Mon 090413 頑固な愛校精神と愛社精神 12年前4月の全講師ミーティングでのこと | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 090413 頑固な愛校精神と愛社精神 12年前4月の全講師ミーティングでのこと

 まあ、「偏屈にもほどがある」ということなのだろうが(昨日の続きです)、早稲田祭に出て「早稲田の学生が空気を読むなどという下らないことはしなくていいのだ、空気を読むことを拒絶することこそ、早稲田のアイデンティティーである」などと発言して帰ってくるような人間である。そういう言動はおそらく「失笑を買う」ということになるので、「空気を読める、読めない」が社会人としてマトモかどうかの基準になっていた3~4年前に、あえて「読むな」と言い、「読んでるヤツなんか、『空気野郎』とでも言ってやれ」と発言することが、世間的な意味で自分にプラスになったかと言えば、そういうことはまず期待薄。「冷たく笑われて終わり」「求められているのはお笑いタレント的な軽薄な笑いにすぎない」ということはわかっていた。しかしどうしても早稲田の学生にはそういうふうであってほしいので、そうであってほしいのに「そうであれ」と発言しないのでは、生きていても仕方がないだろう。私の愛校精神とは、周囲が困惑するほど頑固なものであって、失笑でも嘲笑でも憫笑でも、買えるものなら何でも買って、別に後悔を感じることはない。


 しかし、そういう頑固な発言をして、もしも買えるものが「失笑」だけだとすれば、それはきっと早稲田大学が変質しまったのだ。幸いなことにあのとき(3年半前の早稲田祭のことを昨日から話しているのだが)、いただいたのは失笑ではなくて喝采であった。周囲がどう言おうと、やりたいことは意地でもやり、やりたくないことは意地でもしない、元気で素直で「田舎の化け物」みたいな早稲田の学生は健在だったので、会場を後にするときに聞いた喝采は非常に嬉しいものだった。あれから3年半、早稲田が大きな変質を迎えていないことを心から望むのである。

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(早稲田卒業間近「就職活動をしなきゃな」と仕方なく撮った履歴書用の写真。この頑固さは何だ。「学生なんだから、スーツもネクタイはいらないだろう」という主張、「貧乏なんだから、スピード写真で当然だろう」という主張、まさに空気なんか読む気持ちはゼロなのである)

 私の愛校精神とか、愛郷精神とか、愛社精神とかは、この通り余りにも頑固なものであるから、大好きだった学校や会社や地域が変質し、大好きだった姿を無残に変えてしまおうとするような時には、その変質に強い反発を感じ、反発を感じればそれを内にとどめておくことが出来ない。少々激しすぎる行動をとってでも変化を止めようと努め、変化を止められなければやがて敵意を感じ、好きだったものであればあるほど敵意は強く、もちろん敵意を感じた集団に所属することは明らかに卑怯であり、卑怯なことはいくら続けても楽しくないから、敵意を感じればすぐさまその集団から離れることを決意する。


 今から12年前、あんなに大好きだった駿台をヤメたのは、おそらくそのせいである。18歳で生徒として通った頃から、私は駿台が大好き。大学生のころ、「駿台の授業が下らなかった」と発言した友人と大ゲンカしたこともある。電通を辞めた後で「予備校講師になろう」と思いついたのも、もともと駿台が大好きだったせい。講師を辞めて12年経過した今でも、私は自分の母校の1つである駿台を愛することにかけては人後に落ちるものではない。


 しかしそれは、伊藤和夫と鈴木長十と数学3Nの駿台であり、桑原と坂間と三国と大岡と安藤の駿台であり、長岡亮介と秋山仁(以上全て敬称略)の駿台であって、1990年代半ばから以降の駿台ではないのだ。英語の主任が伊藤和夫先生ではなくなり、大学教授経験者の名物講師がどんどん姿を消し、万事が官僚的お役所的になり、大学院卒業後に実社会を経験せずにストレートで予備校講師になった素直すぎる若者ばかりが増え、講師室内での会話が教科トリビアばかりになっていく姿は、大好きな学校だっただけに耐えられない気がした。


 そういう変化に合わせるように、生徒たちの質問もつまらなくなった。こともあろうに奥井潔先生に向かって、「この文の主語がここまでだって、どうやって見分けるんですか」「この助動詞をみて、なぜ仮定法だってわかるんですか」の類いの質問をしにくる生徒が増えた。「そんな細かい質問を、奥井先生にしちゃダメだ」「せっかく奥井先生に質問するのに、なぜヘーゲルのことを聞かないんだ」と横から言ってやりたくなるような状況。もちろん、そんなことを言えば「失笑をかう」のだろうが、とにかく頑固な私としては、そういう学校には嫌気がさしたのだ。

 

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(予備校への就職活動をしたときの履歴書用写真。このやる気のなさは何ごとだ。ネクタイなし、コートのまま、頭が半分切れて、しかもスピード写真である)

 そういう状況を変えようと努力したこともある。駿台講師の6年目、お茶の水「東大スーパー」を担当して3年目の春、全講師ミーティングの席で30分以上にわたり、現状を批判する大演説をした。いきなりの大演説ではおそらく制止されてしまうから、事前に奥井先生にお願いして、「若い先生からの発言も聞きたい。今井君、何か言いたいことはないかね」と指名していただく手筈(ちょっと卑怯な感じもするが、奥井先生のご指名なら、制止できないはずだった)になっていた。4月、ちょうど今の時期である。「全講師ミーティング」といっても、200人以上いる講師全員を集めてテキストと時間割をわたし、その後の全講師パーティー(当時の駿台はパレスホテルだったが)で懇親会をする前段に過ぎない。何か真剣に駿台の将来を語り合おうとか、指導方針をどうしようとか、そういうマジメな議論の場ではないのである。そこで大演説をして、講師全員で危機感を共有しようと考えた。


 奥井先生は手筈通り指名してくださったし、英語科主任だった高橋師も後になって私の発言内容を絶賛してくださったし、伊藤和夫先生も死の床にありつつも「事件」のことを聞いて、大いにほめてくださったと聞く。大先輩の皆さんは、そろって当時のぬるま湯のような状況を嘆いていらっしゃったわけである。ウンザリさせられたのは、中堅や若手の講師がニヤニヤ笑うだけだった点である。30分にもわたって激烈に訴えかけた意識改革の必要性に対して、その場でもニヤニヤしているだけ、直後の懇親会の場でも「今井さん、今日は、ご活躍でしたね」「ボクらには、あんなに激しい発言をする勇気はありません」「今井さんは人気講師だからいいよね、ヒヒッヒ、ヒヒヒ」と恐る恐る話しかけてくる程度。


 私が大好きな駿台を辞めようと思ったのは、偉い先生方に反発したのでも経営陣がイヤだったのでもなくて、中堅講師たちの無気力ぶりに苛立ち、大好きなものが大嫌いなものに変質していく様を内側から見ているのがイヤだったからである。ま、あれから12年も経過しているのだ、そろそろ語ってもいいだろう。もちろん12年も経過して、今どうなっているかは全く私の知るところではない。あくまで思い出を語っただけの話であるが、私が「自分に愛社精神に欠けているつもりはない」というのは、そういうことである。

1E(Cd) Incognito:NO TIME LIKE THE FUTURE
2E(Cd) Incognito:POSITIVITY
3E(Cd) Larry Carlton:FINGERPRINTS
4E(Cd) Larry Carlton:DEEP INTO IT
5E(Cd) Luther Vandross:DANCE WITH MY FATHER
6E(Cd) Luther Vandross:NEVER LET ME GO
7E(Cd) Luther Vandross:YOUR SECRET LOVE
10D(DvMv) BASIC INSTINCT 2
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