Wed 090422 「オレについてくれば大丈夫」「テキストさえやっていれば大丈夫」について | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 090422 「オレについてくれば大丈夫」「テキストさえやっていれば大丈夫」について

 浪人生としての1週間が過ぎて、テキストや授業が余りに基礎的すぎること、その基礎的なテキストでさえ授業ではマトモに進まないこと、授業の半分近くがバカ話と身辺雑記(または入試ではおそらく問われない英語トリビア)であること、そういうことを知って愕然としている状況なのではないか、と昨日の記事では書いた。

 

 確かにテキストには「基礎シリーズ」と明記してある。入塾説明会でも、「1学期は基礎シリーズ、2学期は完成シリーズ」と説明され、「1学期は焦らずに基礎を完璧にして、2学期の飛躍に賭けること」「それが一番確実なリベンジの方法だ」と説得されたのである。では、そのテキストがどんどん進んで、どんどん基礎が身について、7月までに「基礎が100%完璧になる」かといえば、もちろんそんなことは望み薄である。

 

「望み薄」などという言葉が既にまやかしであって、10週間(11週間の予備校もあるだろうが)しかない1学期のうち、先週で1週間が経過。残りはわずか9週間である。9週間で「基礎が完璧」などというほど、基礎学力というものは甘いものではない。まして、「このペースにおいてをや」である。
 

 最初の授業で実に懇切丁寧な「自己紹介」と「授業の受け方の説明」を行うのは、低学力層が多い予備校ほど徹底している。こういう自己紹介では、別に何か客観的な根拠があるわけでもないのに「オレについてくれば大丈夫だ」ということになっていて、どこの予備校でも「講師マニュアル」の中にそういう指示がしっかりと書いてある。

 

「生徒に不安を与えないように、とにかく予備校の授業にだけ出ていれば大丈夫だと力説してください」

「テキストさえやっていれば大丈夫だということを、最初の授業で周知徹底させてください」

「予備校や講師についてマイナスの印象を与えるような発言は、厳に慎んでください」

などの文言まで、まるでお互いに研究しているかのように酷似した講師マニュアルが、4月中旬の全講師ミーティングで配布されるのだ。「他の講師についての誹謗中傷は、生徒の口を通じて必ず相手方に伝わります。絶対に避けてください」なんてのまであった。

1248
(見えない網戸)


 ごく普通に考えれば、そういうことを力説しなければならないほどに、生徒たちの不安が大きいことがわかる。テキストを一見しただけで「なるほど参りました、このテキストなら、確かにテキストだけやっていれば大丈夫そうです」という迫力のあるテキスト、この上なく充実したテキストならば、講師一人一人が授業の冒頭で「ついてこい」だの「これ1冊やれば大丈夫なんだ」などと力説して授業時間をムダにする必要は皆無なのだ。

 

 学校側としても、正直言って「こんなテキストで大丈夫なのかねえ」「生徒が心配にならないかねえ」という不安感があるからこそ、その裏返しとして「生徒に周知徹底させてください」などと、講師たちに周知徹底させなければならなくなる。


 すると講師たちは、特にまだ人気の出ていない若手や新人の講師は、まずその「周知徹底」に素直に努めることになる。「このテキストを100%マスターすれば、絶対大丈夫だ」という発言に何の根拠もないことは、冷静に考えれば明らかなのだが、とにかく「人気が出なければクビ」という困った立場や切羽詰まった立場にあるのだから、いったん教壇に上がれば、頭に血がのぼって自分でも何を言っているかわからない。


 例えば「早慶上智英語」というテキストを担当する。目の前には、80人から120人ぐらいの生徒が不安そうな(というか「名もない講師」がクラスの担当になったことへの不平不満で一杯の)膨れっ面を並べている。1学期の10回か11回の授業で扱えるのは、せいぜい長文読解問題10問ほどである。

 

 早稲田・慶応・上智、合計で30学部もあって、そこで出題される長文読解問題は1年だけで100問近いのだが、そのうちのたった10問でテキストは出来上がっている。何しろ授業のスピードが遅いから、1回1問しか進めないし、テキストをやり残すと、もちろん予備校の評判が下がるから、それ以上の問題は収録できないのだ。

 

 一応「良問を精選した」ということになっているが、精選するなら、どういう基準で精選したのか、その基準さえ明記されていない。しかもテキスト編集の都合上「2009年に出題された最新の問題」はテキストに入れられないから、1学期のテキストに並ぶのは2008年と2007年の問題がほとんど。

 

1249
(続・漠然とした不安)


 もし生徒たちの判断力が一定以上優れていれば、ごく冷静に言って「なぜ、去年や一昨年に出題された問題をたった10問だけマスターすれば、それで『絶対に大丈夫』と断言できるのか」という疑問が湧き上がるはずである。

 
 単語だって、熟語だって、文法事項だって、たった10問だけの中に必要事項が全部出てくるほど都合よく出来てはいないはずだし、1回せいぜいで30~40行、10回やったって400行程度。つまり20ページ程度の英語に過ぎない。たった20ページの英文で、読解力の基礎が身につくのかどうか、不安なのは当たり前である。

 もちろん「名人」「達人」と言われるような先生なら、たった9週間、1週間に1回の授業、900分=15時間で、そういう離れワザをやってみせることが可能なのかもしれないが、目の前に立った講師は、どうひいき目にみても、それほどの達人には見えない。もしそれが中間テストとか期末テストみたいに「すべて既習の問題から出題します」という性質のものなら「テキストさえやっていれば絶対大丈夫」という発言にも意味があるかもしれない。
 
 しかし入学試験ということになると、目の前のテキストに並んでいる問題は「2度と出題されることのない問題ばかり」「来年出題されることはありえない問題集」なのである。
 
 だから、近い将来詳しく書く予定でいるけれども、受験諸君は「テキストだけやっていれば大丈夫」などという消極的な姿勢でいる必要は全くないのだ。どんどん、ばりばり、やりたいことはやりたまえ。「手を広げすぎて消化不良になる」などということは、若い諸君の旺盛な学習意欲からみて、考えられないのである。
 
 学力などというものは、1問やれば1問分、1行進めば1行分、量に応じてキチンとつくものであって、「1冊やり遂げなければ意味がない」などというのは、いま1行進むことがイヤ、いま1問解くことが億劫、そういう弱虫の言い訳に過ぎない。
 
 単語集がやりたければ、すぐにやりたまえ。熟語集が必要と思うなら、すぐにやりたまえ。毎日1問読解問題を自力で解きたいと思ったら、それもやりたまえ。「浪人」というワガママを親に許してもらったなら、遠慮は無用である。やりたいことはいくらでもやって、「テキスト以外にやってはいけない」などという根拠のない束縛は振り払ってしまうほうがはるかに効果的なのである。

1E(Cd) Candy Dulfer:LIVE IN AMSTERDAM
2E(Cd) Jochum & Bavarian Radio:MOZART/THE CORONATION MASS
3E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 1/10
4E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 2/10
5E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 5/10
6E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 6/10
7E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 7/10
10D(DvMv) GIRL WITH A PEARL EARRING
total m125 y513 d2756