Mon 090525 「二子玉川学園」と「川浜高校」 二子玉川高島屋の汚水垂れ流し事件 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 090525 「二子玉川学園」と「川浜高校」 二子玉川高島屋の汚水垂れ流し事件

 TBSの「番宣」だと思ったのは勘違いらしくて(昨日の続きです)、正しくは映画の広告らしい。昨日のブログは訂正しておいた。しかし、たとえ映画の広告でも、どんなに素晴らしいものでも、こんなに宣伝づけだと嫌いになってしまう。原作「ROOKIES」なら、きっと悪くないはずだ。しかしこの非常識なTVCMの嵐のせいで、まず「二子玉川学園」という舞台の学園名がムカつきはじめた。何なんだ、この中途半端な実在の地名は。私のような昭和人間の豪放さからすると、実在の地名をチョコマカ使うのは何だか卑怯な感じがしてならない。いいか、昭和の金字塔「スクールウォーズ」なんか、「川浜高校」だぞ。川崎と横浜を1字ずつとって「川浜」だ!! 文句あっか。このダサさ、別世界。おお、たまらない。


 ラグビー部のキャプテンなんか、松村雄基だぞ。マネージャーなんか、岩崎良美だぞ。みんな、当時実年齢30歳近かったんだぞ。それでも学生服にセーラー服だったんだぞ。部員のタマリバなんか、ラーメン屋だぞ。暴力団が入り込んで覚せい剤の売買さえやっている荒れ果てた学園(おそらく「フェーズ6」に引き上げるほど荒れ果てた学園)に、「イソップ」などという弱々しいヤツがわざわざ入学してくるんだぞ。おそらく受験勉強もして、申し込みもして、入試も受けて、合格発表も見に来て、ママと「よかったね」と言いあって、家族で「合格おめでとう」のささやかなパーティーもして、その上で、この荒れ果てたフェーズ6学園に、わざわざ入学してくるんだぞ。病気が悪くなって死んじゃう直前のイソップに、熱血教師・山下真司が「イソップうー!!、死ぬなあ!!!」と絶叫するんだぞ。どうだ、どうだ、どうだ。「ルーキーズ」みたいに、ちょっとガッコの屋上でタバコ吸って、マネージャーに「やらせろ」とかその程度の悪態をついて、それでそんなに不良ヅラされても、「そんな軟弱なことでいいんだろうか」。それが昭和人間の実感なのだ。

 

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(タオルとの同化 1)


 そういうTBSにチャンネルを回すことを避けて1日を過ごした。まあ、あくまで冗談でいうのだが、いくら「起死回生を狙う」「社運をかける」ほどのドラマであっても、その締めくくりだか「卒業」だかになる映画であっても、放送時間8時間半をその広告に費やすのはどう考えても行き過ぎだ。何をそんなに焦っているのかわからないが、というか4月の番組改編が大胆すぎて視聴者がついていけず、視聴率の低迷は目を覆うものがあるのはわからないこともないのだが、番宣のしすぎでますます視聴率が下がるというのも、道理として理解すべきである。視聴者の中に私のようなタイプのムカつきを感じる人が増えてくれば、他の番組にも影響が及びかねない。「社運をかける」とか言ってカタくなりすぎると、キリンビールみたいに「社運を賭けるたびに失敗商品を生む(「極生」「素材厳選」その他)」ことになりかねない。


 いったんムカついた視聴者は、二子玉川という実在の地名にさえ、ムカつくかもしれない。せっかくなら「川浜高校、文句あっか!?」ぐらいの開き直りがほしい。「ニコタマ」だなんて、その響きは教育上よくないでしょ? どうよくないかは、私の職業上、説明を省くけれども。せっかくなら「四子玉川学園」、略して「シコタマ」とかのほうが、儲かりそうでいいんじゃないの? どう儲かるかはわからないけれども。

 

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(タオルとの同化 2)


 二子玉川についていえば、ドラマとは全く関係ないが、ホントに全く無関係だけれども、高島屋SCの汚水が長期間にわたって多摩川に流出していた事件について、世間はもっと騒ぐべきだったように思う。だって、丸々1年間、トイレの汚水を多摩川に垂れ流していたのだ。多摩川べりでバーベキューを楽しんだ人、あなたはデパートの客の汚水が間近を流れる中で「空気がおいしいね」とか、頷きあったんだぞ。日曜日の子供たちは汚水が混じる多摩川でパチャパチャやって、転んで、おそらく河の水も飲んで、でも実はすぐそこの高島屋の汚水が混じっていたんだぞ。釣った魚だって、高島屋のお客様の汚水の中を悠々と泳ぎ回っていたんだぞ。花火、綺麗だね、汚水の空気の中でなら、いっそう綺麗だね、だったんだぞ。


 ただ、冷静に考えてみれば、多摩川流域の住民としては、「玉川高島屋SCの失態をあまり追及したくない」というのが本音なのかもしれない。不動産会社だったかマンション会社だったか(同じことだが)が新聞に入れたチラシによれば、二子玉川は「都心さえ、嫉妬する街に、住まう。」らしい。その「都心さえ、嫉妬する」イメージにとって、玉川高島屋SCの存在は不可欠。


 というか、歴史をたどれば、しかも大して長くたどる必要はないのだが、昭和人間にとって多摩川といえば、何と言っても「岸辺のアルバム」である。増水した多摩川にいくつもの民家が無慈悲に流されていく強烈なシーンである。住宅地としての評価が一気に下がってしまった、実際の大洪水のあのシーンである。それを救ったのが玉川高島屋だったのだ。

 

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(タオルとの同化 3)


 いま玉川高島屋のホームページを見ても「汚水1年垂れ流し」の影も形もみられない「皆様の玉川高島屋」である。それに地元住民があまりクレームをつけたがらないのは、簡単にいえば「企業城下町」と同じこと。「都心も、嫉妬する」はずが、玉川高島屋のイメージがこれ以上傷ついたりすれば、一気に「岸辺のアルバム」時代に逆戻りの危険性だってあるのだ。住宅価格の下落、都心どころか誰も嫉妬しなくなってしまう危険、そうした可能性と比較勘案した時、「まあ、いっか!? あれは事故、あれは配管会社の間違い。高島屋サマは悪くない」で、あとは「広報室任せ」。「広報室」までいってしまえば、あとはどんな企業でも同じことで、「事実とすれば、たいへん遺憾ございます」「コメントできません」という、木で鼻を括った態度になるが、それでも住民としては、トノサマにコケられたのでは元も子もないから、「まあ許してあげましょう」でいいことにしたのである。


 ただ、そういうことをやっていれば、「都心は、嫉妬」しなくなる(というか、最初から誰も嫉妬なんかしていない)。関西の人も、九州の人も、札幌や広島や仙台の人も、だれも憧れをいだかなくなる(というか、最初から誰も憧れてなんかいない)。住民としての誇りをもつなら、しっかりと責任を追及したほうがいい。そうしないと、「残ったのはルーキーズだけ、ニコガクだけ」ということになりかねない。もちろん全く同じことが、いろいろな事件に対する日本国民全体の態度についてもいえるはずだが、それは話が大きくなりすぎるのでヤメておいたほうが無難。反省し、自戒し、自省と自制に努めるはずだったブログの分量を、すでに大幅に(というより、高見山の「2倍!2倍!!」まで来ているのだが)オーバーしてしまっている。自戒、自戒。