Tue 090505 「なのにあなたは京都に行くの」 文系受験生が東工大・医歯大に行った時代 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 090505 「なのにあなたは京都に行くの」 文系受験生が東工大・医歯大に行った時代

 2月なり3月なりに屈辱を味わって「こんなところに来るはずじゃなかった」という大学に入学することになった人たちが、どれほど悲惨な入学式を経験するか、どれほど無残な春を迎えるか、どれほど暗澹たる気持ちで満開の桜を眺めるか、4月上旬のブログでそういうことをたくさん、あくまで自身の思い出として書いた。都会の大学に入学して、初めて田舎を離れて一人暮らしを始めるというのは、本来これ以上ないほどに華やかな一瞬であって、昭和中期から後期の音楽には、その華やかな一瞬の記憶を描いたものが少なくない、というより、非常に多い。田舎臭いと言えばそれまでだが、東京に向かう夜行列車に乗り込む彼または彼女との別れが感動的でないはずはない。別れを予感して「だから今夜だけはキミを抱いていたい」「ああ、明日の今頃はボクは汽車の中」だったり、都会に行っても今のままのあなたでいてほしくて、それでもおそらく裏切られることは予感できて、だから「涙拭く木綿のハンカチーフ下さい」だったり、そのパターンで別れを描けば、同じような経験を持つ若者の心を打つ可能性は高かったのである。


 逆パターンというのもあって、都会を離れる彼または彼女、それを見送る彼女または彼、「東京で見る雪はこれが最後」、などという設定にすれば、もう少しだけカッコよくなる。彼も彼女も両方とも田舎者という前提が、一方または両方が東京人ということになると、同じパターンの別れでも、何だか知らないがワンランク感動が大きくなるらしい。大阪や京都を舞台にして、東京へのコンプレックスではなく、少しだけねじれた優越感または反発を前提に「大阪で生まれた女なんだから東京へはよう行かん」と言ってダダをこねてみせれば、大阪人としてはどうしても感動してしまったものだろうし、ここでも逆パターンが存在して「なのにあなたは京都へ行くの?」というのもあった。


 2人が東京人で、カッコよくて、言葉にも訛なんか全くなくて、着ている服にも、靴にも、バッグや小物にも、田舎臭さは全くなくて、しかも相手が去っていく先が「京都」ということになれば、正直言ってもう一分のスキもない。69年に学生紛争が原因で東大入試が中止になって、東京の優秀な学生が非常に多く「京都へ行く」ことになったのである。もちろんそのとき「文系なのに東京に留まる」には「一橋」「早慶」などの選択肢はしっかりあったのだが、オカミ第一主義、国立第一主義、「国立以外は大学ではない」、そういう発想に毒されていれば、「別にそういうことではないが、とにかく学費が安いから」と言い訳し、「生活費がかかる」ことは一切に無視して、あの年の優秀者はみんな京都に流れた。というか、そうだったと聞いた。

 

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(段違い平行棒)


 「なのに、あなたは京都に行かないの?」という人たちもいた。なんと文系なのに「東京工業大」「東京医科歯科大」という驚くべき選択肢が、当時の受験生には残っていたのである。69年に18歳だったということは、今年58歳になられる方々であるが、どう見ても、いかにも文系人間なのに「東工大卒」という人がいたら、おそらく「なのに京都へ行かないの?」のタイプ。こういう人たちが経済学に数学を持ち込み、金融工学を発明して世界経済を混乱させたのか、というのは明らかに言いがかりだが、そんな言いがかりまでつけられて、いまだに何となく悲哀を引きずっていないとも限らない。経歴を拝見して、いかにも文系なのに「東工大出身」という58歳に出会ったら、あくまで軽く、素っ気なく、学生運動の話にでも触れてみるといい。その後の世代にはとても理解できないような、深い人生論に出会う可能性がある。


 今の受験生はどんどん科目の負担を減らしてもらって、高2の段階で、早い場合は高1の段階で文系理系を峻別されてしまうから、「文系なのに東工大」などという選択肢がありうるとは想像もつかないかもしれない。しかし、当時としてはそれほど不思議なこともなくて、その後私の世代が大学受験をする時代になっても、旧帝国大学の多くが900点満点だった。国語数学英語が200点満点で合計600点。文系なら理科1科目・社会2科目の合計3科目が各100点満点で合計300点。理系はもちろん理科2科目・社会1科目で300点。これで900点。つまり文系でも理系でも大して違いはなくて、「文系なのに東京医科歯科大」をやるにしても、別に人生の大転換など必要ではない。要するに、理科1科目を1~2ヶ月死ぬ気でやれば、医学部でも何でも簡単に志望できるだけの基礎体力はついていたのである。

 

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(チューボーですよ)


 その中で一番軟弱な点数配分だったのが東大で、文系も理系も2009年と同様に4科目。配点も同じ。私みたいな軟弱なヤツは、九州大学とか北海道大学なんかより、4科目で済む東大のほうが何となく合格できそうな気がしたものである。ただし、もちろん「東大1次」というのがあって、そこでは社会2科目・理科2科目。私が選んだのは「日本史・世界史・物理・化学」という究極の4科目。やはり、いつでも「文系なのに東工大」という基礎体力はあったのである。


 だから、むしろ幸せといえば幸せといえる下地があって、1970年代から80年代の文系最優秀者に一番多かったパターンは「第1志望・東大文Ⅰ」「第2志望・東京医科歯科大」という志望の仕方である。今の受験生のように「医学部か、それとも東大か」と悩むのではなくて、両方受験して、しかも驚くべきことに両方キチンと合格して、合格した上でどちらにするか悩む、そういうちゃんとした悩みの世界なのだ。


 浪人しても同じことで、昔の駿台の文系最優秀者クラスなら、「親にワガママを言って浪人したんだから」という理由で、「第1志望・東大文Ⅰ」「第2志望・東京医科歯科大」の両方を突破する猛者がぞろぞろ存在したはずだ。国立1期2期校の区別があったとき、しかも高校教育が硬派にできていて、そういうことを可能にしてくれた時代には、努力さえしっかりしていれば、そういう幸せな選択が可能だった。あれから「受験生の負担を減らす」「もっとゆとりを」という社会の流れの中で、受験生の選択肢はどんどん減らされてしまった。そうやって、制度をいじくり放題いじくって、合格してもいないうちから自分の進路の選択を窮屈に絞られてしまう、可哀想な世代を作り出してしまったことになる。