Tue 090421 浪人を決めたヒトビトの3月と4月 予備校の授業にもう失望したヒトへ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 090421 浪人を決めたヒトビトの3月と4月 予備校の授業にもう失望したヒトへ

 書いているのは4月25日深夜である。驚いたことに、何と「今日から大型連休に突入」である。連休が明けるのは5月11日月曜日。それまで2週間以上、日本中が連休連休で浮かれなければならないことになっている。受験生諸君としても、こういう時の流れの速さにはショックを受けているのではないだろうか。

 

 いくらブログで警告しても、のんきなブログなんかでいくら警告されても、マジメな警告とはなかなか受けとれないものである。2月初旬から中旬にかけての早い時期に、すでに私は「安易な気持ちで浪人するな」と警告した。

 

 この記事は人気が高くてページビューの数も非常に多いから、「浪人するか、しないか」の決断の際に参考にした受験生も多かったのだろうし、予備校関係者でこのブログを読んでくださる方も、可愛い生徒たちに浪人を勧めるか勧めないかで悩んだときに、この記事を参考にしていただけたかもしれない。


 それでも、なかなか本気で読んでくれるヒトは少ないのだ。だから、大して強烈な動機があるわけでもないのに、何となく「友人の多くが浪人するから、浪人する」というタマゴの白身みたいなダラしない動機で浪人する。

 

「うちの高校は4年制だ、4年目は浪人して、河合塾に通うんだ」などという「県立トップ高校」の先生方の自嘲気味のオフザケ発言を、黙って見過ごすことが出来ないのも、「タマゴの白身型浪人生」があっという間にやる気をなくして、予備校の授業にさえマトモに出なくなるのを、毎年イヤになるほど目撃してきたからである。


 「浪人しないで、何が人生か」などと言って浪人礼讃するヒトもまだいるようだが、そういう発想はもう古いのだ。モチベーションを維持できない状態で浪人して、結局現役時代に合格出来たところに再び収まる結果になったり、現役時代に合格した大学に浪人1年の末、不合格にされるケースさえ少なくないのである。

 

「ハングリー」という言葉が生きていた時代なら、「浪人せずに何が人生か」と言う発言で受験生を煽るのにも意味はあった。しかし今や「ハングリー」はカッコ悪いのであって、カッコ悪いまま1年を貫き通すだけの根性の持ち主なら、現役でちゃんと第1志望に合格しているのである。

 

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(安堵と、不満)


 というわけで、浪人が決まってから2ヶ月も3ヶ月もあったのに、結局勉強は全然はかどっていない。はかどっていないどころか、センター試験を受験した1月の頃と比較すれば緊張感は問題にならないほど緩んで、朝もマトモに起きられない。「学力が伸びたかどうか」などは、問題にすることさえ愚かである。

 

 2ヶ月前、立教や同志社や早稲田を受験した2月の頃は、「あと1歩で行けるかも」「惜しい、あと1週間あれば届いたのに」というぐらいまで追いつめていた、あと1歩で逆転できるところまで来ていたはずなのに、今や予備校の1学期テキストの基本問題でさえマトモに解くことが出来ない。
 

「どうせ浪人するんだから」という一言で気が楽になって、というより精神が目一杯弛緩して、この有り様である。だから12月のブログで「春期講習は受けるな」とも警告した。春期講習なんか申し込むと、そのことだけで危機感が薄れ、危機感のない予備校講師の自己紹介とバカ話だけ聞いて勉強した気になる。浪人してミッチリ勉強することを誓ったはずなのに、気持ちが緩んでサッパリ勉強していない自分をとがめ、反省する気持ちがムクムク首をもたげてくる。

 

 そのとき、「春期講習を受講している」という一言は格好の言い訳になるのだ。親に対する言い訳より、自分に対する言い訳が大事になってくる浪人生の心理としては、こんな雑談(講師の身辺雑記が多すぎるのだ)ばかり聞いているより、自習室なり自宅なりでミッチリやったほうがいいことはわかっていても、カッタルクてそれが出来ない。
 

 その結果を、あえてハッキリ書いておく。「これは浪人するしかないかな?」とウスウスわかってきたのは、1月末。そこそこの私立大学には合格したが、友人たちの動向を見ながらプライド優先で(ついでに「… 大学を蹴って」ということにささやかな優越感も感じながら)最終的に浪人を決めたのが3月上旬。卒業式や、予備校の「模擬授業」その他の予備校選びでチヤホヤ(こちらが申し訳なくなるほど、人生で始めてと言っていいほどチヤホヤされるのだ)されて、3月の下旬。
 

「本科生に申し込めば、春期講習は無料」ということで、春期講習3講座に出て、4月上旬。しかしその春期講習で、最後までテキストを終了した先生は皆無。まあ半分ちょっと終わればいいほうである。

 

 講師の自己紹介と身辺雑記を聞き、ガラガラの教室で「こんなことでいいのか」と苛立ちつつも、余りにも基礎的な内容ばかり(英語なんか「5文型」バッカリだ)なのでノートさえとらず、腕組みをし、暖かさに眠くなり、コックリコックリしても叱られず(春の予備校はチヤホヤの天下。来てくれないと困るから、キチンと叱る先生はいない)、4月4日で春期講習は終了。

 

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(危機と、憧れ)


 ここで現役高校生が高校の授業が始まるから、予備校の側としても、すでに申し込みを済ませお金も払い込んだ浪人生に、いちいちつきあってはいられない。「本科生の授業は4月19日に開始」、ということで丸々2週間は放っておかれる。「モチベーション維持」のために、入学式とか、「基礎力判定テスト」とか、いろいろゴチャゴチャあるが、勉強という点では要するに放っておかれるのである。


 それで、4月19日だか20日だかにいよいよ予備校の授業が始まって見ると、そのあまりに基礎的な内容に唖然とする。英語は再び「5文型」から。「それは春期講習でやった」はずだが、春期講習は本来のカリキュラムに含まれていないから、(というよりカリキュラムを作成するのは別人だから)生徒全員が受講する1学期テキストはどうしてもS・V・O・Cから始まることになる。数学も、古典も、日本史も、物理も、全部同じ調子で、「そんなこと、全部わかっています」というレベルの話がテキストの「第1講」「第2講」または「LESSON1」「LESSON2」の大部分を占めている。
 
 しかも、第1週はテキストに入ってくれない先生がほとんど。自己紹介をたっぷり、「授業の受け方」「予習の仕方」「復習の仕方」から「ノートのとり方」まで、たっぷり。この辺のことは明日書くけれども、「まるで小中学生」みたいな手取り足取りが連続して、マトモな生徒ならもうウンザリ。途中からバカバカしくなって話を聞き続ける気もなくなってしまう。ヒマに任せてテキストをペラペラめくってみると、恐ろしいことに気づく。
 
 つまり、1学期の終わりまで、テキストは全部スーパー基礎ばかり。「基礎が大事」「基本が全て」、それはスゴくよくわかっていて、基礎をいい加減にする気持ちは微塵もないのだが、それにしても、教科書の例題みたいな簡単な問題ばかり並んでいて「果たして大丈夫なの?」という焦りが、もう「漠然とした不安」どころではなく、激しい波になって頭蓋骨を揺るがすほどに揺れ動く。「つい2ヶ月前に、あんなに難解な長文読解問題を読みこなし、…大学には合格していたんだ。それを『蹴って』ここに来たのに、7月までずっとこんなのをやらなきゃならないの?」である。
 
 日本中の浪人生が、今日思っていることは以上である。もちろん例外もたくさんいて、この段階で「浪人してよかった」「この調子なら、きっと捲土重来は確実だ」「よおし、行くぞ」とガッツポーズをとっている可能性はなくはない。しかし、それはごく少数である。浪人して、後悔し、焦っているヒトのほうがはるかに多いのが実情。だから安心してほしいのだが、果たしてブログの中での励ましがちゃんと届くだろうか、それがまた心配だ。もう2~3日、このテーマで書き続けたいと思う。

1E(Cd) Karajan & Berlin:HOLST/THE PLANETS
2E(Cd) Karajan & Berlin:BRAHMS/SYMPHONIES 1/2
3E(Cd) Karajan & Berlin:BRAHMS/SYMPHONIES 2/2
4E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 1/4
5E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 2/4
6E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 3/4
7E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 4/4
10D(DvMv) THE PIANIST
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