Sun 090329 トルコ料理店で 内気な男の会話の境目 醸造酒でも蒸留酒でもすぐに空っぽ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 090329 トルコ料理店で 内気な男の会話の境目 醸造酒でも蒸留酒でもすぐに空っぽ

 25日は、駿台時代の生徒で今は予備校の講師になっている男に誘われて、飲み会。1軒目は北青山のトルコ料理店「Harem」へ。近い将来結婚する予定のカノジョも一緒に来て、最初のうち私はきわめて内気な性格だから、何だかわからないが3人で気まずいような親しいような嬉しいような、どうにもとりとめのない会話が30分ぐらい続いた。私はとにかく内気なので、久しぶりに会った人間とは、最初のうちどうしても敬語での会話になってしまう。待ち合わせたのが東京駅前の丸ビル。丸ビルから北青山までタクシーで10分ほど。このタクシーの中が気まずかった。敬語vs敬語で飲み会の席に向かうタクシー、などというものは、昔の「お見合い結婚」か何かの2回目のデートのようなものである。まあ、21世紀になっても「婚活」などというものが存在して、油断しているとすぐに身の回りで「婚活パーティー」とか「デート作戦」とかが盛んに展開されていたりするのであるが、その気まずさは、私のように内気な人間にとっては、まさに想像に余りある。


 大昔に駿台で教えた生徒だとはいっても、すでに30代半ば。著書もあって、有名になりかけの講師である。こういうのを、予備校の世界では「気鋭」と呼ぶ。「新進気鋭」ということもあるが、予備校講師になって確か6~7年は経過しているはずで、「新進」という感じではもうないだろう。一方の私はこのところ「名人の授業」シリーズの1冊になるはずの参考書を執筆する毎日。すると北青山のトルコ料理店に集結したのは「名人」と「気鋭」、そしてまもなく「気鋭の妻」という驚くべきものになろうとしている女性である。このシチュエーションなら、敬語を話すのはごく当たり前。やたらに気前よくタメグチにもっていくようなタイプの馴れ馴れしい人間になれたら、きっと楽なんだろうけれども、まあ、そこが私独特の人との接し方なのだから、この年齢になって今さらそれを変える気にはならない。

 

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(今年もそろそろ踊りの稽古)


 ただし、そういう気まずい世界は30分後には完全に消えている。「シャンペンのセール中だから」と店の人に勧められたシャンペンを、特に疑うこともなくホイホイ注文して、すぐに冷えたヤツが1本運ばれてきて、「ポン」と挨拶をする。そうなってしまえば、もう注文したかしないかもわからないうちに、1本目は簡単にカラになっている。あっけないことこの上ない。3人で飲めばボトル1本と言えども1人2杯半程度。しかも、シャンペンは大好物である。トルコ料理の「ト」の字もまだ運ばれてこないのに、次の飲み物を何にするかを心配しなければならなくなった。何しろ、酒について私はこんなふうだし、元生徒の予備校講師も酒が弱いとはお世辞にもいえないし、彼のカノジョについては、前回飲んだときの(と言ってももう1年も前のことだが)強さがしっかり記憶に残っている。


 「それでは次は」と相談し、カノジョが蒸留酒に強いことはわかっていたから、早い段階から蒸留酒に行くのはムダ、「ならば醸造酒でゆっくり行きましょう」ということで、赤ワインのほどほどの値段なのを注文した。私の敬語が消えていくのは、この頃からである。あたりの風景や人の動きがちょっとだけ曖昧な感じになって、軽い近視の人がメガネを外して周囲を眺めているみたいなボンヤリした感じが気持ちよくて、そのとき気がつくと、敬語とタメグチの中間の微妙な言語を巧みに弄しているのである。「今井式クレオール」とでも言いたいような、どこまでも控えめなためらいと、こらえきれない楽しさの表現と、その両者が微妙に入り混じった難解な言語。その境目はあくまで曖昧で、酒の進行に従って少しずつ後者の勢力がまさっていき、前者をゆっくりと駆逐するのである。


 この夜は、その駆逐のスピードが思ったより速かった。やはり緊張していたのである。トルコ料理と言っても、別にスルタンが日々食していたような物凄いものが出てくるわけではない。後宮の女たちも宦官も登場しない。ヨーロッパに行けば場末の町外れにいくらでも見かけるワンボックスカーを改造した屋台のケバブを、ちょっとだけオシャレっぽく並べて出すだけである。あとはヨーグルトとか、チーズとか、ペーストとか、そういうものをいろいろこね上げてトルコ風のパンに載せて食べる。要するに酒のつまみにはもってこいなので、赤ワインもまもなく空っぽ。遅ればせながら注文したビールも、トルコビールから日本のビールまでいろいろ試してみて、これもことごとく空っぽ。「仕方がない、この際」ということで、トルコの蒸留酒「ラク」を注文することにした。

 

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(ベリーダンス)


 「ラク」はトルコ名。ギリシャでは全く同じ酒を「ウゾ」と呼ぶ。私はこれが大好きで、もう20年も前のこと、ギリシャ旅行中にわざわざ地元の酒屋でボトル2本購入し、毎日毎日この酒に浸っていたことがあるが(確かこのブログでも半年ぐらい前に書いたことがある)、とにかく臭いが強烈。もしだれかが横に立って「これ、トルコのヘアトニックですよ」とマジメな顔でウソを言ったら(しかもそれが私のような冗談の名人なら)、みんな黙って疑うこともせずに、頭にジャブジャブふりかけてしまうだろう。そういう酒であり、水を混ぜれば白く濁り、白く濁ってもヘアトニックの臭いは少しも弱体化しない、凶悪な酒である。それを3人で3杯、つまり1人1杯ずつ飲んで、それで1次会はお開きということになった。


 帰りがけにウェイターに名前を尋ねたら「ケンと言います」とのこと。「トルコのかたですか?」という問いにも嬉しそうに頷いていた。この店からすぐ近くの六本木に「イラン料理」という恐るべき店もあり、出てくる料理は似たり寄ったりにしても、このトルコ料理店(まだ2回目であるが)は、いい発見だった。「イラン」のほうは、どうやら東京在留のイラン人のコミュニティーに過ぎず、とびこみで迷いこんできた日本人客をあたたかくもてなそうとか、イラン料理の醍醐味を教えてあげようとか、そういうイメージはほぼゼロ。ゼロどころか、マイナスに近くて、お酒を注文するごとにイスラムの戒律でも教え込まれそうなたいへんコワい雰囲気。それに引き換えてこの「トルコ」は、これからもまだまだ何度も訪れたくなるような楽しさである。