Wed 090506 なのにあなたはベルリンに行くの 政治学科でエドガー・アラン・ポーの怪奇 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 090506 なのにあなたはベルリンに行くの 政治学科でエドガー・アラン・ポーの怪奇

 どんなに悲惨で、どんなに無残で、どんなに悔しいスタートだったとしても(昨日の続きです)、いつまでもそういう思いばかりかかえているわけにはいかないし、そういう思いにくるまって5月病になるのはもっと惨めで、バカバカしくて、「つけるクスリもない」と言われるのがオチである。例え惨めな別れ方であったにしても、せっかく18歳にして故郷を離れたのだとすれば、せっかく「ああ明日の今頃は、ボクは汽車の中」「木綿のハンカチーフ下さい」「京都に行くの?」をやったのだとすれば、1ヶ月か2ヶ月で諦めてションボリ故郷に帰るわけには行かないだろう。「やっぱりダメだ」「大阪で生まれた女やさかい、東京では生きていけへん」「名古屋のミソカツ食べに帰ってきた」では、周囲ばかりか本人にとっても、惨めさと悲惨さとバカバカしさが倍増するだけである。


 もう4年も前のことになるが、コペンハーゲンからベルリンに向かう飛行機を待つ待合室で、緊張感で震えているらしい日本人の女子学生を見かけたことがある。2月上旬のコペンハーゲンだから、昼でも空港一帯は薄暗く、外を吹雪が吹き荒れ、ベルリン行きの小型飛行機を待つ乗客の中に、他の日本人の姿は全く見えない。おそらく「のだめ」か何かを見たせいでの記憶違いなのだが、彼女は片手にバイオリンケースを下げていて、いかにも思い詰めた表情。「のだめ」のせいで感傷的になっていてもアホみたいだろうが、もしも私の記憶が確かならば、明らかにあの時彼女も「なのにあなたはベルリンに行くの?」をやったのである。私自身はあの日から40日の予定でヨーロッパを回る暢気な旅行者の立場でその姿を眺め、何の役にも立たない暖かいエールを(しかも心の中だけで)彼女に送ったものである。

 

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(肉体改造を夢みる)


 さて、いよいよ大型連休が明けてしまうと、さすがにそろそろ、何でもいいから始めなければならない。4月上旬のブログで書いたような、余りにも情けないスタートを切った早稲田大学での私たちも、5月上旬にはそれぞれ方向性を決めて、いやいやながら動き始めていたようである。「やっぱり、第1志望はゆずれない」とスカッと決めたヤツらは大学に来なくなった。5~6人はいたはずである。


 彼らがどうなったか、よくわからない。早稲田をヤメてでもどうしても行きたい第1志望と言えば、医学部か東京大学かしか考えられないが、うまくいったヤツならすぐにでも連絡してくるはずだから、まああまりうまくは行かなかったのである。共通一次(センター試験の昔の呼び方)でうまくいかなくて「一橋に行くことになってしもうた」という奈良出身のヤツが一人いて、1度だけ一橋vs早稲田の草野球を楽しんだことがあったが、それきりになった。


 大学の授業に、文句を言いながらも真剣に出席するようになった者たちもいた。当たり前だが、もちろん彼らが主流であって、大多数がこのメンバー。私も最初はこのグループに入って、それなりに出席も続けていた。学部の1年生が出席する教養課程の授業にそんなに面白い講義が目白押しになっているわけはないのだから、あまり多くを大学側に要求することはできないが、「法学」「経済学」「西洋文学」「行政学」「憲法」など、概論ばかりがズラッと並んだそれらの講義は、驚くほどつまらない。


 「西洋文学」は、教授がノートを読み上げ、早稲田大学3号館402教室を埋め尽くした250名の学生たちは、読み上げられるノートを一字一句書き写していくだけなのである。何故かジョイスとアイリス・マードックがテーマ。早稲田の政治学科に合格して、なぜジョイスなのか、なぜユリシーズなのか、その辺のことはよくわからないが、まあこれならだれか真面目な女子学生1人にノート作成を任せて、他のヤツらは何か別のことをしていたほうが確実にプラスに働くことだけはすぐにわかった。


 「法学」「行政学」は、ノートではなく著書を読み上げるスタイル。「スタイル」と呼べばカッコいいが、「西洋文学」の教授には著書がなかったのでノート、「法学」「行政学」は著書があったから著書、それだけのことで、「読み上げるだけ」ということには何の違いもなかった。「政治英書」というのもあった。DahlやDeutschの政治学書を「原書のままで読む」という授業で、学部側の意図が分からないことはないし、担当する教授もその後政経学部長にまで昇進するような、当時の政経学部のホープと思われる若手教授陣だったのだが、何しろ「訳すだけ」である。だれか他の人が書いた本を「訳すだけ」で、魅力的な授業ができるはずはない。学部1年生だけを集めてプレゼンやコメントのまねごとをさせても大したことにはならないだろう、という当時の学部の姿勢は理解できるが、とにかくこれもつまらない。

 

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(強火を夢みる)


 最もつまらなかったのが「語学」である。「ドイツ語」は目新しさもあって面白くないこともなかったが、問題は英語である。私が入れられたのが「政治学科5組」。政経学部全体で40組ぐらいあったが、当初一クラス40名ほどだったかと思う。英語の授業は選択制ではなくて、偶然割り当てられた教師が好き勝手に選んだテキストに、1年間無理やりつきあわされる。それが1週間に4コマもあって、講読が4つと英作文が2つの割合。おお、数だけ見ればなかなか充実している。政治英書を入れれば、週5コマも英語の授業がある計算になるのだ。週に5コマだなんて、ちょっとした語学大学みたいじゃナイスか。


 しかし問題は「中身」である。講読のうち1つは「ノミナライゼーション」。英文を1文ずつ、名詞構造に圧縮する訓練である。生徒たちから最初に疑問の声が上がったのが、この授業。これでは予備校時代の授業と変わらないばかりか、予備校の授業よりはるかにつまらない。駿台出身者も、代ゼミ出身者も、みんな声をそろえてつまらないと文句を言った。


 もう1つの講読が「エドガー・アラン・ポー」。政治学科の学生を40名集めて大昔の怪奇小説を読ませることに何の価値を見いだしたのかよくわからないが、とにかくこの教授がそれを読ませたいと判断したら、政治学科だろうと何だろうと、お構いなしなのだ。しかもこの教授は、声にも文字にも恐るべき個性があって、滅多なことでは聞きとれも読み取れもしない。何を言っているんだか聞き取れもせず、板書されてもその板書の文字が読み取れない、個性的きわまりない授業90分で1ページか2ページの英文を訳し、生徒は何とか「ほうほうのてい」で訳文を書き取るだけである。毎週この授業の後には「やっぱり受験勉強に戻ろうか」という会話になるのも仕方ないことであった。