Sun 090426 失望した受験生への処方箋1 得意科目は現状維持で 苦手科目を肉食獣的に | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 090426 失望した受験生への処方箋1 得意科目は現状維持で 苦手科目を肉食獣的に

 昨日まで1週間にわたって、似たようなことをしつこく書いてきたのは、1ヶ月も放っておかれたおかげで「満を持して」予備校に通いはじめた瞬間、大きな失望を感じる受験生がどれほど多いかを知っているからであり、そういう失望についての相談の手紙がたくさん寄せられるからである。

 

 失望の大きさは、最初は超満員だった予備校の教室が、5月6月と月を追うごとに空席が目立つようになり、パンパンがバラバラに、バラバラはパラパラに、パラパラはガラガラに、あまりに急速に、寂しく悲しく姿をかえていくことでも証明される。

 

 予備校というところは、その規模が大きくなればなるほど出席を取らないのが一般的だから、生徒がやる気をなくしてしまったかどうかは、教室の空席率をみれば一目瞭然である。昔は一方的に生徒が悪いということにされていたのだが、この1週間書いてきたことを総合すれば、悪いのは生徒だけではなくて講師、生徒ばかりではなくて教務課、そういう結論にならざるを得ない。


 では、こんなにあっけなく「予備校は頼りになりにくい」ことがわかり、こんなにあっけなく切羽詰まってしまった受験生はどうしたらいいのだろうか。授業の質の低さに呆れてしまった生徒は、まず「自習室にこもる」ということを考えるようである。

 

 予備校によっては、「自習室がどれほど優れているか」を入学パンフレットに自慢気に示している学校もある。自分たちの授業の質の低さをあらかじめ痛感していない限りそういうことはしないはずだが、「この自習室なら、ずっと座っていたい」というマヌケなキャッチコピーがついていたりする。


 しかし、無闇に自習室にこもるのは、自殺行為である。自習室というのは「妄想の館」であることが多い。実際に自習室を見に行くと、そこにいる受験生たちはみんな妄想にふけっているだけで、ちっとも勉強なんかしていないのがよくわかる。腕組みをして、目は一応参考書なり問題集のページを睨んでいるだが、その視線は全く活字を追いかけてなどいない。

 

 目の焦点は、参考書の活字ではなくて、過去の失敗に向けられていたり、将来についての妄想に向けられていたりするのだ。一見したところ、三十三間堂の仏像がズラッと並んだ風景に似ているが、彼らの思考は思考ではなく、妄想に支配されているばかりである。妄想はやがて睡魔におかされ、「妄想の館」は昼過ぎには「睡魔の館」に変貌する。せっかく授業料を支払った授業をみんな「切って」しまって、結局「サボった」に過ぎないことになってしまうのだ。

 

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(疲労)


 こんなふうだから、「自習室にこもる」という方針はあまりお勧めできない。授業には出るべきだ。どれほど進んでくれない雑談ばかりの困った授業でも、トリビア的知識をヒケラカスだけの不人気講師でも、赤いスーツにムラサキスーツの熱血先生でも、少なくとも自習室で妄想と睡魔に浸って朽ち果てていくのに比較すれば、授業に出たほうが学習効果ははるかに高いはずだ。
 

 特に「得意科目」については、決められた授業には出来るかぎり積極的に出て、そのことで「実力の現状維持」をはかるべきである。例えば早稲田法学部に合格したのに「早稲田を蹴って」東大文Ⅰを目指しているとする。早稲田に合格するほどの力量があったのなら、英語と国語と例えば世界史については、すでに東大にラクに合格するだけの力があったはず。東大に落ちたのは、数学のせいである。

 

 そういう人が英語・国語・世界史について考えるべきことは「2月下旬の現状維持」であって、現状を維持しさえすればその3科目については、別に今以上に学力を伸ばさなくてもいいのだ。張り切りすぎて自習室なんかにこもり、妄想にふけったり睡魔と戦ったりしているより、トリビアだろうと、ウザいピンクスーツ先生だろうと、授業に出て、その予習復習を欠かさずにいるほうが現状維持は簡単だ。それにプラスαを付け加えて「絶対の勝負科目」にするという考え方もあるが、まあそれについては後日書くことにする。
 

 問題は「不得意科目」である。これは、正直言って「予備校の授業だけでは不足する」という人がほとんど。というか、例えば「憎っくき数学のせいで」「憎っくき英語のせいで」こんな哀れな浪人生の立場に立たされた、そういう憎々しい科目について「予備校の授業だけ」「テキストだけ」などという消極的な姿勢でいいのだろうか。憎ければ憎いほど、憎悪が大きければ大きいほど、徹底的に叩きたい、徹底的にやっつけたい、完膚無きまで叩きのめしたい、そういう激しく攻撃的な気持ちになるのが普通だと私は考える。

 

 自分を奴隷の憂き目に合わせた憎いカタキが目の前にいるのに、遠慮がちに「仲良くしよう」「ケンカはよくない」「まず握手」とか、草食動物の優しい目をして、そんなのんきなことを言っていてはいけないのだ。飛びかかって鋭いツメをたて牙をむいてズタズタにしてやるぐらいの迫力が必要だと思うのだが、どうだろうか。

 

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(肉食獣の眠り)


 自習室を利用する、というなら、まずそれをやるべきである。授業の予習と復習が終わって、「仲の良い得意科目の現状維持」が終わったら、残った全ての時間を、「憎っくき数学」「憎っくき英語」、その他何でも構わない、自分をミジメな境遇に陥れた科目を毎日毎日夜が更けるまでズタズタにしてやればいいのだ。5月6月7月なら、基本問題集を2冊も3冊もやりまくってそれこそ「基礎を完璧にして」「基本問題なら、問題文を読んだだけで解き方が思い浮かぶ」ぐらいにすればいい。

 
 同じ基本問題集を4回解いてもいい。基本的な参考書を3回繰り返してもいい。現役時代に受けた塾の授業のテキストを全部3回ずつ繰り返してもいい。重要なのは、激しさと、「来る日も来る日も」という継続性である。1週間に1回しかない授業では、その種の激しさも継続性も期待できないのである。
 
 最近普及しつつある「収録タイプの授業」の出番はここである。Tばかりでなくて、YでもKでもそのタイプの授業が主流になりつつあるから、それを勧めてもあながち我田引水にはならないはずだ。どんなに高速で受講しても構わないそういう収録授業を1年分、2ヶ月とか3ヶ月とかで受講するプランを作って実行するのは、金銭面で可能なら、おそらくベストの方法である。
 
 その場合「確認テスト」「修了判定テスト」などの存在と受験は必須だが、苦手科目、憎っくき科目、イヤでイヤでたまらなかった科目、足を引っ張られ通しだった科目、そういう科目の基礎講座(立場を考えれば余りに基礎すぎるのも問題があるが)をどんどん受講して、この際「来年の勝負科目」にしてしまうぐらいの、肉食獣的な迫力があってしかるべきだと思うのである。
 
 これが「処方箋1」。授業が始まって1週間ちょいで受験生が失望するような予備校に唯々諾々と従っている必要なんかゼロなのだ。授業には全部出て、得意科目の現状維持をはかり、しかし毎日夜遅くまで自習室に残って苦手科目の基礎問題集をやり続け、出来れば収録タイプの講座を高速学習するのが理想。1年かけてダラダラ続く「単科ゼミ」みたいなものは、10年前の予備校バブル時代ならまだしも、今となっては、正直言って時代遅れ。失望したナマ授業に、これ以上お金を払う必要は皆無なのだ。

1E(Cd) Tuck & Patti:AS TIME GOES BY
2E(Cd) Joe Sample & Lalah Hathaway:THE SONG LIVES ON
3E(Cd) Joe Sample:RAINBOW SEEKER
4E(Cd) George Duke:COOL
5E(Cd) Wand & Berliner:BRUCKNER/SYMPHONY No.4
6E(Cd) Wand & Berliner:BRUCKNER/SYMPHONY No.8 1/2
7E(Cd) Wand & Berliner:BRUCKNER/SYMPHONY No.9
10D(DvMv) CLIFFHANGER
total m165 y553 d2796