Thu 100107 熊谷懇親会 30歳を過ぎた昔の生徒が活躍中 ガラガラの上越新幹線に思う | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 100107 熊谷懇親会 30歳を過ぎた昔の生徒が活躍中 ガラガラの上越新幹線に思う

 終了後(スミマセン、昨日の「熊谷講演会」の続きです)、校舎の若いスタッフを中心にした懇親会、出席者は15名弱。こういう席でいろいろ若いスタッフ諸君の話を聞くのは、授業向上に大いにプラスになるから、若い職員の皆様がたくさん出席してくれるのは嬉しいことである。
 4年前、こういう席で奈良・橿原神宮校のスタッフ諸君から聞いた「確認テストを生徒があまり受けてくれない」という悩みが余りに切実だったので、授業の最後に毎回必ず「確認テストを受けなさい」の一言を入れるようにした。「受験率が8%なんです」と言って涙を浮かべていたスタッフの顔が忘れられなかったからであるが、あれ以来、東進生全体の確認テスト受験率が格段に向上して、今では「受けない」という生徒はほとんどいないようである。
 今夜の熊谷では、嬉しいエピソードが2つあった。1つは、熊谷の塾長先生と思いがけなく大学ラグビーの話ができたこと。早稲田サイドと慶応サイドに分かれてのラグビー談義だったが、もともと今井どんは慶応のプレイスタイルが大好き(ただし林監督になってからのキックばかり多用する退屈なゲームは大キライ)。2009年度の左ウィング三木についての見解も一致して、酒はますます旨くなった。
 その時今井どんの右からラグビー談義に加わってきたのがT先生で(ブログ開設時から個人名はできるかぎり書かない方針です)、彼女は明治サイド。明治サイドかつ元山岳部だけあって、酒の強さも「さすが山岳部」の片鱗が見えたけれども、早稲田・慶応・明治がそろうことになって、大学ラグビー談義はますます盛り上がった。
 その勢いで、ということでもないだろうが、彼女が駿台時代の今井の授業を受けていた事実がポロリと口からこぼれて、「嬉しいエピソード」の2つ目が始まった。今井が駿台にいたのは、もう13年も前のことであって、当時の生徒たちはすでに30歳代、社会の中核を担い始めている。

(駿台時代の特単テキスト「長文POWER☆READING」96年版)

 そのとき、「駿台で今井の授業を受けていた」という先生がさらに1人出現した。テーブルの向こう端に座っていたH先生(熊谷の校舎責任者ということだった)である。突然緊張の面持ちでクマどんの正面の席に移動してきたかと思うと、「大宮校で特設単科を受けていました」とおっしゃる。その手には駿台時代の今井のもう1つの特設単科講座「POWER☆READING」のテキストが握られていた。おお、あの懐かしい黄色い表紙である。

(当時出演したラジオたんぱ「大学受験ラジオ講座」テキスト。ラジオたんぱも今はない)

 駿台時代の特設単科というと、お茶の水と池袋でやっていた「ENGLISH☆FARM」ばかりが記憶に残っているのだが、大宮と柏でやっていたこの「POWER☆READING」もまた思い出深い。東進の講座なら「今井のB組」ぐらいの位置づけ、難易度もほぼ同じである。「あの時から、音読の重要性を力説していらっしゃいましたね」というのも、まさにその通り。H先生は今でも生徒たちに音読の重要性を熱心に説いてくれているようである。
 こういうふうで、今回の懇親会もまた最高潮へ。最初のうち遠慮したのか、若い諸君は「みんなウーロン茶」で、ウーロン茶でないヒトも「ボク、普通にコカコーラ」とかバカなことを言っていたが(コカコーラのどこが「普通」なんだ?)、今井が帰る時刻が迫るころには、「この際、ま、いっか」ということで、大胆にお酒に移行する若者が増えてきた。以前からこのブログに何度か書いている通り、せっかく懇親会に出席しても「今井だけ酒、残りのヒトはみんなウーロン茶」と言うのではつまらない。寂しいし、何だか見せ物になっているようでイヤなのだ。飲めないヒトに無理強いするつもりはないが、もしも飲めるヒトならば「クルマですから」とか冷たいことは言わないで、懇親会の時ぐらいはクルマを家に置いてきて、ぜひ一緒に大いに盛り上がってもらいたい。

(ラジオ講座「出講講師紹介」の今井君、1996年当時の似顔絵)

 もっとも、今回は「時間を忘れるほど」楽しくて、気がつくと現実に時間を忘れて話し込んでいた。東進スタッフに声をかけられたのが22時15分。乗るべき新幹線の時間が22時24分。楽しすぎて22時44分発だとずっと勘違いしていた。おお、危なかった。最後は熊谷の皆さんと駅まで大急ぎで駆けつけて、これがまた面白かった。こういう懇親会なら、これからもいくらでも出席して、もっともっと盛り上がりたい。
 新幹線に乗ってしまえば、大宮と上野に止まるだけ、たった40分の旅である。おそらく最終の新幹線だったのだろう。どの車両にも誰も乗っていなくて、グリーン車なんかホントにクマどん1名だけである。
 1月下旬の上越新幹線でこんなガラガラなどというのは、隔世の感がある。今井くんの記憶によれば、冬の日曜日、この時間帯の上越新幹線は、スキーを抱えスキーブーツの入ったデカいリュックを背負った若者で、越後湯沢からすでに満員、自由席は通勤時間帯の山手線並みの混雑だったはずである。うっかり熊谷から乗ろうものなら、「なんだこいつ?」という顔で邪魔者扱いされたかもしれない。
 若かった頃の今井くんも、越後湯沢日帰りのスキーにはよく出かけた。朝7時の新幹線で出かけて、9時からゲレンデに出て、昼食もそこそこにナイターまで満喫すると21時。湯沢の駅で温かい日本酒を買って、最終の新幹線で帰る。オムスビを自分で握って出かけ、昼食代を浮かせてまで遊んだ世代である。岩原、苗場、中里、三国、かぐらみつまた、そういう名門のスキー場が懐かしい。

(最も頻繁にスキーに出かけた頃の今井君、1987年)

 しかしこの新幹線のガラガラぶりを見ると、どうやらスキー場もガラガラらしい。「ガーラ湯沢」とか、そういう不吉な名前のスキー場を造ったのがいけなかったのかもしれない。苗場の近くに西武不動産が大量に建設した温泉つきマンション群など、すでにスラム化が始まっているようである。ユーミンは遠くなりにけり。苗場に到着して、そのあまりの混雑ぶりに喚声をあげ、ホテルにチェックインするだけで2時間もかかった日々は、21世紀の若者には理解しがたいのである。
 東京駅に着くと、日本の真ん中の丸の内南口もまたガラガラである。東京駅も工事中、東京中央郵便局も廃墟。冬の生暖かい風の中、寂しい思いでいっぱいになってタクシーに乗り込むと、話し好きの運転手さんが「今日は自民党の党大会がありましてね」と話し始めて、代々木上原までずっと「野党としての自民党」談義を聞かされた。自民党も、スキーブームも、ユーミンも、苗場も、日本がイヤになるほど元気だった時代も、すでに遥か昔の物語なのである。

1E(Rc) Muti & Philadelphia:PROKOFIEV/ROMEO AND JULIET
2E(Cd) Midori & Mcdonald:ELGAR & FRANCK VIOLIN SONATAS
3E(Rc) Walter & Columbia:HAYDN/SYMPHONY No.88 & 100
4E(Cd) Akiko Suwanai:DVOŘÁK, JANÁĈEK, and BRAHMS
7D(DMv) BURN AFTER READING
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