Fri 090508 佐々木(仮名)との日々 「成績表に優を並べる」ことへの嫌悪感 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 090508 佐々木(仮名)との日々 「成績表に優を並べる」ことへの嫌悪感

 もうまもなく1年にもなるが、「迷惑がかかるといけないから友人・知人・家族のプライベートなことは一切書かない」という方針で始めたブログだから、大学時代の友人についても「もう時効だろう」と言い訳して「旧悪暴露」みたいなことをしようとは思わない。ただ、自分について「あなたは大学時代、結局何をして過ごしたんですか」と質問されれば、「酒を飲んで怠けて過ごしていました」ということのほかには、「法職課程に打ち込んでいた友人と毎晩つるんでいた」という回答しかできないのではないだろうか。授業への出席率はきわめて劣悪。なぜか確実に作家になるつもりでいて、どういう根拠があり、どういうものを書こうと思っていたか自分でもよくわからないが、「ごく近い将来作家になる人間が、律儀に品行方正に毎日授業に出ているわけにもいかないだろう」と考えていたことは確かである。


 「ごく近い将来」がどのぐらいのスパンを指していたかと言えば、「明日にでも」「遅くても来年までには」「最悪でも学部在学中」であり、もしそれを妨げるような者または事情があるとすれば、それはその人物または事情が一方的に悪いか、または邪悪なのであって、自分の努力不足とか才能不足とか、信念自体に何らかの錯誤がありうるというようなことは、疑いさえ一切もたないという有り様であった。どうせ作家になるわけだから、シューカツも必要なし。司法試験とか国家公務員試験も関係なし。将来のことを思い煩う必要は一切なし。次第に将来のことをマジメに考えはじめ、愚痴をいうのもいい加減にヤメにして大学生活のあるべき姿にとけ込んでいく友人たちに、嫌悪感をますます強くしていったのはこの頃である。

 

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(ケンタッキーは、いかがですか?)


 これほど楽天的というか能天気というか、まあ「オバカ」なことはなかなかないだろうが、だから授業への出席なんかに価値を見いだすわけもなくて、しかも1度も出席しなかった授業でも試験にさえ出れば「優でも良でもとり放題」というのが早稲田のいいところか悪いところかわからないが、社会学でも心理学でも政治学でも経済学でも、試験に出れば例の使い込んだ万年筆で書きまくり、書きまくったことはそれなりに評価されて「優」がガンガン返ってくる。そうやって1学期が過ぎ、半年が過ぎ、授業に出なくても優ばかりという変な人間が出来上がれば、ますます近い将来作家になるという信念ばかりが強固になっていく。


 田舎から出てきた若い人間がそういう固い信念をもって語り、酒が入って熱がこもれば、なかなか滑稽なことも語り始めるはずである。信念の拠り所と言っても、何人かの信頼のおける大人に「キミは将来、ものを書いて生きていく気はないかね?」と言われたというだけのことである。それが高校の国語の先生と大学のゼミの教授というのでは噴飯ものというしかない。クラスの中にそんなのが1人ぐらい混じっていれば、都会育ちのちょっとセンスと頭のいいヤツなら、軽くからかってやりたくなるのも人情として理解できる。便宜上、あくまでカッコ仮名で佐々木ということにしておくが(仮名を「A」などにするといちいち変換キーを押すのが面倒なのだ)、佐々木とのつきあいは早稲田1年の6月から。出会って最初の一言が「キミは秋田に帰れば? 秋田にも医学部ぐらいあるでしょ?」というのだから、なかなかひどい話であるが、それでも正式な授業の後に法職課程に夢中になって取り組んでいることだけは認めてやっても悪くないと考えていた。


 共通していたのは、マジメに大学の授業に出続けている友人たちへの嫌悪感ぐらい。他のことはすべて正反対で、環境にも過去にも共通点なんかほとんどないのだが、昨日まで語ったような殆ど意味のない授業に「単位ほしさ」や「優ほしさ」で出席を続けること、要するに「シューカツに有利なことなら何でもする」というダラしない態度への嫌悪感だけは明らかに共通していたのである。参考書まみれ&塾まみれの生活に、予備校生時代にはあれほど飽き飽きしていたのに、やっとのことで大学に入ってみたら、再びシューカツに向けての参考書まみれ&塾まみれ。それに嫌悪をいだかないのはどうかしている、そういう共通認識である。佐々木については、彼らに混じるより法律をきわめたかったわけだし、私は例のおかしな信念の虜になっていたから、何よりもまず「政経学部の授業にでないこと」に夢中になるというこれまたおかしな選択をすることになった。

 

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(ケンタッキー、買わないの?)


 最初の最初が「秋田に帰れば? 医学部ぐらい秋田にもあるでしょ」だったわけだから、それ以来あまり親しくもならずにいたのは当たり前。ところが、経済学の授業のことで共通のピンチにたったのがキッカケで急速に親しくなった。教養課程の経済学など本来あまり面白いものではないし、同じ政経学部でも経済学科生にとっては必須でも、政治学科の学生は選択しなくてもいくらでも逃げられる。もし経済学を選択するとすれば、たくさんある同名の講座のうち、「ラクショー」な教授の講座を選択するのが早稲田の学生の定番。シラバスをみれば、政経学部1年で選択できる「経済学」は6~7講座あって、一般の学生なら友人知人先輩の情報をもとに(今ならネット情報だろうが)、「超ラクショー」または「一番ラクショー」な講座をその中から選ぶというのが定石。


 もし人生についてマジメに考えていて「シューカツ命」「優の数で勝負」「人生はコネがすべて」の類いの発想を持っているとしたら、そういうマトモな行動をとるのが当然であった。しかし、私は「可及的速やかに作家になる」はずで、そのことに一切疑念を差し挟まなかったし、佐々木は佐々木で「在学中に司法試験に合格するのは確実」だったし、友人たちもそれに太鼓判を押すほどに才気煥発に見えたから、お互いに「成績表に優が並ぶこと」に一切無関心。そこだけが共通していた私と佐々木が、6講座も7講座も並んでいる「経済学」の中で、よりにもよって「決してとってはいけない」「選択したら地獄」という上原教授の経済学をそろって選択してしまったのである。「上原の経済学、どうする?」と呻きながら、その相談で酒を飲んだのがキッカケ。そこから「毎晩つるんでだらしなく過ごす」という生活パターンが完成して、それをずっと引きずることになってしまった。