Sat 090606 頼近美津子・滝平二郎・三木たかし 三木聖子・木之内みどり・丸山圭子 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 090606 頼近美津子・滝平二郎・三木たかし 三木聖子・木之内みどり・丸山圭子

 半月も日本を留守にしていれば、いろんな人が亡くなっている。まず、頼近美津子(敬称全て略)である。フジテレビの御曹司と結婚して以降の彼女には何の記憶も興味もないのだが、NHK時代は、私がテレビというものをまだたくさん見ていた最後の時代(その後の「松和荘時代」はテレビを持っていなかったし、就職してからはテレビどころではなくなって今日に至る)だから、頼近美津子アナと言えば、私のテレビ時代と完全に重なるのである。水曜夜8時からだったか、永六輔がメインのバラエティ「テレビファソラシド」に出ていた彼女の新人時代がたいへん懐かしい。まだ30代だった「これから」という感じのタモリも出ているはずだ。NHKのアーカイブスで見られるらしい。若き日のタモリの扱いも、この番組では微妙。「ラジオとかで人気があるらしいから出してみるけど、まあすぐに消えていくかな」という感じの扱いである。今で言えば「鼠先輩」「ナベアツ」みたいな扱いか。


 滝平二郎も亡くなった。切り絵作家である。私はまだ小学生だったが、朝日新聞日曜版に毎週大きく掲載されていた日本情緒たっぷりの大きな切り絵は印象深い。父がこの切り絵が大好きで、文房具屋で大きなスケッチブックを買ってきて、毎週朝日新聞日曜版を切り抜いては、その週の切り絵を丹念に貼り付けていた。いかにも血液型Aの典型を思わせるような丹念さで、1週も欠かすことなくスクラップを続け、切り絵シリーズが終わってしまったときには、盛んに「残念だ、残念だ」と繰り返していた。

 

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(睡魔との戦い 1)


 三木たかしも亡くなった。もちろん作曲家だが、私の世代の人間にとっては何と言っても「スター誕生」のメンバーである。小学校から中学校にかけて、月曜日のクラスの女子の話題は何と言っても「スター誕生」。クラスの誰と誰が予選に出たとか出ないとか、中3トリオがどうとか、そういう話に全くついていけなくて辟易し、話についていくために見てみようと思った。日曜の午前中というとんでもない時間帯のテレビをつけると、「審査員」という偉そうな席に、阿久悠と「松田なんとか先生」というオバサンと作曲家の都倉俊一と、彼らに並んで三木たかしがいた。「青春時代があー、ゆめーなんてえー、あとからー、ほのぼのー、思うものー」の森田公一もいた。


 いしのようこ(石野陽子)のお姉さんの石野真子というのが出てきて、プロダクション全員(確か16人)が手を挙げるのを目撃、何だか人買いか奴隷売買に見えたりした。石野真子はその半年後ぐらいにデビューして「狼なんかこわくない」を歌った。「あなたも狼に変わりますか? あなたが狼なら、こわーくなーいー」とか、バカなことを言っていた。何とも平和な時代だった。彼女はつい3~4年前にちょっとだけワイドショーをにぎわせたことがあったが、朝日新聞によれば、ワイドショーを見る親をもつと子供の成績が下がるそうだ(逆に読書する親の子は成績がいいらしい♡)から、おおコワ、ナンマイダナンマイダ、ワイドショーの話題は避けて通ることにしよう。


 三木たかしが亡くなって、そういう中学生時代のことを思い出していたら、何かのハズミで「三木聖子」という名前を連想した。ミキつながりである。何しろ私の世代は「ミキ」といえば「ミキハウス」でも「メガネのパリーミキ」でもない。ラン&スー&ミキ、三木たかし、三木武夫、ミッキー吉野である(もちろん個人差はあるだろうが)。今でもディズニーランドに行けば「ミッキ、ミッキ、ミッキ、ミッキ、三木たかし」と誰にも気づかれないように口ずさみ、「ミッキ、ミッキ、ミッキ、ミッキ、三木武夫」で締めくくる。ディズニーにいる間中、密かに密かにその歌を頭の中で繰り返している。そういう世代の人間にとって、三木たかしの死はやはり大きな死だった。冥福を祈る。

 

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(睡魔との戦い 2)


 さて、さすがに、もう眠い(昨日からの続き、ドイツから帰国してすぐ2週間分の新聞をめくっている最中の話でした)。フランクフルトで目覚めたのが22日朝6時(日本時間22日13時)、東京に帰って新聞を15日分全部めくり終え、時計を見れば23日から24日に日付が変わろうとしている。こういうときには、バカげた連想がバカげた連想へとどんどんつながって、モワッとして、ふわっとして、この上なく幸福である。旨い日本のビールを飲み、久しぶりの日本酒も飲み、ついでだから甘栗をかじり、大いに心地よい。


 「三木聖子」とは何かと言えば、もちろん「まちぶせ」しかない。連想は(蓮舫ではなくて)、三木たかし→三木聖子→「まちぶせ」である。「まちぶせ」は80年代に石川ひとみが歌い、松任谷由実がセルフカバーし、それで有名になったが、もともとは忽然と消えたアイドル三木聖子の曲。中年のオジサンの中には「どうしても三木聖子でなければダメだ」という頑固な人も少なくない。クマおじさんの疲労は極に達し、では、眠る前に三木聖子の「まちぶせ」を聞こうと思い、YouTubeへ。

 

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(睡魔への敗北)


 こういうときは、もう自分に制止がきかない。連想は(あくまで蓮舫ではなくて)切れず、YouTubeには何でも存在していて、三木聖子「まちぶせ」→木之内みどり「横浜いれぶん」→丸山圭子「どうぞこのまま」→竹内まりや「駅」→吉田美奈子「夢であえたら」まで(大滝詠一のは探しても見つからなかった)。どういうわけかAnita Ward「RING MY BELL」までつながって、そこで初夏の夜は明けた。疲労でベロベロ、睡眠不足でベロベロ、酒でベロベロ、ナツメロでベロベロ。ミキつながりなら、松原みき「ニートな午後3時」→「午前3時のトーキョー・ベイは(中原理恵)」→「酔った目をしてブランデー、あけたあー!!」の連想(あくまで蓮舫ではなくて)の方向性もあったと思うが、さすがに疲労はこの段階で極へ。桑江知子、八神純子への道は断念した。


 なお、この辺の固有名詞に全く記憶のない人、記憶どころか、彼ら彼女らがメディアから消滅した後で生まれた人、そういう人たちのほうがこのブログの読者には多いはずである。ま、仕方がない。まもなく「父の日」がやってくる。父の日のプレゼントは、ネクタイでもハンカチでもなく、You TubeかiTunesを巧みにいじって、以上に掲げた曲をアレンジして作ったオリジナルCDがいいかもしれない。そういうヒントとして、疲労と酒と睡魔にすっかり酔っ払った中年オジサンの連想を披露しておいた。