Fri 090327 3月22日静岡講演会 WBC決勝戦・主審の「おじいちゃん笑顔」に癒された | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 090327 3月22日静岡講演会 WBC決勝戦・主審の「おじいちゃん笑顔」に癒された

 22日、2月3月と連続した講演旅行30回の締めくくりが静岡である。前日の天気予報からずっと「雷を伴った激しい雨になる」と予報されていて、もしもその予報通りになったら「せっかくの締めくくりがイヤな感じになってしまうな」という不安で朝から気が気でない。ただし、それ以外のことは本当にうまくいって、WBCの日本戦はことごとく私の講演スケジュールを外れてくれた。キチンとキューバに連勝して準決勝に進出。韓国にも勝って2次ラウンド1位で準決勝に進み、アメリカ戦は23日月曜日になった。万が一20日に韓国に負けていたら、22日にベネズエラ戦、それはまさにガチンコで静岡での講演会にぶつかることになって、しかも「暴風雨の真っ最中」ということにでもなったら、私の講演会など、とても「幻の日本vsベネズエラ戦」に勝ち目はなかったのである。


 WBCについては、ありとあらゆるスポーツライターが好き勝手なことを書き散らした後であって、ハッキリ言ってもう食傷気味である。しかし、おそらく優勝した興奮のせいでどのスポーツライターも書き忘れてしまったことが一つあって、それは日本vs韓国の最後の死闘で軍配をふるったアメリカ人アンパイアの素晴らしさである。前回の大会での誤審や横暴が話題になり、今回の大会のサンディエゴラウンド・韓国戦でも「城島退場」を絶叫した審判の横暴が印象に残っただけに、25日の決勝戦の主審の素晴らしい審判ぶりは強く印象に残った。

 

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(静岡校講演会。開始直後)


 常ににこやかで冷静、日本が興奮しても、韓国が興奮しても、どちらの言い分もにこやかに聞き、にこやかに判断を下すおじいちゃん審判の穏やかさには、国際紛争を解決しようとする全ての外交官に見習っていただきたいほどの柔軟さを感じた。決勝戦ともなれば、選手交代の1つ1つにも、決して失敗は許されないという強い緊張感が伴う。余りの強烈さに凍えて割れて弾けてしまいそうな緊張感を、おじいちゃん審判の一瞬の笑顔が簡単に融かしてしまうのを見ながら、実際の国際紛争解決の現場にも、「亀の甲より年の功」とでも呟きながら、ああいうおじいちゃん外交官が紛争当事者の双方から一人ずつ進みでて、「また同じ原因で殴り合いか。やめとくべ、やめとくべ」と、噴き出しながら握手でもしてくれたら、あっという間にすべてが解決しそうに感じる。ミサイルなんか飛ばす話にはならないだろうし、それを迎撃ミサイルで迎え撃つとかいう物騒な話にも進展しそうにない。


 ましてや予備校講師どうし、しかも同じ予備校で勤務する運命共同体の男どうしが「殴った殴られた」など、愚かにもほどがあるのだ。だから言わないことではない。いつもニコニコ顔の穏やかな「おじいちゃん講師」が一人もいなくなってしまったのが、予備校の弱点になるだろうことは、以前からたやすく予想できたことだし、私だって「おじいちゃん先生がいないのは寂しいね」と言い続けてきたのだ。目先の人気を優先して、調停役のおじいちゃんを現場から排除すれば、そういう野蛮な殴り合いや、生徒に見せられない下品な怒鳴り合いが横行して当然である。講師どうしが講師室で殴り合ったり罵りあったりする原始的&暴力的な学校を、これからの生徒が積極的に選択するかどうかはよくわからないが、とにかく調停役のにこやかで穏やかな表情の価値を見損なった学校経営が破綻するのは当たり前。WBC決勝戦の見事な審判ぶりを見ながら、そういうことを思った。


 東京を12時に出て、静岡には1時間後に到着。心配した雨はギリギリで持ちこたえていて、静岡に着いたときは「まだまだ」という感じ。空を流れる怪しい黒雲の早さは確かに怪しいが、雨は時おり強風に乗って南から流れてくるだけである。静岡駅からのんびり歩いて東進静岡校に向かう途中、少しずつ雨粒が大きくなってきて、「そろそろかね」と思う程度だった。

 

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(静岡校講演会、終了直前。クマどんに花束が似合わない)


 静岡校は昔の予備校バブルのころからある東進の古い校舎であって、代ゼミ時代、名古屋出張の新幹線が静岡を通過するたびに「おお、東進の静岡校はなかなかデカイな」と感動させられていた豪華な校舎である。しかし、それはあくまで外見だけのこと。いったん中に入ってみれば、地味の上に地味のペンキを上塗りしたような真に地道な校舎であって、「講師控え室」のようなものさえ存在しない。通されたのは、事務室の奥にある広い作業場のテーブル。テキストやDVDや資料や配布物やらが高く積まれた山脈の間の、しばしの憩いの場のようなところである。


 講演会開始が15時だから、到着から2時間余り、コピー機がグルングルン激しく回転し、若いスタッフが目まぐるしく入ってきては出て行き、電話がひっきりなしに鳴り響き、FAXが届き、FAXが送信され、そういう事務室の一画でミーティングを終え、原稿を書き進め、たくさんの色紙と著書にサインしまくって過ごすことになった。その賑やかさは、まさに活気そのもの。DVDを借りにくる者、返却に訪れる者、面談を試みるスタッフ、面談を求める生徒、かと思えば、面談を逃れようといろいろな口実を並べる生徒、それを決して逃さない厳しいスタッフ。「息子が浪人してしまったが」と初めて来校したらしい父親、早速始まる熱心な面談、その一言一言まで、私が座って原稿を書いている場所からちゃんと聞こえてくる。こういうのが、予備校のあるべき姿であると感じ、心の中も講演会に向けてだんだん温まってくる。


 それに対して、講師同士が罵りあい怒鳴り合い殴り殴られるなどというのは、予備校として完全な逸脱であって、水戸黄門の冒頭に流れる地元のならず者のケンカみたいな情景。そんな有り様で、いくら宣伝広告で都合のいいことばかり並べてみせても、そこで勉強した生徒の成績が上がるとはとても思えない。そういう悲しむべき事件から何とか自分の思考を引きはがそうと努力するのだが、何しろ昔8年も私の人生を過ごした場所、私の古巣であって、そういう話を聞けば、どうしても悲しくなるし、どうしても寂しくなる。ま、いいか。15時、東進・静岡校での講演会スタート。出席者150名ほど。会場に入り切れるかどうかギリギリの人数が集まってくれて、遅刻者もゼロ。素晴らしいスタートになった。