Fri 090410 無残な懇親会の記憶 大学生活最初の2日 愛校精神の発露 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 090410 無残な懇親会の記憶 大学生活最初の2日 愛校精神の発露

 大学の入学式の思い出については、以前すでに書いたような気もするが、私の入学式ほど晴れがましさからほど遠いものは、なかなか考えられないほどだった。「息子が東大に入って国鉄のエリートになる」という夢が無惨に消えた直後の家族は、全員ソッポを向いているという悲しい状況。入学式に出かける息子としては、背中には冷たい視線を感じ、今日が入学式であるということ自体、家族はあまり意識しておらず、「アイツはどこに出かけるんだ、東大落ちたクセに」といった感じの見送られかたをした、つらい春の記憶しかない。当時は埼玉県大宮市に住んでいたが、父は岩手県盛岡市に転勤が決まり、入学式の翌日に父と母は引っ越しの予定。姉の結婚が決まっていて、4月1日の入学式が終われば翌日から家族はバラバラに、という状況設定の中で、快晴の大宮市桜木町の自宅を出たのである。自宅といっても国鉄の職員宿舎なのだが、今では「ソニックシティ」というものに変わってしまっている。


 昔の早稲田の政経学部というものは、「東大コンプレックスのカタマリ」という学生が多数派であって、入学式直後のクラスの自己紹介では、本当にほぼ口を揃えて「ボクはここへくるはずではなかった」「ワタシはここを志望していなかった」と語り、「ホントは東大に行っているはずが、何かの間違いでこんなところにいる」と言い合い、「来年はここにいないかもしれない」と仮面浪人の決意を披露する者も少なくなかった。嫌悪感をあらわにしながら仲間たちを見回し、暗い目を床に落としながら「こんなヤツらと一緒なの?」と吐き捨てるヤツ。これ以上考えられないほどの有名高校の出身者であることを披露した上で「落ちこぼれに落ちこぼれを重ねて、ついにこんなハメになった」と苦笑してみせる男がいて、その苦笑をまた周囲の者が苦笑する。

 

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(シマのある、黒いかしわ餅)


 その夜のうちに飲み会&懇親会を開いた。大隈通りの先の「金城庵」だったと思う。「早稲田の学生たちの大きな飲み会なら、ここ」という名門。2年浪人して入ってきた男が、「高校の後輩だった早稲田の先輩」という、たいへん難しい間柄の人間に手配してもらってやっと予約できた懇親会である。しかし、その懇親会の中身はといえば、さっきの自己紹介をそのまま繰り返すだけの、お寒い愚痴大会。いつの間にか「私立国立有名校卒業組」と「地方県立トップ高校卒業組」がカタマって「早稲田への嫌悪」を語り合うという、考えられるかぎり最低の展開に発展した。


 もちろん、中には「早稲田が第1志望」で、しかもそれが政経学部政治学科合格で、家族や友人の祝福を受け、「ついに第一志望に入学」「夢の志望校が、母校になった」という思いに胸を熱くしているようなヤツらも数名はいたのである。しかし、ついさっきまで大喜びで校歌を歌っていたその数名は、やがて自分たちが派閥として最小最弱であることに気づき始め、状況と雰囲気が信じられず、あっけにとられ、肩を寄せあい小さくなって固まり、「2浪の末についに初志貫徹した」というその浪人生活の思い出などをボソボソ語り合うだけになる。浪人してきた者は、通っていた予備校どうしで派閥を作りはじめる。駿台派が一番多くて、代ゼミ派とか早稲田予備校派とか、駿台出身でない者に、どういう理由かわからないが、いかにもバカにしたような視線を投げる。今思えば「何だそりゃ?バカバカしいにもほどがある」というところだが、当時はその程度のことでさえ、トゲトゲした視線を投げあうことに活路を見出すような気持ちに、皆がなっていたのかもしれない。


 これでは、とても入学式直後の晴れがましい気分ではない。慣れない酒に酔いながら、肩を組み、腕を振り上げ、声が嗄れるまで校歌を歌い尽くす、そういう懇親会ではない。入った大学への嫌悪を暗い声でしみじみと語り、仮面浪人の1年計画を言いあい、その計画を批判しあい、「あいつら、ここが第1志望だったわけ?」「信じられなくない?」「駿台の教師のほうがまだマシかもよ」とか、そういう最低の飲み会で、校歌はもう1度も歌われず、9時には早々と解散。解散の理由は、「こんなことやってる場合じゃない、早く帰って勉強」というヤツらが余りに多かったからである。

 

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(耳のある、黒いかしわ餅)


 で、その翌日、父と母の引っ越しを手伝って、彼らを盛岡行きの電車まで見送り、私は決めてあった石神井公園の下宿に帰って、大学生活が始まった。下宿といっても、一般家庭の息子の部屋を「息子が独立したから人に貸そう」というだけの部屋、当時は「間借り」と呼んだが、部屋代1ヶ月18000円払って、ここに半年住んだ。ヒモを引っぱってもなかなかつかない蛍光灯、それがまた余りに暗いので、机上用の電気スタンドを本棚の上にのせて部屋を照らし、400Wの電熱器で湯を沸かし、レトルトのカレーを温め、レトルトのままで中にスプーンを突っ込んでは、それを食パンにのせて食べた。夜9時になって、歩いて10分かかる銭湯に出かけ、道路をはさんだコインランドリーに洗濯物を入れ、銭湯を出ると雨が降り始めて、白い息を吐きながら部屋に帰った。以上が大学生活の最初の2日間の記憶である。


 この春、第一志望ではなかった大学に入り、惨めな気持ちをかかえ、イヤな思いをしながら通いはじめた諸君も少なくないはずだが、それでもなかなか私ほどミジメな始まり方は経験しないと思う。しかし、出来るかぎり早く立ち直って、体勢を立て直していく、自分が選択した大学をどんどん好きになっていく、そういう努力の大切さについても、早く気づいたほうがいい。実に簡単なことである。まず、出来るかぎり恥ずかしがらずに、出来るかぎり大きな声で、校歌や応援歌を歌いたまえ。いつまでもイヤな顔をしている友人より、「ここが第一志望だった」という友人たちとどんどん付き合いたまえ。野球の応援に出かけ、ラグビーの応援に出かけ、旗を振り、立ち上がり、コブシをふり、そこでも歌い、踊り、そういうことを繰り返しているうちに、気がつけばあっという間に愛校精神のカタマリになっている。今や、私と同年代の人間で私ほど早稲田が大好きな人は少ないのではないか、それを実感するほどである。いまだに神宮に出かけ、いまだに秩父宮や国立競技場に出かけ、カップ酒片手に立ち上がって大声を出しているのは、このオヤジなのだ。さっきもわざわざCS放送で早稲田vsタマリバの試合を観戦、それで昼間からじっくり酔っ払っていたのだからおめでたい。


 このオヤジ、電通もあっけなくヤメてしまったし、河合塾でも駿台でも代ゼミでも、次のチャンスがあればどんどんその先のチャンスに手を伸ばすタイプの生き方をしてきたから、「さぞかし愛郷精神や愛校精神に欠けた人だろう」「愛社精神なんて、かけらもないだろう」と思われているだろうが、そんなことは全くない。愛郷・愛校・愛社、そういう気持ちについては、いつでも誰よりも強烈であり、誰よりも大きい自信がある。早稲田・秋田・日本、これ以上好きなものはない。明日はそういうことを語ろうと思う。