Mon 090427 朝4時の散歩 乳牛柄の猫 白とグレーのシマ柄の猫 ポピーと遊ぶ三毛の子猫 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 090427 朝4時の散歩 乳牛柄の猫 白とグレーのシマ柄の猫 ポピーと遊ぶ三毛の子猫

 朝4時すぎに散歩に出かけると、ちょうど「明けの明星」が一番明るく輝いている時間帯で、そのすぐ下の地平線が青紫から赤紫へ、やがて綺麗なオレンジに変わる。代々木上原からまず新宿方向に向かうと、次第に明るくなる空を背景に、目の前にオペラシティ、その向こうに西新宿の高層ビル群が黒々と連なっている。進行方向右側には六本木ヒルズや東京タワーも見えるから、東京という街はイメージよりもずっと小さいのだ。東京タワーの向こうはもうすぐに海で、風の向きによっては海の匂いもする。初台まで歩いてグルリと方向を変え、大山、東北沢、駒場に向かう。このコースは、東京とは思えないほど緑が多い。もともと東京という街は大都会のイメージに合わないほどどこに行っても緑が多いのだが、このコースは特別に緑が多いのである。桜が終わって、八重桜も終わって、歩いていく道はどこまでも新緑である。


 大山あたりで完全に夜が明けて、まだ眠そうな野良猫たちが柔軟運動をしたり顔を洗ったりしている。この時間帯の散歩を続けて1ヶ月も経過すると、猫たちともすっかり顔なじみになって、非常識な時間に歩き回っている中年男を見ても猫は一向に驚かない。ホームレスの人のテントで飼われている乳牛の柄の白黒猫なんか、もうこちらの顔と雰囲気を記憶していて、ほぼ毎朝、顔を洗う手を止めて挨拶するようになった。この猫は大きさからして4~5歳、女の子あるいはオバさんである。クルマにひかれたか、犬とケンカでもしたのか、黒い短いシッポが途中からちぎれてしまって、中の赤い肉芽組織がはみ出しているのが痛々しい。それを除けば、胸の白い毛も背中の黒い毛も毛並みがよく揃って、たいへん美しい猫である。飼い主、というよりおそらく友達なのだろうホームレスの男性は、彼女を撫でている様子から見ても本当に猫の好きそうな人であって、彼女はしっかり面倒を見てもらっているようである。

 

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(代々木上原、午前4時半の金星)


 大きな薬店の裏の通りには、真っ黒い猫の親子が3匹いて、こんな早朝からもう元気に遊んでいる。子猫2匹は完全に全身が黒。そのうちの1匹はシッポが途中から大きく折れ曲がっていて、すぐに見分けがつく。とにかく何がなんでも遊ばなければならない、何もかも面白くて面白くて我慢ができない、そういう子供たちに乗せられるのか、最近では親猫のほうが激しい勢いで飛び跳ねている。親猫は、パパなのかママなのかよくわからない。動物の場合、「子供と一緒に過ごすのはママ」という固定観念があるが、あの激しい遊び方を見ていると、どうもパパなのではないかという気がする。まあ別にどちらでも構わないが、親猫は足の先だけが白い。4本の足のすべてが全部キチンとコピーしたように白い。夜が明けてすぐの薄闇の中で、黒い親猫の足先が走り回っているのが、遥か向こうから見えるほどに白いのである。


 代々木上原の駅前に戻ってくるのは、5時近くである。5時を過ぎると、中高年の人がたくさんウォーキングに出てくるし、代々木上原周辺にはリッチな欧米人がたくさん棲息しているから、明らかに「ジョギング命」の欧米人が盛んに走り始める。そういう人たちと出会うのが煩わしいので、もともと6時頃だった散歩の時間を、4時から5時までの時間帯に早めた。すると、行き会うのは、新聞配達のバイクと、かなり悪質な午前様を運んできたタクシーと、散歩中の猫と、早起きのカラスたちになった。タクシーだけは、まだ昨夜の深酒やいけない行動の余韻を残しているけれども、近くの代々木公園からやってくるホームレスの人たちがたくさんの空き缶を集めて押していく台車、古紙をコッソリ回収していく軽トラック、そういう光景ともすっかり馴染みになった。5時を境に、出会う人たちが一変するのである。


 代々木上原の駅近くの裏道で、白とグレーのシマ柄の猫と挨拶するようになった。「白とグレーのシマ柄」というのはなかなか珍しい。早朝の薄明かりの中だから、最初は薄い茶色がグレーに見えるだけなのかと思っていた。しかし、何度出会っても、やっぱりグレーである。年をとって、茶色が薄くなってしまったのかもしれないし、何か高級な猫との混血なのかもしれない。いつも2mぐらいの高さのブロック塀の上に座って、こちらを興味なさそうに眺めている。通りかかると必ず大きくアクビをしてみせる。最近このあたりはカラスが増えたようだから、こんな場所で油断してアクビをしているとカラスたちの襲撃を受けそうなものであるが、通り過ぎてから振り返ってみると、猫は腕組みしたまま呑気にもう眠ってしまったようである。外猫として飼われている雰囲気だが、なかなか中に入れてもらえないタイプの外猫だろう。

 

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(午前4時10分、幡ヶ谷と初台の中間点からみたオペラシティ)


 桜が散って、八重桜も散って、4月が終わりに近づくと八重桜の重たい花が、花びらというのではなく花の根元からそっくりそのまま地面に落ちて無数に転がり、雨上がりは花に滑って転ばないように気をつけなければならないほどである。イヌフグリやウシハコベやスズメノカタビラはもう盛りを過ぎて、道ばたの雑草はヤエムグラ・ヒメスイバ・オオバコ・ヒメオオバコである。等々力とか二子玉川ぐらいまで郊外に出れば、河川敷や土手の斜面にスズメノテッポウの丸い褐色の花がたくさん見られるところだが、代々木上原にそういうのどかな場所はなかなか見当たらない。


 その代わりに目につくのは、一昨年ぐらいから一気に勢力を増してきたポピーみたいな花である。昨年5月の北イタリア旅行で、トリノでもブレーシャでもマントヴァでもクレモナでも、麦畑を奥まで浸食して彩っていた真っ赤なこの花はきわめて印象的だった。イタリアでは、この花は鮮やかな血の色で線路際をどこまでも浸食し、麦畑を真っ赤に染め、土手も河川敷もこの花のせいで真っ赤に染まっているのだった。東京の都心では、同じ花が何故かこの上なく黒くくすんだ惨めなオレンジ色である。ピンクと紫の中間色も見かけたが、それも同じように黒くくすんで、元気なくくすんでいる。イタリアでは風に吹かれて軽々と首を揺すって陽気に笑うようだった花が、東京では力なくうなだれて大人しくお辞儀しながら朝露に濡れている。


 ただし、猫たちはこの花が好きらしい。散歩の最後に見かける三毛の子猫は、この花と戯れるのが大好きのようである。チューリップをたくさん植えた花壇とも畑ともつかない空き地にずっと住み着いている猫の一家があって、この三毛の親のそのまた親の世代から、もうすっかり顔なじみである。今の子猫の、その親のそのまた親の三毛猫が、いかにもうさん臭そうな顔でこっちを睨んでいたのは、もう5年も前のことだったかもしれない。

1E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos3/11
2E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos3/11
3E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos3/11
4E(Cd) Akiko Suwanai:SIBERIUS & WALTON/VIOLIN CONCERTOS
5E(Cd) Akiko Suwanai:ツィゴイネルワイゼン~パッション
6E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos7/11
7E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos8/11
8E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos9/11
9E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos10/11
10E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos11/11
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