに黒板をつけ、机と椅子を200組並べ、「まあ教室です」という体裁だけ整えた様子がいかにも悲しい。隣りは「ホテルマリオン」、このラブホテルは今でも山手線から見える。

 裏は「ソープランド西口」。確かに「西口」で、そのことに間違いはないのだけれども、せめてもう少しネーミングに工夫をしたらどうか、心配になるような投げ槍きわまりない看板が、ツチキンビルに入るたびに目につく。そういう校舎である。このソープやツチキンビルが今でも存在するかどうかは全く知らないが、1992年、今から15年以上前の新人講師が割り当てられたのは、とにかくこの校舎である。

 4月末、初めての教室に入ると、生徒たちの雰囲気は確かにこの上なく荒んでいる。もともと「このクラスにいたら、早稲田も慶応も無理」と認識している生徒たち。担任だかチューターだかの中に、怪しからんことにそう公言している者もいたようである。

 教務の方針も残酷で、3クラスのうち上位2クラスは「Bテキスト」。最下位クラスだけが「Cテキスト」。難しいほうからABCの3種類があって、Cは一番カンタン、というか、一見して「こりゃダメだ」と投げ出したくなるほどカンタン。経験の少ない講師としても、「早稲田慶応を目指すヒトにこんなのやらせて大丈夫?」と、月に向かって一声ほえたくなるほどの、講師と生徒をバカにしたようなテキストである。

 

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(戦意を喪失する)


 生徒たちもウスウスというか完全に気づいている。どうせ、自分たちは「ツチキン」なのだ。どうせダメなのだ。Cテキストなのだ。あんなに親にねだって浪人させてもらったのに、どうやら見放された存在なのだ。あああ、いいな、本館は。

「本館の2クラスは有名講師らしいぜ」。
「サテライトにも出てるらしいぜ」
「ベストセラー参考書もあるぜ」
「オレたちの講師って、何者?」
「知るかよ」
「何?今井って」
「ツチキンビルみたいなもんじゃん?」

「お、きたぜ、あれ、今井?」
「ださくない?ただのオジサンじゃん」
「しかたねえだろ」
「来週から、本館モグる?」
「Bテキ、手にはいるわけ?」
「知らね」。

 まあそういう会話があらわに聞こえてきそうな感じ。机の並び方も乱れ、後ろのほうは空席が目立つ。クラス300名のうち、100名ほどは授業を受けもせずに「最初から切った」ということらしい。教室の前の廊下で、せせら笑いながら見ていたヤツらが、それか。

 確かにマラソンの沿道の観衆のようなヤツらが、教室の前に山盛りになって、さすがに旗は振っていなかったが、ニヤニヤを通りこして嬉しそうにニコニコしながらツチキンビル担当の無名講師を見送っていたのだ。異常に高い教壇に上がると、荒んだ空気が生温かくモワッとこちらを襲ってくる。

 だだっ広い空間に乱雑に乱れた机と椅子が300組。後ろ1/3は空席。出席している生徒たちも、決して熱心とは言えない表情で、まあ「待ち受けている」。しかしその待ち受け方にはほとんど期待感は感じられない。「いつ切る決意をするか」「場合によっては、授業時間中にも『切る決意』をして、集団で出て行こう」、その決意の瞬間を待っている、そういう雰囲気なのだった。