Thu 090409 では、どんどん追いついていきます 千鳥が淵の桜 武道館での入学式 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 090409 では、どんどん追いついていきます 千鳥が淵の桜 武道館での入学式

 実際に、ブログは「やりかけ」である(昨日の続きです)。4月9日に更新した4月7日のブログでは、8歳だか9歳だかの少年が真面目な顔で笑いをこらえており、その数十年後の私は地下鉄を二重橋前の駅で降りて、たくさんの外国人観光客をかきわけながら皇居のお堀を時計回りに回りはじめ、桜は満開、菜の花やカラスノエンドウが咲き乱れ、中高年の集団が千鳥ヶ淵目指して歩いている。最高裁判所、国立劇場、目を出し始めたヤナギ、そこでパタリと途絶えてしまって、1週間置き去りである。気がつくと東京の桜はすでに葉桜。3週間も咲き続けた今年の桜は、遊歩道を薄赤く染めていた大量の花びらも久しぶりの雨に流されて、もうすっかり初夏の姿である。もう1度、千鳥ヶ淵に戻って時計の針をゆっくり進め始めることにも、何となくためらいを感じながら、また1日が過ぎてしまった。


 さて、どこまでもそれていく話をもとに戻せば、これだけ更新が不安定になった挙げ句、「ヤメてしまう」という選択肢を選ぶのでないとしたら、いま目の前にある選択肢はもう2つである。この1週間がなかったことにして、突然1週間時計を進めて、何事もなかったように日付をWed 090415にして、もっともらしい言い訳はあとからいくらでも考えよう、その選択肢が1つ。これが一番ずるくて魅力的な選択肢である。普通の人間はみんなこういうずるい選択肢を選び続けて、「大過ない一生」を送るのだ。「無理するな」「自分らしく」の類いのアドバイスはすべてこの道を促すのである。「お前らしくないぞ」「肩の力を抜け」など、退職願を出しかねないほどにへこたれてションボリした新入社員を、自分もヤメかかっていた35歳ぐらいの上司がなだめるときの常套手段がこれだ。

 

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(千鳥が淵から皇居方向を望む)


 最後に残った1つの選択肢が、「とにかく、何でもいいから1週間分がんばって書いてしまう」である。威張るわけだが、6月5日から4月7日まで、何と300日間、1回も怠けずごまかさずに、1日2~3ページの膨大な記事を書き続けてきたのだ。文庫本にすれば1800ページ、まあ単に分量だけの問題にしても、文庫本7~8冊分を10ヶ月で書き上げるというのは、自分でもなかなかのものである。それをまた全ページ付き合ってくれる読者というのも、間違いなく素晴らしい忍耐力と読解力がなければつとまらないだろうが、読者数は増えこそすれ、減ることはない。ならば、地道に継続するしかないだろう。ま、最初からそのつもりなのだが、今日から再び地道な努力を開始して、3日か4日のうちに、実際のカレンダーに追いつき、実際の時計の針に追いつく計画でいるのだ。


 だから早速、もう1週間も10日も以前の千鳥ヶ淵に置き去りにしたクマどんを眠りから覚まさなければならない。東京の桜が葉桜になって、外は初夏の嵐になっているのに、いつまでも花吹雪の中に置き去りでは、そのうち暴れ出す恐れさえなくもない。千鳥ヶ淵の桜は去年も見に行ったけれども、やはり東京の桜としては別格に美しかった。今年は飛鳥山や上野公園にも出かけたから、どうしても比較してしまうのだが、飛鳥山は3分咲き、上野公園は5分咲き、千鳥が淵は満開、そういう有利不利はあるにしても、お堀の向こうに咲き乱れるピンクの雲の重量感は圧倒的であった。昨年の今ごろ民放の夕方のニュースで報道されていた「桜の病気」というか「桜の癌」が心配だったのだが、しっかり対策がとられたらしい。昨年は、幹や枝にいくらでも付着して可哀想になるぐらいだった小さな醜い瘤を、今年は綺麗にとってもらって桜が生き生きしたように見えた。桜の治療にあたった皆様の努力は賞賛に値すると思う。

 

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(千鳥が淵の桜)


 千鳥ヶ淵を北の丸公園に向かって抜けると、ちょうど武道館で明治大学の入学式をやっていた。こんな満開の桜の中での入学式は、うらやましい。例年3月のうちに桜が散って、桜は卒業式のものになりかけていたのだが、やはり桜は入学式のものであってほしい。「武道館での入学式」と言えば、私としてはどうしても浪人した年の「駿台予備校の入学式」という甚だ意気上がらないシロモノを思い出してしまう。私の頃の早稲田大学では、記念会堂で全体の入学式、大隈講堂で政経学部の入学式、というふうに行われたから、武道館経験は駿台しかないのである。だから、「満開の桜の下の武道館での入学式」などというものには強い憧れがある。ついこの間、南浦和で講演会をしたときにも「明治に合格しました」といって報告に来てくれた生徒がいた。彼もおそらく今武道館の中で入学式を経験している最中だろう。

 

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(武道館付近)


 もちろん、新入生の中には「こんな入学式に参加しているはずではなかった」という苦い思いを噛みしめている諸君も多いはずである。東大の入学式ですら、「本当に満足しているわけではない」という人がたくさん存在するのだ。マスコミで報じられる東大新入生といえば、「こんな東大生もいます」という感じのカルく舞い上がったイケメン男子とか、CanCamやViViから切り抜いてきたみたいなド派手な女子とか、家族みんなで一緒にやってきて記念写真を撮影している様子とか、要するに「ホントに東大生?」というノリでの報道なのだが、実際はそんなに底抜けに明るい人ばかりではない。センターで失敗して、やむなく文一から文二に変更した人。同様に理三から理二に変更した人。だから2年後の進学振り分けにかけて今から猛勉強を誓っている人。少なくとも、昔の東大の入学式はそういう人が大勢存在して、実際の雰囲気は報道のような能天気なものではなかった。


 どこの大学でも、大学の入学式に、晴れがましい思い以外の人がたくさん存在するのはいうまでもない。今目の前で進行中の明治大学の入学式の中に、そういう思いを抱え、その思いをもてあまし、帰宅しても家族の顔はいまだに暗いまま、そういう学生がどれほど多く存在するか。それを思って1週間前のクマさんは悲しくなり、涙が流れそうになり、思わずそこいら中の桜の花をむしって食べてしまいたくなったのであるが、そこからの脱出、あるいは成長と卒業については明日の記事(実際の日付は5日前だが)で書こうと思う。