Fri 090501 ナイルレストラン「ムルギランチ」の続き 伊東屋に万年筆を買いに行く | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 090501 ナイルレストラン「ムルギランチ」の続き 伊東屋に万年筆を買いに行く

 「ナイルレストラン」は(昨日の続きです)、今もあの頃と(昨日の続きです)変わらない。おそろしく愛想のいいインド人のオジサンが出てきて、メニューさえ出さずに「ムルギランチですね」と決めてしまう。「ですか?」ですらない「ですね。」なのである。英語なんか教えていると、ここで付加疑問文のイントネーションの話に行きたくなるぐらいだ。他の注文も受けないことはないのだが、「どうしてもムルギランチを食べさせたい」、そういう勢いである。で、客はみんな笑いながら、その有無をいわせない「ムルギランチ」を注文し、大人しく無言で平らげて、楽しく帰っていく。蒸した鶏肉の半身、蒸したキャベツ、大量のインディカ米の上に、食べてしばらくして強烈に辛くなってくる不思議なスパイスのカレーをかけて、メッタヤタラにかき混ぜて食べる。何十年も言い続け、使い込んで黒光りするほどのギャグを言いながら、インド人のオジサンが巧みに鶏の骨を抜いてくれる。私もすっかりオジサンになったから、少し量が多すぎて、昼食にムルギランチを食べた日には、もう夕食なんか必要なしになってしまうほどである。

 

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(ナイルレストラン、近景)


 「ナイルレストラン」で少しつらい思い出をかき混ぜた(昨日の続きです)後、銀座の伊東屋に万年筆を見に行くことにした。もちろん万年筆なんか実際に使用する機会はほぼ皆無だから、「書くよりも、所有することに意味がある」という万年筆を買おうと思う。何しろ万年筆を買ったのは25年前のペリカンが最後。中学生の頃から大学を卒業するまでずっと「パイロット万年筆」の大ファンで(Sun 090405参照)、高校の授業ノートから大学入試まで、大学のレポートから就職試験まで、たった1800円のパイロット万年筆ですべて通したのだったが、あれをなくしてから筆記用具にこだわりをなくして、こだわりがなくなるのと比例するように、ものを書くことにも興味をなくしてしまった。
 

 ちょうどその頃に150円の使い捨て万年筆などというもの(セーラー万年筆)も売り出されて、それで2~3年ゴマかした。そのうちに「ワープロ」というものが出てきて、例え「ディスプレー1行だけ、フロッピー使用不可」であっても、格段に便利であることに異論はなかったから、ますます万年筆への興味はなくなってしまった。ナイルレストランについてのつらい記憶もその頃である。「万年筆で書く」のをヤメてしまったのと、しばらく不調が続いたのとが、何らかの形で連動していたかもしれない。


 こういうものに対する興味は、いったんなくすと、取り返しがつきにくい。電通に就職して給料もたくさんもらうようになったのだから、書くことに興味をなくしてもいろいろ万年筆を買ったこともある。モンブランが2本、最後のペリカンが1本。しかし「使い込む」という感覚が全くないままにどこかへ消えてしまった。中学から大学まで使い込んだ1800円のパイロット万年筆と比較して、要するに書きにくくて、手に馴染まなかったのだ。


 ペン先と紙との微妙な摩擦が万年筆の命だ、と考えている。その微妙な摩擦を指先に感じながら書くうちに、思いもしなかったインスピレーションの泡が次から次へと湧き上がってきて、書けば書くほど泡だらけになって、その「泡だらけ」が嬉しいのだが、モンブランにもペリカンにもその摩擦が欠けていた。滑らかすぎて、つるつるしすぎて、つるつるを抑えるのに神経が行ってしまって、かえって疲労するのである。おそらくこれは水とビールの違いと同じである。「のどごし」という爽快感を得るためには、のどに快い適度の刺激がなければならないし、ほのかな摩擦や紙の抵抗感がなければ、書くことの爽快感がないのである。


 連休に入ったばかりの銀座は、曇り空で風はまだ冷たい。銀座4丁目の交差点を埋め尽くしたオバさん連は、みんな春用のコートを着ているが、私はワイシャツ1枚である。「暖をとる」という感覚で、伊東屋に大急ぎで飛びこむと、正面の広い階段を上がった中2階が万年筆売り場。ちょうどCARAN d’ACHE(カランダッシュ)のキャンペーンをやっていて、カランダッシュの万年筆がズラッと並べられた売り場には専門の店員まで立って、丁寧に客の応対をしている。丁寧、というより「とにかく客をつかまえて、意地でも丁寧にしたい」という勢い。さすが伊東屋だから、こういう店員さんもキチンとスーツを着こなして、ネクタイなどにも全く手を抜かない紳士ぶりには、かえって恐縮してしまう。普段着のシャツ1枚、散歩用の汚いズボン、靴も笹塚のショッピングモールで買ったホコリだらけの汚い靴、そういう格好で銀座伊東屋に来てはいけないのかもしれない。


 CARAN d’ACHEはロシア語で「鉛筆」。「鉛筆と同じぐらい書き味が滑らかで、書きやすいよ、気軽に書けるよ、万年筆ほどの堅苦しさはないよ」、ということなのかもしれない。ただしこちらは「ペン先と紙の間に感じられる微妙な摩擦の感覚、のどごしみたいなもの」を求めているのだから、鉛筆みたいなスラスラ感はあまりありがたくない。店員さんとの服装の落差もあまりありがたくないから、出来るかぎり声をかけられないように、CARAN d’ACHEの売り場からできるだけ離れて、知らんぷりで見て回ることにした。

 

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(焼酎ばかり売っている、銀座くまもと館)


 しかしウォーターマンとかペリカンとかシェーファーとか、イタリアのあまり聞いたことのないメーカーとか、そういうペンを見てみると、何しろ値段が予想外に高い。平均で10万円以上、それも「ただ単に書くだけ」の機能しか求めていないのに、書く以外の機能、特に他人に見せて大威張りするための機能ばかりが強調されている。軸が貴金属だったり、バッグで有名なブランド名が妙に目立つようにデザインされていたり、やれ蒔絵だ、やれ金箔だ、やれ鼈甲だ、やれ100万円だとか、要するに趣味が悪いだけのことである。


 そういうのを見ながら、何だか気分が悪くなって、店員のオジサンが1人興味深そうにこっちを見ていたが、知らんぷりだとわかるような、意地悪な知らんぷりをして店を出ることにした。知らんぷりのグランプリがもらえるほど、丁寧に知らんぷりをした。4半世紀にわたって筆記用具から離れているうちに、筆記用具も私にあわなくなってしまったらしい。


 ちょっと悔しいから、CARAN d’ACHEのコーナーに最後にちょっと立ち寄って、試し書きをしてみた。思いのほか書きやすいが、とにかく私が求めている「のどごし、わずかな摩擦感」は得られない。試し書きの中に「原壮介」というのを発見。誰だかもちろんわからないが、きっとペンの試し書きで自分の名前を書いてみたのだろう。何だかおかしくなって、その同じ試し書き用紙に「原壮介」をもう4つか5つ追加し、「宇宙征服」も書き加えて、それから店を出た。


 手に持ってみたカランダッシュには何故か緑色のインクが入っていて、だから銀座の伊東屋本店の中2階、万年筆売り場に行けば、深緑のインクでぞんざいに書かれた「原壮介」の文字が4つか5つ、それからもしばらくの間は残っていたはずである。ただしそれは連休前の話。おそらくあのイタズラ書きも、ネクタイをキチンとしめた店員のオジサンに、もうしっかり片付けられていて、そういうふうにして、楽しかった連休もあえなく終わってしまうのである。

1E(Cd) Jennifer Lopez:ON THE 6
2E(Cd) Jennifer Lopez:J TO THA L-O! THE REMIXES
3E(Cd) Brian Mcknight:BACK AT ONE
4E(Cd) Norah Jones:COME AWAY WITH ME
5E(Cd) Gregory Hines:GREGORY HINES
6E(Cd) Myrra:MYRRA
7E(Cd) Hayley Westenra:PURE
10D(DvMv) UNFAITHFUL
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