Mon 090608 予備校の新人講師をどんな「優遇」が待っているか 新館・東校舎・研修館 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 090608 予備校の新人講師をどんな「優遇」が待っているか 新館・東校舎・研修館

 (昨日の続きです)かつて、20年も昔の大手予備校は、どの教室でも生徒が溢れて、遅刻していくと座る席が見つからないほどだったのである。「えり好みしていたら見つからない」などという話ではなくて、例えば悪名高い駿台の4人がけのテーブル(一人のスペースが幅50cmほどという、ほとんど人権無視に近い詰め込み状態)でも、完全に満席で立錐の余地もない。

 他の予備校でも、ひどい時には200名教室に250名、300人教室に400名の登録者がいて、通路や廊下に立ち見が溢れる、それが20年前の予備校バブルである。今の若い先生方はその頃に生徒の立場で予備校を経験し、だからこそ予備校講師がスターに見え、「予備校講師に憧れる」などというバカバカしい勘違いをしてしまった人が多い。

 それなのに、(昨日の(2)であるが)朝日新聞で伝えられたような「3校舎で1200名」とくると、モラルはますます低下するだろう。「浪人現役合計して、あの巨大な校舎に1校舎400名」という事態を想像すると、ほとんど血の気が引いていく。200名教室が1フロアに4つ、それが6フロアから7フロアというのがあの巨大な校舎のスタンダードだ。

 すると、午前中の浪人生しかいない時間帯なら、1フロアあたり30人程度。それを1フロアの教室数で割ると、1教室の人数は? 計算上は「10名に満たない」。人気講師や有名講師の授業以外は、そういう状況が日常化している可能性が低くはない。もちろん「新聞に出ていた数字を単純に割り算すれば」ということであって、現実はもう少しマシなのだろうが、やっぱり寂しくなる数字である。

 ああいう昔ながらの巨大戦艦的な校舎が現役生には人気がないこと(彼らには、小規模教室で、指名してもらったり宿題を点検してもらったりする「面倒見のいい」授業形態を好む傾向がいまだに残っている)を考えると、午後から夜にかけての時間帯も、1フロアに40~50人、1教室10名程度。200名も入る巨大な教室にせいぜいで20~30人である。

 あっちにパラパラ、こっちにパラパラ。身を寄せあったまばらな生徒たちを前に、マイクを手にして黒板の前を走り回り、これまた巨大な黒板に不必要な大きな文字を書きまくる。うーん、どうしても若手講師のモラルの維持が心配である。

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(ネコも笑う)


 ちょうどそういう心配をしているところだったのに、6月7日と6月8日の朝日新聞求人広告欄で「講師募集」を発見。河合塾・代々木ゼミナール・駿台の大手3社がそろって、来年度の講師募集広告を2日続けてデカデカと掲載している。

 こういう広告は一応3大全国紙に同時に掲載する(毎日新聞についてはどう考えるか議論が分かれるだろうが)から、求人を見て「お、やってみるかな」と考えた若い人たちも少なくないだろうと思われる。講師として採用された場合の待遇については、求人広告では「当社規定により優遇」「面接の上で決定、優遇」「経験と能力により優遇」となっていて、どうも必ず「優遇」してもらえるらしい。

 問題は、具体的にはどう「優遇」されるのかということである。記憶をたどれば、大昔のことではあるが私にも新人講師時代があって、1年目はまず河合塾に応募した。講師採用試験での武勇伝もいろいろあるのだが、今回は武勇伝は省略して、初年度の私がどんな「優遇」を受けたかを振り返っておく。

 20年近い昔のこと、1991年である。時間給は、90分で10500円。月曜日、岐阜校で午前中2コマ。水曜日、松戸校で午前中2コマ。金曜日、(今はなき)千駄ヶ谷校で午前中2コマ。以上である。アリャリャ、「優遇」って、週6コマ? これでは週7~8万円、初年度は夏期や冬期の講習会は持たせてもらえないから、1年24週しかない。年収200万円以下である。時間給でみると、一瞬ものすごい優遇にも見えるのだが、膨大にかかる予習時間や準備、質問時間と雑用時間を考え、年収レベルで考えると寂しい優遇でしかない。

 仕方がないから、駿台をカケモチすることになる。だから私にとって河合塾の初年度と駿台での初年度が重なるわけだが、駿台での「優遇」ぶりも書いておこう。50分1コマで7400円。繰り返すが、時間給でみれば十分な優遇なのだけれど、授業時間以外の雑務はすべて無給であることを忘れてはならない。

 火曜日、午前中大宮校で4コマ。木曜日、午前中池袋校で3コマ。午後から(今はなき)新宿校で2コマ。土曜日、午後横浜校で高2生クラスを2コマ。以上である。駿台での収入は週8~9万円、年収にして250万円程度。河合塾とカケモチしても500万円に届かない。

 またまた仕方がないから、他に早稲田ゼミナール・みすず学苑・(今はなき)水戸の筑波ゼミナールなどをカケモチして、時間割はパズルかパッチワークのようなシロモノになり、それこそ「自分はどこの講師なの?」というモラルの低下を招いた。愛社精神や愛校精神なんか、生まれようがないのだ。

 

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(ネコも踊る)


 しかも、勤務条件もなかなか満足するようなものにならない。河合塾で「池袋校」と言われて喜んでいると、ラブホテルとソープランドに囲まれた「ツチキンビル」とか「南校舎」。本部扱いだった(今はなき)千駄ヶ谷に出講、で「おっ」と思っていると、実際には(今はなき)「千駄ヶ谷東校舎」である。

「名古屋地区に出講をお願いします」で喜んでいると、当時からあまり生徒のいなかった「岐阜校」、しかも「新人の場合、往復の新幹線は自由席」。駿台でも「池袋校」で喜んでいると、実際には(今はなき)「池袋研修館」。大宮校も「本館」ではなくて(今はなき)「大宮西校舎」「新館」「研修館」。横浜校も「横浜本校」ではなくて(今はなき)「S館」と「SS館」。

「今はなき」がヤタラに多いことからもわかるように、予備校バブルで生徒が集まりすぎ、弱り果てた予備校側が(死語で「うれしい悲鳴」というのがあったが)急遽用意した間に合わせの賃貸ビルばかりだったのだ。建物が窮余の一策で賃借したものなら、その中で授業を行う講師もまた、「急遽かきあつめた新人ばかり」であるのも、また当然である。

 確かに「新館」「研修館」とか「東」「南」「西」とか付け足した校舎の、いかにも「間に合わせ」の臭いのする講師室に、それでも張り切って入っていくと、そこで顔を合わせる先生方はみんな不安そうで、パンフレットで写真を拝見したこともない新人や若手やカケモチ講師ばかり。有名講師なんか、滅多に顔を合わせることはない。

 新人講師が受ける「優遇」とは、そういうレベルのものである。くれぐれも、慌てて転職を考えたり、せっかく今まで会社で積み上げてきたキャリアを捨てたりしてはいけない。それは単なる軽挙妄動である。スターに見えた20年前の予備校講師は、この種の「優遇」に10年も15年も耐えぬいた人たちだったのである。