Sat 090509 終電まで酒を飲んでいた日々 やがて始発までに変わる 奇妙な優越感とネクター | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 090509 終電まで酒を飲んでいた日々 やがて始発までに変わる 奇妙な優越感とネクター

 佐々木(仮名)とはよく飲んだ。「飲んだ」と言っても、もちろんお金が続かないから、早稲田または高田馬場の安い飲み屋で安い酒をツマミなどほとんどなしで飲んで、あとは長々とバカ話をして終電まで過ごすというだけのことであるが、田舎から出てきたばかりの人間にとって「終電までいた」というのは、それだけで歴史に残る大事件なのである。高田馬場駅前に「FIビル」という雑居ビルがあって、その2階だったか5階だったか、「YOURS」という店があった。ここには「入り浸った」というぐらいよく通った。別になんの取り柄もない店、というより「取り柄が1つもないことに逆に安心感がある」という類いの店である。


 学部1年の9月には石神井公園の下宿から千葉県北松戸のアパートに移っていたから、終電で帰るにしても北松戸までの終電は早い。今でも覚えているが、高田馬場から東西線で大手町、大手町から常磐線直通の千代田線で北松戸、そのルートで帰るとすれば、高田馬場23時19分。大学生が「終電まで飲んでいた」という発言をするには、少し時間が早すぎる気もするが、しかしそれでもほぼ1週間に3~4日、そんなバカバカしい生活をしていた。


 大学図書館に残っていろいろ本を読んでいると、夜9時頃に「法職課程」の授業を終えた佐々木がニヤニヤしながらやってきて「どっかいくか?」と誘い、「どっか」も何も、行くところは「くにへい」か「しのぶ」か「だるま」か「YOURS」ぐらいである。別に「鳥安」でも何でもいいわけだが、そういうところはちゃんと食べないと叱られるわけだし、叱られるから仕方なく食べると、当然カネがたくさんかかって大学生の財布がもたなくなる。

 

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(キリンを狙う白と黒の猛獣)


 では、酒を飲みながらどういう話をしていたかと言えば、まあ法律の話である。ついさっきまで法学部の教授の授業を受けていたわけだから、佐々木の頭の中は法律で占領されていて、刑法、民法、行政法、たった今受けてきたばかりの授業の内容を彼なりにまとめてみながら1時間でも2時間でも話し続ける。特にこの男は行政法が好きで、行政法の授業を聴くためにわざわざ東大本郷に潜りにいき、当時東大の行政法と言えば塩野宏教授だから、酒を飲んでは「塩野が」「塩野が」と言って盛り上がるのが定番になっていた。要するに酒を飲みながらその日の復習をしていたということかもしれない。


 一昨日のブログの最後で述べた「法職課程の2名」のうち、後に東大教授になったほうは、司法試験にも在学中(というより学部3年の時)に合格したわけだから、その努力は本格的で、こういうバカバカしい生活はしていなかったのだと思う。使用している基本書も、出席している授業も、あくまで本格派の保守本流。佐々木のほうは確かに才気煥発で議論も巧み、基本書の選択もシャープで、後から考えると佐々木が夢中になる教授たちはその後3~4年して学界を背負うような大物になることが多かったが、どうしても「奇をてらう」ところがめだつ。あれほど才気煥発だった佐々木が、司法試験で予想外なほど苦労したのは、それが原因だったと思う。もっとも、私は横で安い酒に酔って眺めていただけである。偉そうなことを言える義理ではない。


 そういうふうで、北松戸のアパート「松和荘」に移った大学1年の9月頃からは生活がすっかり乱れてしまった。このあたりが、大学生活にすっかり溶け込んで、というかうまく妥協して早稲田にマジメに4年間通い、キチンと超一流企業へのシューカツに成功した大多数の人々と、だらしない人生を送る私との分かれ道だったように思う。彼らはあくまで「保守本流」。保守本流がなければ異端もないのだから、彼らの存在は私にとっても不可欠なのだが、とにかく彼らが粛々と保守本流の王道を歩んでいくのに気づかずに、私は連日のように佐々木とつるみ、23時19分になると東西線に駆け込んで、北松戸に到着すれば既に1時近く。駅前にはセブンイレブンが1件あったが、昔のセブンイレブンは朝7時開店、夜11時閉店。最近の受験生世代には知らない人もいるようだが、だからこそセブン&イレブンなのだ。


 というわけで、もう買い物もできず、全ての店が閉まった後の真っ暗な田舎道をトボトボ松和荘まで歩いて帰る。徒歩にして15分ほど。何故か途中の神社の横に「鳥獣保護区」という看板があって、「おお、ものすごいところに帰ってきたな」という実感がある。ただ、昔の酒の自動販売機は「22時以降は使えません」みたいな意地悪いことはしなかったから、例え深夜1時でも、気が向けば缶ビールを1本買って買えることはできた。

 

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(キリンを狙うことに飽きはじめる)


 しかし、23時19分の終電に乗るというのがやがて面倒くさくなりはじめて、そうなるともう生活の乱れはとどめようがない。佐々木も話が盛り上がれば「まだ帰るのは早すぎる」ということになる。「どうせなら始発が動くまで」という発想が忍び込むと、そこから中野、高円寺、吉祥寺、その他「朝まで」に相応しい街の、相応しい店に出入りするようになる。佐々木は当時出始めたばかりのカセットテープのカラオケで歌い、カウンターで偶然隣り合わせた他の客とも仲良くなり、私は半分眠りながら注がれた酒を際限なく飲んでいた。


 始発で帰れば、北松戸到着が朝6時頃。マジメに生き、マジメに通勤通学する人々が、忙しそうに階段を上り、雨の日なら折り畳み傘の水を切って鞄に突っ込み、定期券を駅員に見せ(そのころは「自動改札」などというものはなくて、改札口に駅員がズラッと並んで、キップを切るハサミをカチャカチャならしながら、一人一人の定期券を確認していたのだ)、そういうマジメな朝の情景と行き会うことになる。


 そういう時の無意味な優越感は、経験した人しかわからない。自分はこれからアパートに戻って、昼過ぎまで眠るのである。酒の臭いがプンプンするだろうが、そんなことは知ったことではない。とにかく、君たちは働きにいき、勉強しにいき、そうやって律儀にマジメに懸命にレンガか積み木を積み上げるように生きていく。しかしこちらは昨夜からずっと愉快に酒を飲み、始発まで酒を飲み、これから満員電車に長時間揺られて世の中に虐められるために出かけていく君たちとは違って、昼過ぎまで布団にくるまって眠るのだ。ま、頑張りたまえ、キミも、あなたも、頑張りたまえ。そういう惨めな負け犬の優越感である。


 何故か、そういう朝は、雨が多かったような気がする。自動販売機で買うのは、もうさすがにビールはイヤで、よく冷えた不二家ネクター。定番のピーチ以外に(不二家ではない小さなメーカーだったが)パイナップルのネクターもあって、松和荘に帰り着くとすぐにその2本をあおる。溜め息をついて、眠って、目が覚めると午後4時。それでも優越感だけはなくなっていなかったのだから、なかなか不思議なものである。