Thu 090402 昔の駿台・武道館での入学式 神保町古書店街の発見 「1日1冊岩波新書」 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 090402 昔の駿台・武道館での入学式 神保町古書店街の発見 「1日1冊岩波新書」

 まあそういうわけでいろいろあって(昨日からの続きです)、埼玉の大宮からお茶の水の駿台に通うのに、あえて「京浜東北線で秋葉原、秋葉原から総武線の黄色い電車で一駅」というルートに固執した。大宮から京浜線始発電車でどうしても座って通学。朝の大宮駅からは始発電車が5分に1本は出ていたから、2本もやりすごせば確実に座ることができた。そういうことに決めたのも、おそらくはコンプレックスのせいで、どうしても「1日に1冊」の読書計画を実行したかったからである。18歳で、東京大学に合格するつもりで、大学に入ったらいくらでも読書して、とそう思っていたものが、見事に門番につかまって門前払いされれば、大きなコンプレックスのカタマリになるのは当然のことである。予備校で与えられたテキスト類や辞書、受験情報誌などの全てが嫌悪感の対象。抜け出せると思っていた、当時の私の思いとしては「幼稚きわまりない世界」でもう1年ムダに過ごさなければならない運命は、恥辱そのもの。ついこの間書いたモクレンのような早咲きへの憧れが何より先に立って、「つまりお前は早咲きではないのだ」「つまりお前は才能がないのだ」と決めつけられることを何より恐れていた18歳の人間としては、どうしても受験以外の世界を自分の生活の1部分に確保したかったのである。


 で、確保した時間は、駿台への行き帰りの電車の中。まず朝の電車で大宮から秋葉原まで45分ほど読書に励む。予備校での休憩時間が10分ずつ5回あるわけだから、うまく読書に集中できれば、ここでも50分。帰りの電車はなかなか座れないだろうが、そこは我慢してつり革につかまってでも45分。すると合計で3時間近くの時間が確保できることになるから、岩波新書1冊読み上げるのには、ちょうどうってつけの時間になる。コンプレックスへの対抗手段が岩波新書というのでは、いま考えればさすがに可愛らしいが、田舎の高校を出たばかりの男なら、まあそのぐらいで何とかプライドだけは維持できたのである。

 

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(受験生の頃。当時の証明書写真より)


 しかも、お茶の水から神保町の古本屋街は近い。今思えば、あの1年ほど神保町を歩き回った時期はないかもしれない。駿台予備校の入学式が日本武道館で行われて(確か東大の入学式の次の日だった)、どう言い繕おうとも予備校の入学式では意気上がらないこと甚だしいのだが、当時の駿台は「早稲田は合格したけど、行かなかった」「慶応の経済に合格したんだけど、蹴って東大を目指す」みたいな生意気な生徒ばかりで、あれほど生意気な予備校なら「武道館で入学式」などというのも許されてしかるべきだったかもしれない。皆が「早慶を蹴った」「○○を蹴った」「××を蹴った」と言い合う、出来損なった蹴鞠の集団みたいな、いじましくもイヤらしい入学式だったように思う。別に出る必要なんかなかったのだろうが、そこは田舎から出てきたばかりである。そこで何か重要な伝達事項でもあるのかと勘違いして、広い武道館の2階席だか3階席だかで溜め息をついていたのを記憶している。


 昔の予備校は、そんな贅沢を平気で続けていたのだ。代ゼミなんか、つい10年ぐらい前まで「東京体育館で運動会」などという、もっとバカバカしいことをやっていて、校歌斉唱(代ゼミには校歌というものがあった。今の代ゼミ生で歌える生徒がいるとは思えないが)だの、徒競走とマークシートを素早く塗るテクニックを足して2で割った、恐るべきコンテストだの、とにかく今思えば信じがたい馬鹿騒ぎを展開していた。いまだにそういうことを真似して悦に入っている中規模予備校もあるらしいが、ごく素直に申し上げて、そんなことやっているヒマがあったら、1ページでも2ページでも問題集に取り組む方がどれほど効果的かわからない。


 さて、その入学式の最中に話しかけてきた、平塚だか藤沢だかからきた男と仲良くなって「お茶の水まで歩いて帰ろう」ということになった。彼と2人、ブラブラ歩いていくと、もちろんそこには神保町の古書店街が広がっている。田舎から出てきた直後だから、あれが初めての神保町。「何だか、古本屋がすごくたくさん並んでいますね」とか、慣れない標準語で新しい友人に話しかけつつ、当時1冊180円から230円に値上げされたばかりの岩波新書が、たった20円か30円で山積みにされているのを見て嬉しくなった。「今年はこれを毎日1冊ずつ読破していくか」と決めたのは、あの帰り道である。1年で300冊、実行しても予算は10000円ほど、それでコンプレックスをいくらかでも解消できれば、予備校生としてそれほど贅沢な過ごし方ではないだろう。彼とは、神保町の一番端っこの「三茶書房」の中ではぐれてしまって、あれ以来会ったことも話したこともない。出会ったばかりで、顔も名前も覚えていないうちにはぐれてしまったのである。

 

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(講師として予備校に復帰する頃。これも当時の証明書写真より)


 そういうわけで、コンプレックスでいっぱいの18歳の春から夏にかけて、私は京浜東北線の中で岩波新書に没頭したのである。当時神保町で購入した汚い岩波新書は100冊ほど。今ではすっかり赤茶けてしまったが、自宅の風呂場の横の、一番恵まれない本棚で眠っている。千田是也「演劇入門」山口昌男「アフリカの神話的世界」脇明子「幻想の論理」(これは講談社現代新書だが)から始まって、9月下旬、駿台の授業をサボって池袋や高田馬場や飯田橋の映画館に入り浸るようになるまで、確かにほぼ毎日、約100日にわたって「1日1冊」は続いたのである。


 赤羽と上野で車内の客の大半が入れ替わっても、鴬谷の駅でホームのスピーカーからウグイスの鳴き声が聞こえてきても、そういうことに気をとられている暇はなくて、とにかく朝のうちに、その日の岩波新書の100ページ目あたりまでは読破してしまいたい。そのうちに、秋葉原で黄色い電車に乗り換えるより、京浜東北線で神田まで行って、神田からオレンジ色の電車に乗る方がいいことに気づいた。秋葉原–お茶の水は戦争のような押し合いへし合いだが、神田-お茶の水の一駅は、座って読書できるのである。たった一駅でもゆずりたくないような切羽詰まった気持ちがあって、バカバカしい話のようにも思えるのだが、やがて予備校講師になって、第1志望に合格できなかった生徒たちのつらい相談をたくさん受けるうちに、当時の自分の気持ちも理解できるようになった。

1E(Rc) Backhaus:BACH/ENGLISH SUITE・FRENCH SUITE
2E(Rc) Solti & Chicago:R.STRAUSS/DON JUAN ・ ALSO SPRACH ZARATHUSTRA
TILL EULENSPIEGEL’S MERRY PRANKS
3E(Rc) Ewerhardt & Collegium Aureum:HÄNDEL/オルガン協奏曲
4E(Rc) チューリッヒ・リチェルカーレ:中世・ルネサンスの舞曲集
5E(Rc) Collegium Aureum:MOZART/EINE KLEINE NACHTMUSIK
SYMPHONY No.40
6E(Rc) Rubinstein:THE CHOPIN I LOVE
7E(Rc) Solti & Chicago:
DEBUSSY/LA MER・PRÉLUDE A L’APRE MIDI D’UN FAUNE
        RAVEL/BOLERO
8E(Rc) Bernstein & New York:/SHOSTAKOVITCH SYMPHONY No.5
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BARTOK/DER WUNDERBARE MANDARIN
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