Sun090419 浪人生の授業がいよいよ開始「高校の延長線上」が心配「授業を切っちゃえ」の話 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun090419 浪人生の授業がいよいよ開始「高校の延長線上」が心配「授業を切っちゃえ」の話

 おそらく今週から予備校の浪人生クラスが開講になって、早春に悔しい思いをした人にとっては、本当に「待ちに待った」という感じで、やっとのことで浪人としての勉強を本格的に始めることになったはずである。いや、いくら何でも少し待たせすぎである。「納得がいかないから、もう一年やってみよう」と決意したのが、一体いつだったか、もう忘れてしまったころかもしれない。

 

 ほとんどの場合、受験生として納得がいかなかったのは、1月中旬のセンター試験だったのである。あれからもう3ヶ月が経過している。3ヶ月といえば、100日近く、1年の1/4である。「悔しい思い」など、とっくに忘れてしまい、ついでに「毎朝キチンと学校に行く」という規則正しい習慣さえ忘れてしまって、今さら「さあ予備校生活だ」などと言われても、「何だかカッタルイ」というのが本音になっているのではないだろうか。

 

 センター試験での失敗から90日も待たせたのは、一体何故なのか。「春期講習」などという中途半端なもので小出しにしていないで、もっと早くガンガンやらせてあげればいいのに、である。予備校講師もベテランになると、「浪人生の授業は4月下旬から」という大昔からの慣習が、とても奇妙なものに思えて仕方がない。
 

「いや、悔しい思いをしたのは2月だった」「3月だった」という人はまだ幸運なのだ。納得のいかない思いや悔しい思いを、そのまま予備校での勉強に直接ぶつけられるからである。早稲田なり慶応なりが第一志望で、惜しくもボーダーに届かなかった、というなら泣いたのは2月末。しかしそれでも、既に2ヶ月が経過している。

 

 もっと最後の最後まで粘って、国公立大学後期試験の発表まで待ったという場合でも、1ヶ月が経過。この1ヶ月なり2ヶ月なりに、来年に向けてキチンと前進できたならいいが、多くの場合は「部屋の整理」「コブシで机と壁を殴打」「友人との電話またはメール交換」「息抜き」など、これ以上考えられないほどバカバカしいことをダラダラ繰り返して、時間を浪費してしまったはずである。


 もう体育も部活もなくて、散歩に出るたびにまた気がとがめるわけだから、「少し太ったかな」「何だか身体が重い」「運動不足かも」という感じ。たとえうまくいかなかったにしても、大学受験の最終盤はおそらく今までの人生で最も強烈な緊張感の中で感動的に過ごしたはずだから、あれから2ヶ月も3ヶ月も経過して、自分が何故こんなにだらけてしまったのか、今度はそれが情けないし、「あの頃はあんなに盛り上がったのに、どうしてこんなにカッタルイの?」という情けなさとともに、4月下旬。ついに浪人生としての予備校の授業が開始になるのだ。

 

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(痛てえ。舐めりゃ、いっか)


 特に地方から上京して都会の予備校に通いはじめた浪人生が心配である。カッタルクて、感動の日々は遠く消え去り、身体は重く、睡眠不足でまぶたも重く、都会は気温が高く、来春の受験ははるか遠くに霞んで実感が湧かず、予備校への電車はこれまで経験したこともないほどに混雑し、「電車の中でやろう」と計画していた単語集(または世界史や生物の一問一答集)を開こうにも開くことさえできず、朝から酒臭い(草彅クンについては後日言及)オヤジ、席でメイクに励むお姉さん、高齢者が傍に立っていても席を譲らない高校生、そういう1つ1つの光景に苛立ってムカつき、ついつい視線はキツくなり、キツい視線を自分にも仲間にも教師にも容赦なく向けたくなって、溜め息ばかりつくようになる。


 「県立トップ」「府立トップ」みたいな高校を卒業して、札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡のような都市の「河合塾」を選んだ人たちが、一番心配である。余計なお世話なのかもしれないが、まず何といっても「高校の仲間たちばかりでアットホームな雰囲気」という状況が心配。何のことはない、高校の先生たちが言っていた通りで「うちの高校はな、4年制なんだ。4年目は札幌の(仙台の、福岡の、広島の)河合塾に、皆で1年通うんだ」だったのが、予備校の初日に余りにもハッキリわかってしまうのだ。
 

 足立もいる、古賀もいる、庄司もいる、斉藤も川本も島田もみんないるのである。何だ、高校と一緒じゃないか。で、高校の仲間たちが固まって、高校の先生と同じような刺激の少ない平凡な授業(それはそれで素晴らしいことなのだが)を受け、高校の仲間たちと昼食に出かけ、高校時代と同じ話題で盛り上がり、高校時代の仲間たちで「運良く」北海道大に(東北大に、名古屋大に、九州大に)に合格したヤツらのウワサ話ならまだいいが、根も葉もない悪口でどこまででも盛り上がる。
 

 高校の先生方と予備校とが強力に結びついているのも、こういう地方中核都市の河合塾である。高校の成績も、高校時代に受験した河合塾の模擬試験の成績も、資料は気持ち悪いほど全部予備校側にわたっている。名前なんか知らないはずの教務課の人に、突然名前を呼ばれて驚いたりするのは、高校の先生が予備校に「アイツ、よろしくお願いします」と頭を下げた証拠である。こういうのは、ある一面では喜ばしいことなのかもしれないし、高校と予備校とが協力しあって合格実績をあげるというのも、それが本当にうまくいっているのなら悪いことではない。

 

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(漠然とした不安)


 しかし、予備校のベテラン講師になると誰でもわかるのだが、残念ながら「高校の延長線上にある浪人生活」ほど緊張感に欠けるものはない。「みんな一緒」「授業も刺激の少ない高校の授業と一緒」「模擬試験も去年と一緒」「仲間との雑談まで一緒」。18歳の青年にとって、これほど退屈なことはない。

 
 仲間のうちで、自分たちと大して変わらなかったクセに「運良く」大阪大に(神戸大に、早稲田に、慶応に)行ったヤツらが、とっくに刺激的な大学の授業を受け(実際に受けてみれば大したことはないのだが)、犯罪心理学や国際関係論や比較憲法学のテキストを開いているときに、自分たちだけ「センター試験でうまくいかなかったせいで」、こんな平凡な去年と同じことをやらされている。優秀な生徒ほど、反発以上に焦りを感じ、「こんなことやってていいのか」「こんなことやってて大丈夫なのか」という思いはつのるばかりである。

 その思いやその焦りが、1ヶ月どころか、ほんの1~2週間のうちに「つまらない授業は切っちゃえ」「あいつとあいつの授業には、何の感動もない」などという話になり、受験生として最もまずい方向にそろって動いていってしまう可能性が高いのだが、まあ長くなりすぎるから、そのあたりから先は、また明日書こうと思う。