Thu 090423 再び「テキストだけやっていれば大丈夫だ」について 0.8の累乗の恐ろしさ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 090423 再び「テキストだけやっていれば大丈夫だ」について 0.8の累乗の恐ろしさ

 「センター試験英語」のテキストとなると、それが過去問の寄せ集めである限り「これさえやっていれば大丈夫です」「テキスト以外やってはならない」の発言に全く意味がないことは、明らかすぎるほど明らかである(前回からの続きです)。この試験ほど頻繁に出題傾向が大きく変化する試験もなかなか見当たらないほどだからだ。

 

 2008年1月、突如として英語の出題形式が大きく変化したセンター試験の会場で、多くの受験生がそれを痛感したはずである。彼ら2年前の受験生たちは「このテキストで研究していさえすれば大丈夫」のはずのテキストを与えられ、2007年までの過去問を寄せ集めただけの「テキストだけ」を勉強し、講師は「この問題の解き方はこうだ」というゲームの攻略本みたいな授業を繰り返し、それを真に受けて実際にセンター試験の現場に行ってみたら、テキストとも授業とも大きく異なる傾向と形式で、難易度も大きく異なる問題ばかりがズラリと並んでいたのだ。


 あの時、「テキストさえやっていれば大丈夫」と言い続けた人物の(あるいは学校の)責任が追及されたかといえば、もちろんそんなことは一切なくて、「まあ運が悪かったな」「でも、条件は全ての受験生が同じだったはずだ。文句を言うのは、わがままだ」で全て終わりになった。その2ヶ月後、新しい浪人生を教室に迎えて、講師たちも教務課の職員も、何の臆面もなく「テキストさえやっていれば大丈夫だ」を再び口にしたのである。


「条件はみんな同じだったんだ」という発言も、明らかに間違っている。発言者が気づいていないのだから詐術ではないのだが、あの時、他者とは違う条件で有利に戦っていた人たちがたくさん存在したのだ。「テキストだけでなく、テキストにこだわらず、いろいろな教材でどんどん本格的な英語力を身につけ、その圧倒的な英語力で勝負した生徒たち」がそれである。塾や予備校に良心があるならば「テキストだけやっていれば大丈夫」という発言の根拠をまず示さなければならない。根拠が薄弱なら、せめてあの時の反省だけはしなければならない。

 

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(なかよしこよし、究極)


 「テキストだけ、それ以外にはやるなよ」と言われ、バカ正直にその方針を厳守し、そのせいで泣いた生徒たちは少なくなかったのだ。謝罪しないまでも、同じ失敗を繰り返さないように「テキストももちろん大事。しかしそれにこだわりすぎず、どんどん本格的な英語力を身につける努力に励め」「テキストだけとか、変に消極的にならず、遠慮せずに力をつけていけ」という方向性に転換すべきなのである。それをしっかり言えないのは何故か。単なる予備校のプライドに過ぎない気がしてならない。
 

 しかし、生徒たちはまだ子供である。浪人生主体の予備校が「抜群の合格実績」といって発表しているものが、まさか「講習生も含みます」だとは思っていないから、予備校側に「テキスト以外やるなよ」と言われれば、それが正しいのだと思い唯々諾々と従ってしまう。

 

 ウスウス気づいている生徒もいるが、夏期講習で「生物」の授業を50分×10コマだけ受講しても「S台生の実績」、冬期講習で「地理」1科目90分×5コマの受講でも「今年もYゼミ生はやりました」だとは、まさかそこまでひどいとは思っていない。その点でキチンと胸を張れる、やましいところのない予備校はごく限られているのだが、我田引水になるとイヤだから話はここで打ち切ることにする。
 

 まあ、こういうわけで、目の前でなかなか驚くべきルックスのお兄さんが登場して「オレについてこい」「オレのテキストだけやってればいいんだ」と絶叫すれば「ついていくのも悪くない」と思う生徒がいても仕方がない。この「ルックス」というのが、また人生で初体験というような激しいものである。これも「低学力層が中心」の予備校になればなるほど激しいし、「実績も実力もない若手・新人講師」ほど激しいものになるのも当然の成り行きである。

 

「県立トップ高校の4年制」のつもりの、ある程度優秀な生徒が主力を占めるような予備校では、もともとある程度モチベーションが維持されているから、ルックスやインパクトに依存する必要はないのだが、「早慶コース」なのに、あまり合格実績の高くない高校の出身者でもみんな入れてしまうような「大衆向け」タイプの予備校だと、ルックス&インパクトへの依存度が高くなるのは当然。安いカレーほど福神漬が真っ赤なのと同じこと。安いラーメンの紅ショウガはスープが染まるほど真っ赤な食紅で毒々しいものだ。

 

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(アナログを愛する)


 10年前なら、そういうのは選抜試験なしの「申し込み順クラス」に限られていたのだ。しかし予備校バブルが崩壊して、どこの校舎もガラガラになると、ちゃんと入塾試験を受けて入ったクラスでも同じことがどんどん起こるようになる。

 
 今年なんか、KでもYでも4月19日開講だったにもかかわらず、その1週間後の4月26日まで長々と浪人生募集を続けていたから外部者にもわかってしまうのだが、特に大宮・柏・立川・津田沼みたいな郊外型の校舎(国道16号沿線または武蔵野線タイプの校舎)の浪人生クラスは、ガラガラを通りこしてパラパラというかポツポツというか、要するに「誰でもいいから来てほしい」という「喉から手が出る」状況だろう。
 
 200人教室に20人とか30人とか、体育館の片隅でハンドボール部のミーティングをやっているような有り様では、「選抜試験で落とす」などという正直な行動はまず考えられない。すでに、「選抜クラス」といっても、「選抜」の意味をなしていないところがほとんどなのだ。

 予備校の浪人クラスはこの15年、毎年毎年「昨年比80%」をやってきたのだから、0.8の15乗がどうなるか、ちょっと電卓を出して計算してみると、それなりにゾッとする(ぜひやってみることをお勧めする)。2000年代に入って、賢い予備校はどんどん「現役シフト」を進めて、それをほぼ達成し終えているのであるが、目先の利益に目がくらんで現役シフトが遅れた予備校は、たとえ昔の名門でも既に見るカゲもない。

 私が受験生だった時代、駿台と並ぶような名門で「武蔵高等予備校」というのがあった。「抜群の文系、驚異の理系」とかいうキャッチフレーズで、当時「山手線・大塚駅前」は受験生の街として有名だったのである。池袋には「英進予備校」、水道橋には「研数学館」があって、それぞれ全国模試さえ実施するほどの体力があった。高円寺ゼミナール、中央ゼミナール、荻窪予備校、渋谷ゼミナールなどというのもあったし、「神田予備校グループ」も侮れない勢力だった。
 
 関西でも福岡でも同じような変遷があっただろう。受験生諸君がもしこのページを読んでいたら、明日か明後日、そんな話をパパかママとしてみるといい。明後日述べることになるが、受験生にとっても「0.8の累乗」ほど恐ろしいものはないのである。

1E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN 1/5
2E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN 2/5
3E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN 3/5
4E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN 5/5
5E(Cd) John Coltrane:IMPRESSION
6E(Cd) John Coltrane:SUN SHIP
7E(Cd) John Coltrane:JUPITER VARIATION
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